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【連載小説】私小説を書いてみた 1-4

前回のお話https://note.com/sev0504t/n/n2e5c7f1838c8
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異変

 神は乗り越えられる者にしか試練を与えないらしい。乗り越えられない者がいれば神様のせいにしていいのかな。

 僕は痛む左手を氷で冷やした。自分で傷つけ自分で治療する。そんなやつに間違って神様も試練を与えたのだろう。神の福音は分かりやすい方がいい。例えば僕宛に銀行に大金を振り込むとかがいい。

 そんなくだらないことを考え、感情を鈍化させていた痛みは、疲れた無神論な僕を憔悴させるに十分だった。

 理彩の顔が浮かんだ。自分はもう逃げたくなかった。どんな弱々しい信念も、傷だらけの左手も、将来への不安も全部飲み込むマレー獏を見た。

 どれほど眠ったろう。僕は枕元の抜け毛を見つめ、そのあと時計を見た。午後3時。携帯電話が緑色にまばたく。着信があったのは、大学時代からの友人の陸からだった。

 ちょうど3ヶ月前。僕と陸はライブハウス「mercury club」にいた。

 「じゃあ、来週お世話になります」
 陸がカウンターの店長に軽く頭を下げた。
 「いつもありがとう。対バンだけど、地元のシンガーソングライターの理世って女の子と、グランジっぽいスリーピースバンドだからよろしくね」

 ライブハウスはリハをしているバンドのメリハリの聞いたベース音がお腹に響いていた。カウンターのあるフリースペースには九割九分九厘メジャーになれなかった過去の出演者の落書きとサインが壁にびっしり書かれている。

 大学で始めたバンドの活動が、社会人になっても続いていることは驚きだった。メンバーはそれぞれ公務員やら会社員やら、真面目に安定して働いている。ドラムの児山さんは最近結婚したし、長い付き合いの陸も会うたびに新しい曲やバンド活動について熱心だった。負担ではなかったが、正直付き合いのようなそんなバンド活動だった。

 そんなことを思うとき、僕は自分がそこまで音楽が好きではなかったのかと、妙に腑に落ちた感覚を得るのだった。

 宇宙ステーションのハッチのような頑丈な防音扉を開けて外に出ると喫煙スペースで煙草を吸った。
 「相変わらず広かったな」
 僕は缶コーヒーを開けると半分くらい一気に飲み込んだ。
 「ちょっとチケット代が高いけど、ひとり8000円でできるんだから、結構いいだろ」

 「陸は楽しめるからいいけど、おれはいつも余裕がないからな」

 「児山さんにも連絡しとくわぁ。久しぶりで同僚の人呼びたいって言ってたしな。湊は誰か呼ばねーの」
 「誰もいないな。てか、余裕のある人はいいよな。こっちはリズムキープで精一杯で、楽しむ余裕がほしいわ」 

 「湊ももっと楽しんじゃえばいいんだよ。どうせおれら自己満ライブなんだからさぁ。公務員がいるバンドなんて本気だと思うやついねーよ」

 「そうだな」

 僕は真上に向かって煙草の煙を吐き出した。空にはうっすら薄い月にが見えていた。少しだけ喉に痛みを感じる。

 「本気ねぇ」と僕は呟いた。

 理彩のことが頭をかすめたが、誘うのはやめておこうと思った。採用試験の結果もまだだったし、理彩はもともとこういう場所は好きでなかった。

 あのライブの日のあの場面を僕は鮮明に思い出す。一人でアコギ一本でステージに立った19歳の少女、理世がいた。必死に歌い上げる彼女の姿に、僕は感覚を持ち上げられていた。

 素直で正直な歌詞。綺麗事が満ち満ちた世界を憂い、前向きな同年代へのエールのような。懐かしい感情が僕のなかにも顔を出した。
 彼女のかき鳴らす6弦に呼応するように聴衆は圧倒され、眼で音を聴いた。


 夢は叶うと 教えられることに
 飽きたわたしに 感情を教えて
 夢を叶うと 教えられた私に
 フレディの  一生を教えて

 
 会場の雰囲気は確実に変わり、わずか3曲の演奏はあっという間だった。

 拍手が自然と沸き起こり、最後に見せた少女の笑顔は達成感と成就感に満ちていた。小柄な彼女の後ろ姿は広く大きく見え、スポットライトが徐々に消えていくことを口惜しく眺めた。


 その後、僕らの演奏が始まる。
 相手に何かを伝えようとか、真摯に音楽に向き合うとか、そんなものとはほど遠かっただろう。たくさんミスもしたし、MCも間延びした感じでそりゃ酷かった。
 陸は楽しんでいた。ベースのヘッドがたくさん揺れていた。僕は決めのフレーズを誰が聴いても分かるくらい間違えた。児山さんは、そんな僕に表情を変えずリズムを刻んだ。

 ステージから降りると僕は変な汗が止まらなかった。スポットの熱で顔は火照り、出番の前に飲んだ麦酒が逆流するような感覚と喉の痛みを感じた。


 演奏を終えた僕は楽屋へ繋がる通路でその少女とすれ違った。
 彼女の眼は怒りに燃えた猫のように僕を見つめた。一瞬だった。が、網膜に焼き付くように、少女の視線は僕をとらえて離さなかった。僕は胸の鼓動が止まらなかった。

 僕は楽屋で「mercury club」スタッフパスのシールを虫でも払うようにすぐはがした。

 「音楽を冒涜するな。お遊びなら帰れ」と彼女の眼は言っていた。あの少女の眼を僕は一生忘れないだろう。その鼓動の苦しみも。

 記憶と手の痛みが一体となっていた。
 ギターが、相変わらずリビングに横たわる。なんの罪もないのに。
 腕と手の痛みをこらえ、陸に電話をかけようと思ったが、いい話はできないような気がして断念した。

 やっぱり神様はいない。絶望が僕を見つめるもう一人の僕と笑った。

つづく  
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