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【ショートストーリー】11    銀の翼で翔べ

 銀世界の住人になって一年。亮太は、ジュニアサイズのスキージャンプ台にいた。

 南国育ちの亮太にとって人生最大のまさかだった。初めて赴任した山奥の小学校でスキー部の顧問になるなんて。しかもアルペンスキーでもクロススキーでもなくスキージャンプ部だ。

 「おーい、いいぞ」
 亮太が合図をすると、六年生の彰矢が前屈みから踏み切り、見事な飛行姿勢を保ちランディングに至る。冬のはりつめた冷たい空気に、着雪した小気味良い音が響いた。

 「ナイス、彰矢。20mはいったな」
 「ちょっと踏切ミスったかな。もう一本いってくるよ先生」
 「おう。がんばろう、大会も近いしな。上にいるカナはどうだ。いけそうか」
 「びびってるよ。先生カナには無理じゃない。まだ四年生だしさ。俺は四年からやってるけど。カナは女だしさ」
 「彰矢、男も女も関係ないぞ。大丈夫だよカナもできるさ」
 
 ジャンプ台の上には、コーチとカナが何やら話しているのが分かる。踏みしめられた雪と斜面に侵食された土色がわずかにまばらにのぞき、重々しい鉛色になった雪の上でカナが不安そうにこちらを見ている。

 「よーし」
 亮太はカナと目が合うまで待つと、その瞬間を逃さず大きな声で言った。
 「カナぁ、絶対できるぞ。とんだら気持ちいいぞ」
 「先生はとんだことないから言えるんだよー」
 カナは即座に大きな声で答えた。

 「もし、先生がとんだら。カナもとぶかぁ」
 亮太は言った後に、「しまった」と思ったが、久しぶりのジャンプ台を前にそんなことを言ってしまうくらいアドレナリンが脳内から全身に満ちている気がした。
 運が良いのか悪いのか、亮太の初心者セットのアルペンスキーの板が、木陰にたたずんでいる。

 「先生がとんだら考える」
 カナは少しだけ口角をあげて笑ったように見えた。亮太はぐっと拳を握り、一呼吸おいてからカナをまっすぐ見つめた。
 「よーし、待っとけ」

 亮太は、隣街のスポーツ用品店で買ったスキーの板を担ぎ上げ、階段を上る。
 「ええ、マジで先生」とカナの驚く声が頭の方から聞こえた。

 「20mちょっとだろ、そのくらい跳べる」と根拠のない自信は亮太にあった。「俺は体育の成績5だぞ。見てろよ」と意気込んだ。中学の成績なんてあてにならないが、今はやればできると思い込むしかなかった。

 「先生、本当にでいくんすか?」
 スタート地点に着くと、コーチの大学生、東くんがやめた方がという顔をしていた。
 「大丈夫。カナも先生がとんだらとべるよな?」
 「たぶん。でも先生本当に大丈夫なの。やめなよ危ないよ」
 カナは下を見ながら小さな声で答えた。

 「見てろよ…」
 と言った時に、初めて亮太はその高さと景色の違いに思考も動きも止まる。それは三階建ての家から飛ぶような、しかも鉛色に光る、さながらコンクリートの世界だ。
 「マジでやるんすか?」
 その表情の変化を察したのか東くんは心配そうに亮太の顔を覗いた。
 「おう。二言はない。保険にも入ってる。骨折したら確か三万円だ」

 「がんばれ先生、やちゃえ先生」
 カナはだんだん嬉しそうな顔に変わり、なんだか変なテンションになっている。

 スタート地点、簡易の木製の腰掛けに座り、呼吸を整える。

 「いけるぞ、行ける、行けるのか、行けるはず」
 亮太は自分の拍動を感じそのリズムでスタートをきった。

 勢いよく滑り降りる。二つのスキー板が揺れ、スピードが上がる。過ぎ行く景色が雪色に混じり、亮太は風と雪と自分が一体になった気がした。

 次の瞬間。

 数秒の浮遊感。世界が変わる。鉛色の雪世界が輝きだした気がした。
 しかしその刹那、瞬間で天地が返り聞いたことのない鈍い音と頭に金属バットで殴られたような衝撃が走る。固い雪の上を大きなマリオネットのような滑稽な姿が滑りおりた。

 「大丈夫、先生」
 寝転んだ亮太を駆けつけた彰矢が今まで見たこともないようなものを見つめるように心配そうに亮太を覗きこむ。

 「いてて…こりゃスゲーな、スゲー」
 亮太は高鳴る鼓動とそれが引き連れた気持ちを押さえきれなかった。いつか見たフジロックのあの興奮に似た熱狂。血液が沸騰し、痛みを忘れるほどの高揚感。あの一瞬の、わずかな世界の変化を亮太は思い出し反芻した。と同時に激痛が身体を襲う。


 痛みをこらえて起き上がると、上を何かがとんでいく。それは美しい飛型を描き翔んだカナだった。

 あの世界をカナは翔んでいる。わずかに開いた両腕のシルエットには銀色の翼が見えた。

 

10年後…

 「さぁ、ワールドカップ女子ジャンプ第15戦の戦いも大詰め。最後のジャンパーを残すのみとなりました。日本の山城カナ。一回目はヒルサイズを越えるビッグジャンプ、これで優勝を決めるか。今スタートした」

 アナウンサーの興奮に満ちた声がテレビから流れ、亮太は祈るように見つめる。

 「風は十分だ、翔んだぁ」

 あの日と同じだ。
 美しい銀の翼が、亮太には見えた気がした。

 おしまい

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