雄手舟瑞物語#41:バイトを越えた仲間たち

2000年9月にインド一人旅から帰ってきた僕は、好きじゃなかった大学により一層興味を失っていた。テニスサークルも止め、専らテレオペの深夜バイトをして、そのバイト仲間と遊んでいた。

当時は個人情報保護とかも言われてなかったしやりたい放題だった。そのバイトは池袋のそれなりに大きなビルの数フロアがコールセンターになっていた。僕のいたフロアは、半分が社員席、半分がコールセンターで、バイトは三つのグループに分けられていた。メインの受託業務は夕方以降の夜間受付代行だったため、17時から22時頃の間はバイトが50人はいて結構賑わっていた。

バイト仲間の半分以上は近隣の大学の幾つかのサークルの大学生の1年生から4年生で構成されていて、男女比は半々くらい。だいたいそのサークルに入ると深夜で時給1200円と当時にしては割が良かったこのバイトを後輩に紹介していくという慣習があった。

22時以降になるとフロアには15名程度になり男だけ。夜中の1時から4時まで、もしくは4時から7時までの3時間の仮眠もとれた。夜中になると電話が鳴ることは1時間に一本くらいで、今のようにフロア内に持ち込みできる所持品が制限されたりすることもなく、資格の勉強をしているオジさんもいれば、読書をしている人、ポータブルCDプレイヤーで音楽を聴いている人、フロアで唯一ネットができるパソコンでエロサイトを見てる人々(といっても今のように動画サービスなどは当時はなかったけど)、落書き帳に絵を書いたり、文章を書いている人々などなど、部室のような雰囲気だった。

これが楽しかった。まだ僕は大学2年生だったため、上の世代の方が多く、インド行ったり、髭をはやしていたり、バンドやっていたりという僕のスタイルを気に入ってくれてたのか皆がかわいがってくれた。その当時、深夜メンバーの中で流行っていたのがカメラだった。隣のグループに二木さんというアフロヘアで怖めな感じの人がいたのだが、この二木さんが大学に行きつつ、写真の専門学校に通い始めたということで流行りだした。

二木さんが職場に持って来ていたカメラを皆に使わせてくれたり、写真を見せてもらったりしている内に「かっこいいー!」となり、アートとかデザインとか音楽とか、そっち系に興味を持っていた5人くらいのメンバーは一斉に中古のフィルムカメラを買いに行った。

僕も二木さんに着いてきてもらい、マグロ漁船でマグロを釣っていたと言う店主がいる新宿のラッキーカメラでオリンパスのOM-1を手に入れた。

それからは皆、バイトにカメラを持ってきては、深夜のバイト先で写真を無駄に取り合ってはバイト明けの朝に職場近くのサクラヤで現像していた。他にもこのメンバーを含めたバイト仲間とはスケボーが得意なタテちゃんに影響されてスケボーを始めてみたり、月イチで茨城の守谷で11人サッカーをしたり、温泉に行ったりして遊んでいた。

とにかく、あの時代はずっと彼らと一緒にいた気がする。

そんななか、僕はバイトの中に好きな子ができた。

(つづく)

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