ありのままの青春を思うがままに生きていく ~SKE48『空の青さに理由(わけ)はない』~
日本の芸能の始祖とも言える世阿弥も言っています。
芸能の要諦は、常に新しいものを見せて観客を飽きさせないことだと。
これは、見る者を飽きさせないということだけでなく、演者の側も常に新しいものに挑戦し続けていなければならないということをも意味しているのですよね。
48グループでは、2016年のAKB48・チームAの「M.T.に捧ぐ」公演(SKEに限れば、2011年のチームKIIの「ラムネの飲み方」公演)を最後に、その後長らく書き下ろしの新公演が行われることはなく、どこのグループもどこのチームも、お下がり公演を繰り返すか、あるいは既存の曲を組み合わせた即席公演を行うばかりといった状況になっていたのですよね。
そんな閉塞的な状況を打破したのは、フラッグシップであるはずのAKBではなく、SKEだったという……。
プロデューサーに秋元P以外の人を招くことで、SKEはS、KII、Eの3チームともそれぞれ完全オリジナルの新公演を開始することに漕ぎ着けたわけです。
しかも、まだコロナ禍の余波が燻っている時期に、まだまだ少人数公演に終始しているグループもある中、フルメンバー&フルセットでそれを始めたわけですから、攻めていますよね。
そういえば、コロナ禍による自粛が始まって以来、各グループともいろいろと少人数ユニットを作るなどしてイレギュラーな公演を展開していましたけれども、SKEだけはそういったことをせずに、頑なにレギュラーのチーム公演を継続することにこだわり続けてきました。
もちろん、一部出演メンバーを減らしたり、セトリを縮小させたりはしていましたけれども。
厳しい中でもこうした姿勢を貫くところに、劇場公演でパフォーマンスするグループとしての矜持を、SKEに感じますよね。
完全オリジナルの新公演を始めるのは大変コストがかかると言われていましたけれども、客の入りは上々で、十分元はとれているのだとか。
やはり、完全オリジナルの新公演となると、メンバーたちのモチベーションも上がりますし、必然的に公演のクオリティも上がっていく。
ファンの人たちも大いに盛り上がりますよね。
それはまあ、客の入りも良くなるでしょう。
世阿弥の言っていることは正しかったということでしょうね。
前置きがだいぶ長くなってしまいましたけれども、「空の青さに理由(わけ)はない」という楽曲は、そんなSKEの新公演のひとつであるチームKII の「時間がない」公演の構成曲です。
水野愛理と青木莉樺をオリメンとするユニット曲で、作詞は秋元Pではなくkazueiという方です。
水野愛理は、見た目は正統派アイドルなのだけれども、歌い出すと声量もあってとてもパワフル。
対照的に、ギターの弾き語りで歌う青木莉樺は落ち着いた大人の雰囲気が漂っていて、歌い方にも艶がある。
なかなか良い取り合わせですよね。
この曲では、"ダンスのSKE"の公演としては珍しく、ダンスなしで歌をしっかりと聴かせてくれる。
もっとも、ギターなしのダンスバージョンというのも披露されていて、見た感じでは、なんとなくコンテンポラリーダンスのような印象でしたね。
NGT48の1stアルバム「未完成の未来」のリード曲「しそうでしないキス」のMV(ダンスバージョン)で、中井りかと小越春花が踊っているのも同じような印象があったのですけれども、何のことはない、どちらもCRE8BOYの振付だったのですね。
頭サビ
曲のタイトルの中にも含まれている「空の青さ」というのは、文字通り青空のことを指しているのでしょうけれども、さらには、「青春」だとか「若さ」だとかということをも象徴しているのでしょう。
とかく大人たちというものは、なんでもかんでも分かったふうな顔をして、理屈で説明しようとする。
けれども、美しさだとか人の気持ちだとかは理屈では説明しきれないわけで、そういったものは感じ取るしかないのですよね。
それを無理に理詰めで説明しようとすると、言葉が薄っぺらくなってしまう。
青空の美しさや私の抱えている気持ちなど、そんな大人たちに理解できてたまるかという、大人たちへの反発を表しているのでしょう。
1番Aメロ
社会の中で生きていく上では、その社会のルールだとか習慣だとかしきたりだとか、あるいは何なら特定のコミュニティの中だけで通用する掟だとか、そういったものに従わなければならない。
けれども、そういった社会のルールなどは、その根拠となる社会のあり方だとか価値観だとかが変わってくれば、従来のままでは甚だ不都合なことになってくる。
時代とともに社会の価値観はどんどん変わっているのにもかかわらず、それに対するルールや、古い価値観に慣れ親しんできた人々の思考が旧態依然のままであるから、そこに大きな矛盾が生じて、社会に様々な問題を生じさせることにもなるわけです。
ここでの「方程式」というのは、大人たちのそうした古い価値観や考え方のことを指しているのではありませんかね。
大人たちは、自分たちの信じる古い価値観を押し付けて来るけれども、この主人公には納得できないわけです。
そんな価値観を教え諭されたところで、将来に向けて何の希望も見いだせない。
「今、納得できなくて反発してみたところで、どうせお前たちも大人になれば、長い物には巻かれろで、割り切っていくようになる」と、したり顔で大人たちはうそぶく。
そういう姿勢にも大人たちのズルさを感じてしまうわけです。
1番Bメロ
いまさらながら、自分がここに存在していることの意味なり意義なりを知りたい、正しくは確立したいということなのでしょう。
他の生き物とは異なり、人間は何かにつけて意味や意義を必要とする存在ですから……。
1サビ
この世界は素晴らしいと言えるような理想的な未来に自分は存在していたいと、この主人公は思うわけです。
当然のように襲い掛かる周囲からの大きな期待やプレッシャー。
それに対していろいろと反発もするわけですけれども、それは単に若いからというだけではなく、大人たちが押し付けてくる価値観ではなく、自分なりの価値観でもって新しい世界を切り開いていきたいということでもあるわけです。
それを、これからの人生において証明していくという決意を表しているのでしょう。
ここでの「見上げた空の青さに理由はない」には、目に映る青空の美しさは理屈では説明できないということから転じて、青春は理屈の通用しない混沌なのだから、ありのままの青春を思うがままに生きていくという意味が含まれているのではありませんかね。
2番Aメロ
内心では納得していなくても、分かったふりをして大人たちに言われるがままに素直に従っていれば、大人たちからの評価は良くなる。
なまじ異議を唱えてしまうと、大人たちに煙たがられて理不尽な目に遭うかもしれないし、波風を立てるのもストレスが溜まる。
何も考えずにおとなしく従っていれば、気が楽でいられる。
けれどもそれは、自分で自分をごまかしていることになる。
2番Bメロ
何を続けているというのでしょうか?
Aメロの続きで、大人たちにおとなしく従っていることを指しているようにも受け取れますけれども、1番の歌詞において、大人たちに反発して自分の力で新しい世界を切り開いていくという決意をすでに示しているわけです。
さらに、後段の2サビでは前向きな内容になっていることから、続けているのは、自分の力で新しい世界を切り開いていこうとしていることなのではありませんかね。
いろいろと自分の中で葛藤を繰り返しているけれども、何が正しい道なのか、そう簡単には答えを見いだせないといったところでしょうか。
2サビ
前半の内容には、いつか誰かに自分の大切な思いが届いてほしいという気持ちが表されているのではありませんかね。
「過去の消えない傷」が何を指しているのかよくわからなかったのですけれども、ここまでの話の流れからすると、該当しそうなのが、自分の気持ちをごまかしてきたということになりそうですよね。
少々大仰な感じもしますけれども、この主人公にしてみれば、拭い難い心の傷に相当するということなのでしょうかね。
いずれにせよ、自身の過去のネガティブな事象を乗り越えて、強さを手に入れ、前に向かって歩き出していこうとしているわけです。
そこには、もはや何の迷いもない。
Cメロ
ここの部分は、少々唐突な印象を受けますよね。
これまで、情景描写としては青空が出てくるくらいで、その青空にしても、実際に目の前に広がる空と言うよりも観念的なものとして言い表されていたわけで、この曲の歌詞の中でリアルな情景描写はここだけになります。
ということで、ここでは何を表現しているのでしょうか?
「叫んでいた」というのが、踏切の警報機や電車が通過する際のけたたましい音のことであるとするならば、何だか脈絡がなくなって何を言いたいのだかよくわからなくなってしまう。
ですから、叫んだのはこの主人公なのでしょう。
ただ、街中でいきなり叫び声を上げたのでは、ただのヤバい人になってしまいますので、おそらく、踏切におけるけたたましい音に紛れて、心の中にしまっていた思いを声に出して叫んだということなのではありませんかね。
つまり、この主人公の思いの強さを言い表しているということになるのでしょう。
落ちサビ
この曲の歌詞の中では一人称として「私」という表記を用いていることから、ここで「君」ではなく「キミ」と表記しているのは、具体的な人物を指すのではなく、抽象性を持たせるためなのではありませんかね。
つまり、ここに出てくる「キミ」というのは、恋人なり友人なり特定の人物を指しているわけではなく、自分の気持ちに共感を示してくれる「誰か」のことを表しているのでしょう。
ここの歌詞では、自分に共感してくれる誰かがきっとどこかにいて、そういった人たちには自分の思いが必ず届くはずだということを言っているのではありませんかね。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
大人への反発を歌ったこの曲。
曲調にしても、メインボーカルの水野愛理の歌い方にしても、ロックですよね。
単に大人に対して反発しているだけでなく、自分なりの価値観でもって新しい世界を自分の力で切り開いていこうとする決意をも示していて、とても前向きで力強い曲になっています。
ところで、この曲の主人公のキャラクター像は、なんとなく水野愛理を思い浮かばせるところがあるのですけれども、ひょっとして、彼女にメインボーカルを任せるにあたって、当て書きされているとか?
惜しむらくは、その水野愛理が今年(2024年)9月いっぱいで卒業してしまい、水野・青木ペアによる「空の青さに理由(わけ)はない」を目にすることがかなわなくなってしまうことでしょうかね。
引用:kazuei 作詞, SKE48 「空の青さに理由(わけ)はない」(2022年)