社会人になってからを振り返る②

昨日の続き。

 社会人6年目になった今、これまでを振り返って感じたこと、思ったことはこんな感じ。

1.人の痛みは自分が同じ経験をして初めてわかる

2.謙虚さが過ぎたら卑屈になり、自分が嫌いになる

3.幸せについて考える

1.人の痛みは自分が同じ経験をして初めてわかる

 自分の周囲にも精神的に参ってしまった人や、そういう状況だったことがある人はいた。しかし、そんな人に対して自分は「あらーかわいそう。ドンマイ。」くらいの感想しかなかった。それか、「他の人より気を使って接しよう。」とかそんなもんだった。

 けど、今では気を使って接しられることがとてもツライとよくわかる。そういう態度は露骨にバレるもので、非常に傷つく。もう自分は普通の人間では無いんだと感じさせられる。これが非常に堪えた。

 3年目の時に、仲良くしていた同期が残業時間ダントツの部署に異動になった。彼とはよく飲みに行っていたのだが、異動があってからは全然そんな時間がないようで、飲みに誘っても全て断られていた。廊下ですれ違っても全然余裕がないような感じだった。異動から一年後、彼は退職した。最近になってやっと当時の彼の苦しみがわかるようになった気がしている。(彼はその後市役所に入った。この間会ったときは、彼らしさを完全に取り戻していた。)

 もう一人、精神を病んだ同期がいた。彼ともとても仲良くしていた。彼は自分と同じように事務職から営業に配置転換されたクチで、よくラインでやり取りしていた。彼がやっている仕事がどれだけ激務かーとか、どんな失敗をしたーとかをよく聞いた。そして繁忙期に入ってしばらくして彼から電話が来た。曰く、死にたいと。自分はとにかく聞きに徹した後、仕事やって死ぬより仕事辞めて生きた方がいい、同期が会社からいなくなるのは悲しいが、友達の君に死なれた方が悲しいと言った。そしたら、とりあえず彼は落ち着いて、電話は終わった。そのあと、彼はしばらく仕事を続けたが、やはり1年で会社を去った。その後、自分は完全にその彼と同じ苦しみを味わうことになった。自分が渦中にいた時はよく彼に話を聞いてもらった。もっとも自分はまだその会社に勤めているのだが。(彼は今では結婚もして、元気にやっている。)

 そんな経験をして、メンタルやられた人の痛みがよくわかった。自分が同じ経験して初めてわかった。だからそういう人が周りにいたら、力になりたいと思っている。力になれると思っている。優しさってなんだろうと以前に考えたことがあったが、やはり人の痛みがわかるから人に優しくできるっていうのはあてはまるんだろうなと思う。(最近の化物語マンガ版で羽川がそんなこと言ってた。)

2.謙虚さが過ぎたら卑屈になり、自分が嫌いになる

 自分は昔から、それこそ小学生の時から謙虚であることはいいことだと、美徳だと思っていた。まあ悪いことだと思う人もあまりいないだろう。自分は高校から弓道をやっていて、弓道(多分武道全般的にそうだと思う)でも謙虚であれと教わると思う。自分なんてまだまだですっていう具合に。社会人になってからも、自分の性格上、仕事を頼まれたらそれをやり遂げるのが当たり前だと思っていた。義務と思っていた。だから、仕事やって感謝されることがあっても、義務なのだからやって当たり前で、礼を言われるいわれはない、とすら思っていた。感謝されたりすごいって言われたとしても、それはあくまで他人の評価であって、他人の評価に気分を左右されるのは良くないとも考えていた気がする。そんな自分が謙虚は美徳ということに疑いを持つようになったのは本当に最近だ。

 なぜ謙虚であれという絶対の価値観に疑いを持ったかというと、メンタル病んだ時に読んだ「うつヌケ」という本のためだった。その本曰く、「うつになる理由を簡単に言うと、自分が嫌いになったから」だ。自己肯定感の欠如から精神を病む。そう考えると自分の性格はとてもメンタル病みやすいと気づいた。人からの感謝の言葉を、「そんなもんいらん」と投げ捨てているようなものなのだから、自己肯定感は得られないよね。自分をほめるということに無縁であったかもしれない。そんな自分が営業職について、仕事で失敗ばかりしていたら、もともと自己肯定感が低かったのが、自己否定にブーストがかかった。そしたらいつの間にか性格が「謙虚」から「卑屈」になっていた。そしてそんな自分が嫌いになって精神病んだ。

 だから、今では人から感謝されることがあったら素直に受け取るようにしている。謙虚さが行き過ぎると卑屈になるとわかったから、バランスが大事だと肝に銘じている。仏教でいう中庸みたいな。

3.幸せについて考える

 社会人になる前、やりたいことがあるわけじゃないし、みんなと同じようにサラリーマンになって、人並みに給料もらって、人並みに生きることができればそれでいいんだと思っていた。だってみんなそうやって生きているんだからと思って。で、そうやって会社に入って、働いて毎日過ごしていたけど、人生つまらんなーと感じていた。だから楽しいことを探して色んなことに足をつっこんでみた。一人旅したり、会社のおじさんたちに誘われてゴルフに手を出したり。誘われてスノーボードもやってみた。カメラを買って写真撮影にいそしんだこともあった。やたらドライブしてた時もあった。けど結局どれもいまいちって感じだった(今でもたまに写真撮ったりするけど)。「人生楽しくない」はそのうち「人生ツライ」に変わってゆく。

 仕事が辛くてしょうがない時は「オレこんなに辛くてなんのために生きてんだろう」みたいなことをよく考えていた。いつの間にか「死にてー」が口癖になっていた。本当に自分が消滅してほしいと思っていた。幸せと思える人生を送りたいと思った。精神がそれなりに復活してきてからは楽しく生きるのには、幸せに生きるにはどうすればいいのか考えるようになった。そしたらいつの間にか哲学の本を読むようになっていた。

 飲茶先生(心の師)の本に哲学の面白さを教えてもらい、考えること自体が面白いと最近は感じている。これまでの価値観がずいぶん変わった。今の自分はかなりの快楽主義者だ。楽しさ至上主義。今の自分の考えをまとめてみたい。とりあえず幸せについて本気出して考えている今日この頃である。

 とりあえず社会人になってからを振り返ってみた。やっぱメンタル病んだ影響がでかいな。そういうツライことがあったから人に優しくなれて、考え方も変わり人として成長するのかもしれんが・・・。つらさと成長を天秤にかけてどっちがいいかと言われるとノータイムで成長とは言えないわ。当時の日記とか読んでみるとやっぱ心えぐられる。だが、当時の考えとかを日記に残しといてよかった。いろいろ考えされられる。

こんなもんで今日は終わり。

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