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【連載小説】なんの変哲もない短編小説を書いてみた1-2

前回のお話https://note.com/sev0504t/n/n9623b38aee95
 
 ひどい胸焼けで僕は目が覚めてしまった。
 まだ時計の針は5時近くを指し、秒針が動く音がはっきりと聞こえる。偶奇のわずかな音の差を感じるほど、何か僕の感覚は鋭敏になった。
 
 ゆいさんはとなりで眠っていた。寝息もたてず、こんな形容の仕方はよくないが、死んだように佇んでいる。

 普段は後ろで結んでいる髪は解かれているが、体よくまとまり、黒い川のようで、微かに揺れているように見えた。

 オンラインショッピングと、店舗に行っても無人化したシステムが消費行動の主流になったこの時代に、ゆいさんは「人間らしいから」と、近くの小さなスーパーマーケットへ買い物へ行くのが日課だった。馴染みのパートさんとしゃべったり、鮮魚コーナーで旬の食材を担当に聞いたりと、いっしょに買い物に行った時に見た彼女の姿に驚かされた。もちろんよい意味での発見と驚き。

 そのスーパーの隣には花屋があって、彩り豊かな季節の花を愛で、時に一輪だけ、こっそりとゆいさんは買うのだった。一度僕が指摘をした時には、頭を垂れて謝っていた。「言われていないものを買ってごめんなさい」そう謝るゆいさんに、僕は「こっそりとね」とだけ言った。

 今日も朝が来た、新しい朝だ。無職になって一週間が過ぎようとしていた。季節は三寒四温を文字通り繰り返しながら過ぎ行く気配を見せる。

 カーテンを開けると曇天の空にすじ雲が魚のはらわたのように見えた。

「おはよう、ゆいさん」

「おはようございます。今日は診察の日でしたね」

「ああ、そうだ。ありがとう、もう少ししたら出ようかな」

「身体はどうですか?」

「大分いいよ。ありがとう、ゆいさん」

「珈琲いれましょうか?」

「もらいます」

 なんの変哲もない朝の一場面。

 ゆいさんと暮らすことになった時に、僕の両親は発狂しそうなほど反対していた。いくつかの理由があったのだろう。一番はゆいさんと生きていく選択が、子どもを持たない生き方を選ぶことと同義だと思われたからだ。

 僕はどうでもよい時にだけ干渉してくる自分の親が苦手だったし、子どもを持つ持たないという価値尺度しかない彼らを毛嫌いした。その背後には世間一般とか、普通はどうのといった思いがあるんだろう。

 ダイバーシティとインクルージョンと謳った老人たちの社交ダンスを、僕は何かで撃ち抜いてしまうだろう。偽物の多様性よ、さようならだ。

「美味しいよ、ありがとうゆいさん」

「最近、近くに珈琲豆を専門に扱うお店ができたんで今度いっしょに行ってみましょうか?」

「ああ、考えておくね」
 酸味と苦味が、舌を転がった。

「そうだ、ゆいさん三島由紀夫って知ってる?」

「戦後の日本を代表する作家、政治活動家でもありますね。作品は仮面の告白や金閣寺が有名ですね」

「そうそう、さすがゆいさん。彼は小さい頃ね、広辞苑を枕に寝ていたんだって」

「硬い‥‥ですよね」

「いやいや、そのくらい言葉に興味をもって愛読してたんだって」

「そういう意味なんですね。ごめんなさい」

「謝らなくてもいいよ。でね、僕も作家を目指すにあたり、広辞苑を枕にしようかなって」

「三島由紀夫の真似をするってことですね」

「うん、なんというか、形から」

 僕はネットショッピングで買った厚さが拳よりもある黒い表紙を見せた。

「執筆活動、頑張ってくださいね」

「ねぇゆいさん、三島由紀夫には配偶者はいたの?」

「ええ、平岡瑶子という方がいて子供も二人‥‥」

「そこまできいてない、ゆいさん黙って」


 微かに電車の振動を感じる。

 遠くからカラスの鳴く声。拳が脈打って拍動を重ねる感覚。

 ゆいさんは黙って殴られた左頬を押さえ、勢いでつまずいた身体を起こした。

「珈琲豆をまた、買いに行こうね」
 棒読みの僕の言葉は、朝陽をあびた階段に流れるように消えていった。


 心療内科は、地下鉄とバスを乗り継いで行った。町中のビル群は、一定の高さで揃っていて、それはそれで不思議な違和感を残す。

 繁華街の交差点、オーロラビジョンでは、新たなAIを備えた次世代型の介護アンドロイドが品性に欠けたコマーシャルの喝采を受けていた。

 そういえば、国の大臣が人と人型アンドロイド、「ヒューミニック」への差別的な発言で追及を受けていた。「ヒューミニックが多いと議論が深まらない、独創的なアイデアが生まれない」と言ってしまったのだ。

「こんにちは、診察券をお願いします」
 受付のヒューミニックは、前時代の懐かしいフォルムだ。

「あと10分ほどでおよびしますね」

「ありがとう」

 笑顔がでたのだろうか。分からなかった。僕はクリニックの妙にカラフルなソファーに腰掛けた。待合室には、同い年くらいの女性が一名。

 人とのやり取りが減っていったら作家としては由々しき問題だと僕は思った。会話を描くことが難しい。「人間らしいから」と言ったゆいさんの言葉を思い出した。あの大臣と変わらないな。僕はため息混じりになりながら、なぜか少しにやけていた。

 まだ、一作品も仕上げていないのに滑稽な話である。けれど、不思議と自分が何か社会に嘱望される新人作家のような気持ちすらわいてくるのだから危ない。

 右拳の感覚がよみがえると、笑みは即座になくなり、僕は待合室の天井をこの世でもっとも無機質な顔で眺めていただろう。

「河野大地さん、一番の診察室へどうぞ」

 人かそれでないものかわからないがアナウンスが聞こえた。僕の思惟は別の場所を漂いはじめていた。

つづく 
 

 
 

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