まだ通過地点
なにをもってゴールと言うのか?
「天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう」
葛飾北斎の90歳の言葉だ。
長野県小布施町に葛飾北斎 最晩年の大作「八方睨み大鳳凰図」がある。
私はこの鳳凰図に心を打たれて、美大に行く決意をした。
夏の暑い日に、
父親と連れ立って小布施の岩松院に行った。
畳の上に寝転んで、天井いっぱいの鳳凰を眺めた。
北斎の肉筆画には人を惹きつける魔力がある。
絵筆を持った老人が岩絵具を使い、21畳の天板に不死鳥を描き、
そこに魂が宿った。
細部には、小布施の栗のマークや逆さ富士が隠し絵となっている。
北斎特有のなぞかけにも思える。
上京し、予備校のデザイン科の講師から
「北斎の絵を模写すると勉強になるぞ」と言われて、
その足で図書館に行って本を借りた。
今にも動きだしそうな、時にユーモラスにも見える人や動物。
繊細にデフォルメされた雲や波。
江戸時代の絵師は、目の前で動いている動物や植物を
ただひたすらに観察してスケッチしたことだろう。
解剖学にのめり込んだレオナルド・ダヴィンチのように。
生涯、完全を追い求めた画狂老人。神がかりともいえる絵への執念。
私は絵描きではないし、天才でもないが、
北斎は自分と同じ道を志した師だと勝手に思っている。
そして鳳凰は、
「永遠にゴールなどないのに、どこかにたどり着こうともがく私」
を見て、少しばかり皮肉に微笑んでいるようにも見えた。
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