希望を失うな! ~AKB48『夢の鐘』~
この曲は、AKB48・チームK「RESET」公演の構成曲です。
歌詞の内容としては、同じチームKの「最終ベルが鳴る」公演の構成曲である「Stand up」と同じテイストの曲になるのではないでしょうか。
悲惨な戦禍の中にあっても、決して希望を失うことなく立ち上がろうとする。
そういった内容の曲です。
反戦歌と言っても良いのかもしれません。
48グループといえばアイドルグループであり、その楽曲には恋愛や青春、友情といったものをテーマにした曲が当然のことながら多い。
CDの表題曲でも、ほとんどがそういった内容の曲ですよね。
けれども、その同じCDのカップリング曲とか、あるいは一般にはほとんど知られていない公演曲とかには、社会的なテーマや政治的なテーマをモチーフにした曲も実は結構あるわけです。
中には、アイドルグループらしからぬ曲もあって、それもまた、数多ある48グループの楽曲の一側面であると言えるのではないでしょうか。
1番Aメロ
戦争による惨状を描いているわけですけれども、「悲しみの雲に覆われたこの大地」だとか「爪跡が涙の形に残された」だとか、戦禍に遭った人々の悲しみを詩的に表現することで、その悲しみの底知れぬ深さを際立たせているのではないでしょうか。
この曲が作られた当時は、今もなお続く北朝鮮による核・ミサイル問題がクローズアップされていた時期で、弾道ミサイルが日本の上空を飛び越えていったということも起きていて、大騒ぎになりました。
ひょっとしたら、そうしたことも念頭に置いて、秋元Pはこの歌詞を書いたのかもしれませんね。
1番Bメロ
何もかも失って、絶望の淵に立たされている状態なのでしょう。
住む家も働く場所も財産も、もしかしたら愛する人たちすらも理不尽な破壊によって失われたのかもしれません。
目に映るのは、破壊された街並みの荒廃した光景だけ……。
そんな状況に置かれれば、頭の中は真っ白になってしまって、もはや何も考えられなくなってしまう。
1サビ
「夢の鐘」は希望を象徴しているのでしょう。
つまり「夢の鐘を打ち続けろ!」というのは、どんなに打ちのめされようとも、希望を持ち続けろということになります。
さらに、生きている限り、あきらめることなく希望を持ち続けろと言っているわけです。
「身体(からだ)が死んでも」というのは、実際に死んでしまってもということではなく、死に瀕するほどに絶望的な状況ということの、やや誇張した表現なのではありませんかね。
希望を失わない限り、どんなに絶望的な状況であろうとも不死鳥のごとく必ず復活することができる、という強い意思をここでは示しているのでしょう。
2番Aメロ
とことんネガティブな心境に陥っていますね。
何もかも失って悲惨な境遇に置かれた人々は、もはや神の存在すらも信じられなくなってしまったということなのでしょう。
本来なら、こういうときこそ神にすがりたいところなのでしょうけれども、神が存在しているのなら、そもそもこれほどまでの悲惨な目には遭わなくて済むはず。
そう思うと、神の存在を疑いたくもなりますよね。
今まで神の存在を信じていた信心深き人々が神の存在に疑念を持てば、その行きつく先はニヒリズムということになってしまう。
後段の「音のない街はやがて憎しみを語り継ぐだろう 永遠に…」というのは、かなり強烈なフレーズですよね。
悲しみや絶望が怒りや憎しみへと転化していき、この悲惨な状況を作り出した相手へとその矛先が向かっていく。
やられたらやり返せとばかりに報復すれば、また新たな憎しみを生むことになる。
互いにそんなことを繰り返すことになれば、憎しみの連鎖が永遠に続くことになってしまう。
ここでは、そうした懸念を示唆しているわけです。
2番Bメロ
どんなに悲惨な状況であっても、時は変わらず流れ続けるわけです、未来に向かって。
憎しみの感情に流されるのではなく、未来へと希望を繋いでいくべきではないのかということなのでしょう。
とは言っても、怒りや憎しみの感情はどこにぶつければいいのかということになってしまいますよね。
そうしたネガティブなエネルギーはポジティブなエネルギーに変えて、希望をもって前向きに生きていこうということなのではありませんかね。
聖書の中にある「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」という言葉は、わりとよく知られた言葉ではありますよね。
この言葉の意味するところは、やられてもやり返さずに無抵抗でいろということではなく、やられても憎しみで復讐はするなということなのですよね。
つまり、怒りや憎しみに囚われるなということを言っているわけです。
これは何も相手を赦すということではなくて、憎しみの連鎖を防ぐということと、復讐心に囚われて心が闇に閉ざされてしまうのを避けるということのためなのではありませんかね。
ここの歌詞にあります「右頬を殴られても愛で許せるか?」というフレーズは、まさにこの聖書の言葉に対して、怒りや憎しみを超越することなどできるのだろうかと問いかけているわけです。
2サビ
悲しみや憎しみに荒んだ心を鎮めるために、未来への希望を語ろうではないかといったところでしょうか。
おそらく、戦禍に見舞われた多くの人々の心の中には憎悪が渦巻いているはずです。
中には、相手への復讐に燃えている人も少なくないでしょう。
そんな中で未来への希望を語るのは、なかなか勇気のいることですよね。
けれども、それがたとえ自分一人しかいなかったとしても、勇気を振り絞って希望のメッセージを伝え続けなければならない。
仮にこの者が倒れたとしても、その思いを継ぐ者が必ず現れるはず。
ここでは、そう言っているのでしょう。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
生きている限り、あきらめてはならない。
どんなときでも希望を持ち続けることだ。
たとえ地獄の底に突き落とされたとしても、希望を失わない限り必ず復活・再生することができる。
そうした力強いメッセージが、この歌には込められているのではないでしょうか。
引用:秋元康 作詞, AKB48 「夢の鐘」(2010年)