許すと言う事とは?
以前働いていた職場では、20代後半の若い店長と同じく若い副店長のいる店舗でした。
40も超えたパートのおばちゃんから見たら、どちらも若くてよく頑張っているな。と言う印象だ。
店長はとにかく若い女性社員に対して厳しい。早く仕事をこなしてほいしのか、とにかく優しくなかった。
副店長は仕事はできるけどやや不真面目な生活が垣間見えたりだが、私は嫌いではなかった。
店長の不機嫌は、場の空気を凍り付かせることがよくあり、パートのおばちゃん連中に指摘される事もしばしば。
そんなある日、副店長と2人で仕込みなどをやっている時に、彼が『店長はまだ人を許せないんでしょうね。』と、ぼやいたのだが、それがとっても仏教的でいいなと思ったのです。
人を許すって1番難しいけど、1番優しい話ではないだろうか?
昔テレビで、アメリカの連続殺人犯が被害者遺族と対面すると言うのを何となく観ていたら、当然皆さん罵り罵倒している中、敬虔なクリスチャンのお父さんがただ唯一、犯人に対して『私の娘はあなたに殺された。沢山の夢や希望があったが、あなたに殺され奪われた。この悲しみは一生癒えないけれど、私はあなたを許す!』みたいな事を泣きながら震える声で目の前の犯人に伝えた場面があり、その時の犯人はそれまでたくさんの罵倒にもニヤニヤと反省の色もなくやり過ごしていましたが、『あなたを許す』の言葉で突然犯人が泣き崩れたので印象深く憶えている。
許すってものすごいパワーがいるが、許すと言うのは、怒りをぶつけるよりいい方向に人の心を動かすのではないだろうか?
許したおとっつぁんも、信仰を深く持っていたからできただけで、普通じゃできないと思う。
ここまで大袈裟な話ではなく、私達も些細な許しを実行してみてはいかがなもんかと思うのだ。
運転中道を割り込まれたとか、会計の時レジでもたつく人とか、ネットの中で無礼を働きかけてくる人とか、貸したもの返さないやつとか、友達の裏切り、迷惑などなどなど…私達毎日頭にくることが多いですが、頭に来ても許してみたらどうなるかな?
許される事にぶら下がる馬鹿はもちろん一定数いるけれど、許した時の私はいつも心が晴れているよ。