偶然スクラップ#35: Frieze Writer’s Prize 2019: Announcing the Winner (Frieze Writer’s Prize 2019: 受賞者発表)
(追記:2019年12月31日)
noteで「書く」なんてことをやっていると、やっぱり「どうやって書くのか?」ということが気になる。ついアウトプットと基本の習熟はおざなりに、他の方法論が気になってしまう。正解はないのだが、生身の先生がいない以上、そうやってあっちこっち先生らしきものにぶつかりながら、進んでいくしかない。
それで、「どうやって書くのか?」ということで、Friezeの新米ライターさんのコンペがあるらしく、この記事はその受賞者発表のものだ。
「これはいい!」どんな文章が評価されたのか。良い文章を書くには、良い文章から学ぶに限る。良い文章かつ自分が好きな文章か。
分析してみると、
審査員は、受賞作品は「繊細でありながら情報に基づいており、アート批評のより個人的で親密な形式について強く主張している」と述べていました。(引用。詳しくは初投稿の記事を参照。)
どうやら「情報に基づいて」いるにも関わらず「個人的で親密な形式」で「繊細」に書けてるのが、すごいらしい。方法論的には至って普通なのだが、普通ができるのがすごい。じゃあ、一言一句は一旦脇に置き、構成ぐらいは学んでみようということで、構成をみてみた。
シンプルに4段落。
一段落目:展覧会場の入り口に立ったときの空気が伝わる。展覧会の説明と個人の感情の説明のバランスがよく、アパタイザーのように軽めの入り。
二段落目:作品の説明。ここには個人の感情の説明はなく。ひたすら作品を言葉で写生している。小説の神様。
三段落目:このライターの作品の切り方を、アーティストの背景とテーマの背景の事実をベースに短くピリッとシャープに書き上げる。
四段落目:展覧会を見終わり、このライターの中に残った感情を自分の出自とかの自分の事実と結びつけ、このライター自身の言葉で展覧会に普遍性を与えて締めくくる。
見事。この批評家の名は、Kojo Abudu(コージョー・アブドゥ)。これ以後、彼の記事を拾って読んでみるが、同じく面白い。
(初投稿:9月11日)
欧米のアートメディアの記事の中から、雄手が気になった今ホットな展覧会情報やアートに関する話題を引用紹介。(注)基本は『Frieze』から。
本日も、ロンドンに拠点を置くアート雑誌『Frieze』から引用紹介。
(2019年9月6日付記事)
Kojo AbuduがパリのKamel mennourでのLee Ufanの展覧会のレビューで2019年度の賞を受賞
Friezeは、パリのKamel mennourで開催されたLee Ufanの展覧会「From Point, From Line: 1976-1982 (点から, 線から: 1976-1982)」のレビューで、2019年度のWriter’s Prizeの受賞者としてKojo Abuduを発表できることを嬉しく思います。今年度の賞は、ライターでキュレーター兼friezeの寄稿編集者のOsei Bonsu, 小説家で批評家のMaíra Gaínza及びfriezeの編集委員のEvan Moffittによって審査されました。
審査員は、受賞作品は「繊細でありながら情報に基づいており、アート批評のより個人的で親密な形式について強く主張している」と述べていました。
Frieze Writer’s Prizeは、新しいアート批評家を発掘、奨励するための毎年行われる国際的な賞です。受賞者は、friezeで公開されるレビューの執筆を依頼され、2000ポンド(約26万円)が授与されます。
Osei Bonsu: ロンドンとパリを拠点とするキュレーター兼ライター。Friezeの寄稿編集者。
Maíra Gaínza: ブエノスアイレスを拠点とするライター。2019年4月にCatapult社(出版社)より彼女の小説『El nervio óptico (The Optic Nerve)』の英語版を出版。
Evan Moffitt: ニューヨークを拠点とするライター兼批評家。Friezeの編集委員。
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Lee Ufan: From Point, From Line: 1976-1982
kamel mennour, Paris
3 June - 20 July, 2019
パリのギャラリー「kamel mennour」に設置されたLee Ufanの8つの詩的な作品に対峙すると、私の呼吸は遅くなり、より深く、より慎重になる。1970年代と1980年代に制作された一連の作品の中で、Ufanの描いた印は、ある瞬間に物資的に密度が濃くなり、繰り返し優雅に裸のキャンバスの無限の空間に溶け込んでいく。瞑想的で脳科学的で宇宙的でさえある、これらの抑制された絵画は、Ufanのシンプルでありながら非常に慎重なプロセスを反映している。
Ufanはキャンバスの上に浮かんび、幅広い毛先の丸い筆を油と糊と鉱物顔料の混合物に浸すことで、彼はエレガントな印を作る。「From Point (点から)」の絵画群では、彼はキャンバスに顔料で満たされた筆を軽く叩くような動きで当てて、顔料がなくなるまでその動きを繰り返し、その後、筆を濡らして、最初からやり直す。これらの身振りにより、連続するドットの印が発生し、魅惑的なスパイラルと無数の水平な列が形成される。それらは順番に視界に入ったり、視界から消えたりする。「From Line (線から)」の絵画群は、同様の手続きの流れに従っている。Ufanは、制御された呼吸を一つ吐いている間に、ゆっくりとブラシをキャンバスの上から下に引きずりおろす。このアクションの繰り返しは、キャンバスの長さを引き伸ばすような長くて緊張感のある線を生成し、存在から不在まで連続的に変形させる。
上記の激しい肉体的なプロセスは、アーティストの文化の違いを越えた感性に少なからず由来する。1936年に韓国で生まれ、現在パリと東京の間で生活と仕事を行っているUfanの絵画は、東洋と西洋の美的及び哲学的な視点を引き出すと同時に超越する。若い頃、Ufanは書道の指導を受けた。書道は繰り返しの動作と完全な集中の両方を含む伝統的な修練です。1956年に哲学を学ぶために日本に移ったUfanは、Foucault, Heidegger, Merleau-Pontyの概念に出会った。これらのヨーロッパの思想家は、「Mono-ha (文字どおり「もの派」)に対して、このアーティストの注目に値する理論的貢献に影響を与えた。「Mono-ha (文字どおり「もの派」)は、日本で現れた最初に国際的に認知された前衛運動の一つである。1960年代の芸術運動で取り入られた徹底的なアンチ・モダニズムと繊細な現象論的態度は、10年後にUfanが制作した絵画を特徴づけることになった。
ギャラリーの壁に沿って、絵画から絵画に移動すると、私は自分の呼吸がUfanの描いた印の静かなリズムと一致することに気づいた。彼の絵画は、これまで私が経験した他のものとは異なる振る舞いをした。それらは表現や言語を越え、イメージよりももっと壮麗な門のような振る舞いをした。それぞれのドットは、時空間のスライス、Ufanの意識の瞬間的な肯定、彼の身体的存在の痕跡だった。同様に、ドットのそれぞれのシーケンスと引かれた線は、時空間の連続体、Ufanの存在の時間的な記録、彼の世界内存在のプロセスに関係する驚くべき事実だった。それらの作品との落ち着いた「出会い」が続いた一定の時間中、私が若い黒人のアフリカ人であり、このアーティストがそうでなかったことは問題ではなかった。私の身体と意識はUfanの絵画との対話に入っていき、絵画は無限の空間と時間の空白を開いた。おそらく、私たちのような政治的に分裂した時代に、Ufanの作品は、猛烈に必要とされるタイプのアートである。なぜなら、その作品は、普遍性のために注意深く懸命に努力を重ねるアートだからである。
Kojo Abudu: ロンドンとラゴスを拠点とするライター
(翻訳: 雄手舟瑞)
こんにちは