待ち合わせ
待ち合わせ場所は駅ビルの中だった。
現れた彼の手には野菜が覗く買い物袋があった。
「おうちへ帰って料理しなくていいの?」
仕事の後に待ち合わせて食事をしようという約束で会ったけど、そう聞いた。
家に奥さんがいるかもしれないことや、もしかしたらもう離婚して自炊しているのかもしれないことが頭に浮かんだからだ。
「なんでそんなこと言うの」
彼はどちらの可能性も裏付けず、強めの口調で言うと、私の手を取った。
恋人つなぎ。さらっとしてつめたい、ほそくて長い指が絡む。
絡めた指をどんどん引っ張って彼は街を進んでいく。
こんなに力強く颯爽とした人だったか。
二十年の歳月は人を変えるのかもしれない。
曇った夕方と夜の間の時間。雨上がりの気配でグレーに煙る街。
どこに行くのかなと思いながら手を引っ張られるままに付いて行くと、彼は迷いなく、ある雑居ビルの一つに入って行った。
階段を上った先は、オープンエアのカフェバーの客席だった。
勝手知ったるように角のソファー席に腰掛ける彼。
向かい側に座ろうとしたら、立ち上がって隣に座るように促された。
コンクリートブロックのようなくすんだ重厚感のある壁。
くすんだえんじ色のソファに民族衣装のような柄のクッション。
年季の入った木のテーブル。
店員は見当たらないが、テーブルの上には黄色っぽい季節のメニューが置いてあった。
「何を飲む?僕はこれにしようかな」
見ると、店の落ち着いた雰囲気にはそぐわない、はちみつを使ったドリンクを指差していた。みつばちのイラストが描かれていて、黄色くて、甘そうだ。
私に頭に浮かんだのは、ブラディマリー。甘いのが苦手だから、カクテルを選ぶときはいつも半々の確率でそれを選ぶ。
「ブラディマリーにしようかな」
「やっぱりそれなんだ。変わってないね。甘いのが嫌いだから、いつもそれを選ぶって言ってたね」
二人で会って食事をしたことは一度もなかったから、大勢の集まりで同席した時にでも言ったのだろうか。
私はあの時から何も、変わっていない。
どこからかシルバーグレーの毛並みのねこがやってきて、私の右隣の椅子にぴょんと飛び乗ると、クッションの上で丸くなって眠り始めた。
左手は恋人つなぎしたまま、右手でねこの頭をなでた。
私だけ、どこにも進めていない気がして、かなしくなった。
ねこが、
「ニャーン」
と鳴いたけど、それは私の泣き声みたいに聞こえた。
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