子どもを信頼し続けること
「日本語教室」「国際クラス」…を御存知でしょうか。外国から転入してきて、日本語を話すことができない子どもたちに日本語や勉強を教える教室のことです。今や、全国の小中学校の多くに設けられています。
私が勤務している地方公共団体においては、「日本語が理解できない」「文化習慣が違う」といういわば異質な子どもを扱うクラス、という位置付けで、週に何回か巡回してくる語学指導員の方か、定年を過ぎて「再任用」として不定期に勤務している教員にお任せ、という状態でした。たまに専任の教員が付きますが、その者はたいてい「教員」としては「失格」の烙印をおされ、クラスを任せられないので「日本語教室」担当に、といういわば左遷させられた者が担当しました。
さて、私は教員3年目にして「日本語教室」担当に回された、正真正銘、それこそエリートの「失格」教員です。とはいえ、当時勤めていた小学校は、外国籍の児童が多く、校長が自ら育て、作り上げてきた教室でした。校長は、ダメ教員の私を一人、温かく見守り密かに成長することを期待?して「日本語教室」を任せてくださったようなのです。
一方、私は教育が行き届いていない外国籍の子どもたちが多くいる、というテレビ番組を見たことがきっかけで教員を目指した、といういきさつがあり、一人、ほくほくしながら「日本語教室」に出かけていきました。
が、すぐに絶望することになりました。私は、英語はもちろん、語学の力は皆無。日本語がわからない児童とは、意思が通じません。たまに日常会話が少しできる子どもがいてほっとしたのもつかの間、学習が全く進んでいないのです。もともとクラスをまとめる力のない私では手に負えず、ワーワーキャーキャー大騒ぎ。なかでも、5年生のⅮ君。授業中は傍若無人に立ち歩き、油断すると人の物を盗む、隠す、壊すは朝飯前、学力も小学1年生程度と低いもので、いやはやとんでもない小僧だぞ、と頭を痛める毎日でした。
ところが、ある日、Ⅾ君の在籍学級で研究授業があり、それを参観したことで、いっぺんに心が変わったのです。
研究授業ということで担任の先生も力が入っています。しっかり下準備されたもののようで、子どもたちも活発に発言します。グループでの討論も活気があり、皆楽しそうに授業を受けています。が、ふと気付くと、Ⅾ君が、ひとり、ポツンと寂しそうに座り込んだままなのです。発言もしません。グループの討論もじっと見ているだけ。日本語がわからないためか、学力が低いためか、先生の言っていることも、板書されたことも、上の空。皆で楽しむゲームの時間になっても、参加しないのです。
「彼を受け入れたい。」
そう決心しました。それからは、Ⅾ君に対する接し方を変えました。叱るのではなく、言い含める。わからなくてもよいので、常に愛情ある言葉をかける。ごく簡単な計算問題や九九といった教科学習の基礎を丁寧に、ゆっくり教える。思い通りにならないⅮ君。でも、苦しくても、忍耐の日々を繰り返しました。
ある日、担任の先生は、「発達障害の病気を持っているに違いない」ので「特別支援学級に入れたい」と訴えてきました。学力の低さはもちろん、在籍学級でも授業中の立ち歩きや、悪質ないたずらを繰り返し始めたからです。
「違う。」
と、私は思いました。なぜなら、Ⅾ君は実は賢く、着実に教科学習の基礎を覚え始めてきたし、日常のルールを守ろうとする姿勢が見え始めてきていたからです。
聞けば、彼は幼児の頃、人に預けられていたとのこと。以前も経験しましたが、そのような子どもの中には、基本的なルール等の躾や訓練ができていないからか、一見発達障害かと思われるくらい問題がある場合があるのです。彼もそうではないのか、と考えました。しかも、母国の学校では授業中の立ち歩きも不勉強も見逃されてきた、というのです。
しかし、担任の先生にそのことを伝えても、クラスで苦労しているだけに、受け入れてもらえませんでした。
そこで、両親の承諾を得て、検査を受けました。しかし、発達障害とは診断されませんでした。内心、快哉を叫んだ私は、今まで以上に、日本語教室で多くの時間を彼の指導にあてることにしました。ありがたいことに、彼は日本語教室での時間を本当に穏やかに過ごし、楽しみにしてくれました。また、日本語も教科の学習もめきめき上達しました。クラスでも、見違えるように落ち着いて授業を受けられるようになりました。
そして1年。6年生になったある日、彼は修学旅行で買ってきたおみやげを、恥ずかしそうに、そっと私に渡してくれました。その姿を見て、ようやく彼と信頼関係を結べたのだと感じました。
言葉が通じなくても、心を通い合わせた瞬間、子どもは変わります。それこそが「信頼関係」なのだと思います。
無事卒業したⅮ君。日本語がとても上手に喋れるようになり、学習にも意欲的に取り組めるようになったものの、4年生程度とまだ学力は低く、いたずらも収まったわけではありません。賢いだけに、ともすれば悪い方に進んでしまう可能性があります。そこで、進学先の中学校の「日本語教室」担当の先生に会いに行きました。Ⅾ君の過去と現状を話し、しっかりお願いしてきました。
10年、20年後、立派な青年に成長したⅮ君に会えるのでは、とそんな夢を描いています。