自分はどうやってブレてきたか、負けず嫌いと憧れ(偶然日記#16)
偶然日記#12で「ブレるって悪いこと?ブレてこそ分かるブレてないこと」という記事を書いた。書ききれてないと思ったので、もう少し具体的に自分がブレ具合を書こうと思った。9割書いたところで誤って消してしまい元に戻らず(泣)書き直そうと思ったが前の良い感じに囚われてうまく書けず。一旦寝かせることにして寝た。うまい!
これが数日前。
週末に書こうと頭の片隅に置いていた。僕はnoteで書くようなことをよく職場でペチャクチャしゃべっている。今週は、「ブレるって悪いことじゃない」という話をよくしていた。
僕は職場でプロジェクトやキャリアについてよく話をされる。プロパー社員がほとんどの職場で、プロパーでもない、役職もない、会社の中にいるけど社員じゃない、たまたま飛行機で席が隣りになったおじさん、いやお兄さんくらいの気軽な存在で僕は認識されているからなんだろう。僕自身もそういう話を聞くのは好きだし、ここ数年、その自分の性質は第一子の長男だからかなぁなんて思い、むしろキャリアセンターの人みたいなことを楽しんでやっている。そして、みんな色々な状況を良くしたいという思いを持っている良い人たちだ。
今はちょうど40歳になったが(改めて40歳と書くとビビる)、元々は「べき論」を結構話してたが、徐々に弱くなってきて、去年の「Follow your bliss.(自分の至福に従え)」という比較神話学者ジョセフ・キャンベルの言葉に出会ってからは、露と消えた。※なぜその言葉が沁みたのかは、ローング・ストーリーになるので、ちょっとずつ「雄手舟瑞物語」で振り返っている。
だから、相談に乗るというか、単純に話を聞いて、僕の楽しみは分析することだけ。カチャーンとレジのドロアーが開いて会計金額を伝えたら僕は満足。あとは知らない。またお店に来たら、新しい話をバーコードスキャナーで読み込むだけ。買った商品をどうするかはあなた次第。三つ子の魂をハンドルできるのは、そのドライバーしかいないし、僕は僕で自分の魂をハンドルするだけ。
職場や居酒屋では事故現場で溢れかえっている。魂の乗っ取り事故。赤信号で停まっていると、悪党がいきなり銃を突きつけてくる。
「ドアを開けろ!」
悪党が銃を突きつけたまま車に乗り込み、あっち行け、こっち行けと指示を出す。
「いや、赤信号です。」
「うるせー!黙って車を出しやがれ」
「・・・」
職場や居酒屋では怪談話で溢れかえっている。車を走らせていると、前方に何か標識が見えた。車を停める。
「この先、崖」
「この先、崖か。」旋回しようと後ろを確認する。後ろから何十台という車がこっちに向かってくる。彼らに知らせてあげようと、車を降り、両手を振って合図をする。気づく気配がない。
「おーい、この先崖ですよー!」
車のスピードが落ちた。が、まだこちらに向かってくる。走って車に駆け寄り、車の中をのぞき込む。
誰も乗っていない。
こっちの車も、あっちの車も誰も乗っていない。車は止まらない。ひたすら前に進み、標識を越えていく車たちを見送るしかなかった。
話を戻す。
偶然日記#12で「ブレるって悪いこと?ブレてこそ分かるブレてないこと」という記事を書いた。書ききれてないと思ったので、もう少し具体的に自分がブレ具合を書こうと思った。9割書いたところで誤って消してしまい元に戻らず(泣)書き直そうと思ったが前の良い感じに囚われてうまく書けず。一旦寝かせることにして寝た。うまい!
週末に書こうと頭の片隅に置いていた。僕はnoteで書くようなことをよく職場でペチャクチャしゃべっている。今週は、「ブレるって悪いことじゃない」という話をよくしていた。
20代半ばの子と話していたとき、「「ブレることは悪くない」ってことはなるほどと思うが、その一歩が出ない。」と言う。
「確かに。」と思った。
自分は「どうしてブレられたんだろうか。」と考えた。一つは身近に憧れの存在がいたことじゃないかと思った。だいたい5年から10年単位で、そんな人物が現れては、「その人みたいな生き方がしたい」と思って、真似しようとしてきたなぁ、と思い出した。そこで、
「誰か憧れみたいな人っていなかったの?」と聞いてみた。
「いないです。強いて言えば、モデルさんとかのメイクとかファッションを真似はしたけど・・・。」
「身近では?」
「大好きな友達がいますっ!でも、真似するってことはないですね。」
んー、もう一度自分のことについて考えてみた。あっ、。身近に憧れの存在がいたということと、もう一つは、父親から譲り受けた、というか、父親に対する反骨心?負けず嫌い?反面教師?の要素が影響しているのかもと思った。
僕は小さい頃からアートや音楽、物語が好きだったが、7歳の頃から家業を手伝い、その後も苦労して商売をしていた父親のイライラの標的になり続けていた。「お前みたいな温室育ちがそんなんで飯は食えねえんだよ」「下手だな」「能書きばかり言いやがって」「雑音を消せ」「安定が一番なんだよ」「ここは日本なんだよ」
2億円の借金を返して盛り返しただけのことはある。まぁまぁ正しかった。僕は憎悪の念を育てながらも、絶対的な父親の存在に、「親の言うことを聞くのが家族にとって良いことなんだ」という長男らしい発想の転換で、”悲劇の主人公”である自分を慰めていた。しかし父親譲りの反骨心で、そう言われれば言われるほど、哲学やアートや文学、音楽などに関心を持つようになった。ちょこちょこ手は出しながらお金を貯めていた。結局、社会人3年目までは勝手に親の言うことを聞いていた形になったが、26歳の時に海外芸術大学の予備校に進学してスタートを切った。
「父親を見返してやる」という思いが、父親が嫌う世界への憧れを強くし、自分を突き動かしていた。エディプス・コンプレックスの典型。笑える。昔から友達にも「お前の目標は親父越え」と言われていた。にも関わらず今は諸事情があり、一緒に住んでいる。母親からは一番遠くにいるべき二人がと心配されているが、まぁ何とかやっている。コツは最低限の普通の会話をたまにして、「はいはーい、はーい」と言ってスッと帰る。
結果、今は、途中のプロセスに対して良かったと思っている。プロセスの最中は悪いと思っていた。だから、逆に安定すると不安定を求めてしまう癖がついてしまった。それが良いのか悪いのかは誰も分からない。ただその魂をハンドルしていくしかない。人それぞれ。
他人に話したい時は話せばいい。
自分でやるときはやればいい。
ただ、他人に話すときは、当て逃げ犯と無人運転には気をつけて。
しまった。またブレてしまった。。。「自分はどうやってブレてきたか」については、また書きます。
※次回の「偶然日記」は8/5月曜日予定。「偶然日記:今の日常を綴る」と「雄手舟瑞物語:青い鳥を探し続けた男が見つけたもの」を毎日交互に掲載しています。明日は「雄手舟瑞物語」です。
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