弓道について
高校1年生の時に弓道部に入部して、大学でも弓道部に入った自分はそれなりに弓道ガチ勢だったと思う(高校の時に弐段とって以降審査受けてないけど)。そして、社会人になって少し弓から離れて、また最近道場に通うようになった。
そんな最近の自分は、大学生の時とかなり弓に対する考え方が変わったと思うので、自分の考え方をまとめたい。
1.これまでの自分の考え
「絶対中てなきゃならん場面でいつも通りに体を動かしていつも通り中てる(実力を発揮する)ことができる」
極論、外したら死ぬような場面でも上のことが実現できることが一番重要だと考えていた。そのために、練習を試合に近づけ、試合を練習に近づけることが肝だと思っていた。どれだけ本気で練習に臨めるか、試合中は自分を客観視していつもの自分を再現できるかが真髄であると考えていた。
どうしてこんな考えが形成されたか。
高校、大学では、試合に出られるのは的中率が高い人。試合で入賞できるのは的中率が高い人。だったら、いかに的中を求めるか、いかに試合で中てるか、射詰めで中てるか。そんなことを至上命題とするのは当然。
また、自分の入った大学弓道部では、どれだけストイックにやるかが部内での発言力とほぼイコールだった、と自分は感じている。道場に通い詰めたヤツがエライという風に自分は思っていた。少なくともそんな価値観があった気がする。
2.当時を振り返って思うこと
大学生の時、部活ばかりやっており、学生の本分である勉学を蔑ろにしていて、今では少し後悔しているが、当時の自分は大学の勉強するにしては精神年齢が若すぎたのでしゃーないとも思っている。GPAはNPB晩年のダルビッシュの防御率くらいの数字を叩き出していた。
部活ばかりやっていて、振り返ってみたら当然いい思い出だし、部活の友達は今でもすごく大事だと思っている。しかし、いい思い出だけど、当時は色々ツラく感じていたり、悩んでいたり、苦しんでもいた。自分だけじゃなく、多分部活楽しくないのに部活続けていた人もたくさんいたと思う。当然やめた人も何人かいた。好きな弓をやりたくて入ったはずなのに(当然自分もそう)いつの間にか楽しさは二の次になっていた。部としての目標である○○大会優勝というような結果にとらわれていたからかも知れない。先輩達の目もあっただろう。引退した先輩の「今の部はぬる過ぎる。同好会じゃねーんだぞ」みたいな意見もあった(まあ、あるあるだよね)。たまにOBがやってきて試合前に「楽しんで好きなように引け。」って一言いうことはあったが・・・。スパイスにもならん。弓自体を楽しむことをあまり感じられていなかったかも知れない。そもそも武道において楽しむってのはあまり推奨されていない。「昔は人を殺すための技術だったのだから」みたいな考え方もある。剣道とか相撲でガッツポーズなんかしたら大変なことになってしまうのだから・・・。
3.「アスリートの魂」増渕敦人先生の回を見て
最近、モチベーションを上げようと思って見た「アスリートの魂」の弓道回。増渕敦人先生という29歳にして天皇杯優勝したレジェンドが特集されていた。正直言ってバケモノだと思った。圧倒的に凄い。どんな風に体を動かしたらこんな離れが出るか想像もつかない(他に出てくる高段者のじいさん達もべらぼうに上手い)。けどそんな増渕さんでさえ、自分の直すべきところは山ほどあると言って研鑽を続けている。
自分がこの動画を見て感じたことは、増渕さんはホントに試合が苦手なんだということ。自分も練習でバシバシ中てて、試合になると全然中らないみたいな時期があったからちょっとわかる部分がある(自分なんかが大変おこがましいけど)。大会キケンして道場で練習している時とか全然残心ないし。それを見て、29歳の時からずっと足踏みをしているんじゃないかと思った。練習でできた ⇒ 試合で出来なかった をずっと繰り返しているのではないかと。範士の先生は技術で言うことないと認めている。ただ精神の未熟さゆえ、実力を発揮できない。技術がずば抜けているだけに精神の未熟さが目立つ。技術と精神は釣り合ってこそだ。多分だけど「自分が放った矢は中たらなきゃなならん」と無意識に思っている(~べき、~しなければならない思考)。これが失敗を恐れる気持ちにつながる。
むかえた天皇杯ではいい射ができなかった。個人的に思ったのは、決勝に呼ばれないか待っているところ。自分ではいい射できなかったとわかってるんだから、「アレじゃダメだわ」とさっさと帰ってもいいレベル。強い未練があったのだろう。それはわかるのだが自分の中で既に結果は決まっていただろう。決勝呼ばれる呼ばれないに関わらず、自分は出来なかったのだから。やはり精神面の未熟さが自分には感じられた。
番組の終わりの方は「探し求める過程が道。探求に終わりはない。それが武道」みたいな締めだった。番組を見終わってからしばらく考えた。それじゃ、死ぬまで自分の悪いところを直し続けるのか? だって、悪いところは際限なく出てくる。ずっと満足できないままひたすら自分の射を直し続けて、ごくまれにでる1本の良い射の再来を待って引き続ける。それが弓道の目指すべき正しい道なのか? そして、練習で出来た ⇒ 試合で出来なかった を延々と繰り返す。これってもはや呪いだろ。そんな人にとって弓道は楽しいものでは決してない。ずっとくらやみじゃないか。それっておかしくね?じゃあ何のために弓やってんだよと思った。
4.今考えていること
「弓を楽しむことをひたすら追求する。的中にとらわれて楽しめなかったら負け。だって楽しいから弓やってるじゃん。」
最近は上のことが一番重要だと思って弓を引いている。また次回もうちょっと掘り下げたい。
※増渕さんの射について匿名性をいいことに好き勝手言ってますが、ホントに凄い人だと思って尊敬していることだけは言っておきたい。
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