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ただ存在するだけで ~AKB48『キンモクセイ』~
この曲は、前田敦子、大島優子、柏木由紀の3人からなる、ありそうでなかったレアなユニットによる楽曲になります。
どことなく懐かしさを感じさせる美しいメロディと、切ない歌詞で綴られた、季節感漂うバラード曲。
イントロなしの前サビから始まるため、歌い出しの難しい曲でもありますね。
キンモクセイ
香る頃
この道を
そう 歩くのが好きだ
どこからか
ふと 風に吹かれ運ばれて
季節に気づく
ここでは、キンモクセイについて詩的に説明しているといったところでしょうか。
キンモクセイは、夏から秋への季節の変わり目にオレンジ色の花を咲かせて甘い香りを放つ、わりと日本中どこにでも見られる常緑樹です。
「キンモクセイ」という名前の樹木であるということを知っているかどうかはともかくとして、民家のそばの道を歩いているときに、ほのかに甘い香りが漂ってきたことがあるとか、塀際に植えられたキンモクセイの花が散って、道にオレンジ色の小さな花が散らばっているのを目にしたことがあるとかという人も多いのではありませんかね。
Aメロの歌詞
しあわせな日々
続くわけじゃない
ちょっと凹む日だって
やって来るよ
人は誰でも
そんな強くない
たまに
生きることさえ
嫌になるんだ
それはまあ、常にポジティブな気持ちでいられるのであれば、それに越したことはないのですけれども、現実にはそうもいきませんよね。
何かの拍子に一転してネガティブな気持ちに落ち込むこともある。
失恋したとか、仕事で失敗したとか、家族とうまくいかないとか、友達とケンカしたとか、いろいろあるでしょう。
ときには、生きているのさえ嫌になってくるようなつらい目に遭うこともあるかもしれません。
そんな心境にあるときの打ちひしがれた様子を、Bメロの歌詞で表現しているわけです。
自分 見失って
背中 丸めながら
下を向いて
トボトボと歩いたら
余計にやるせなくなった
そしてサビへとつづき、その前半
キンモクセイ
その花は
どこに咲く?
その木は見えないけど
この辺り
ほら 甘い香りするだろう?
ほっとするよね
トボトボと歩いていたら、どこからともなく甘い香りが漂ってきたのでしょう。
民家の庭の奥まったところに植えられていると、その木自体は見えないのだけれども、覚えのある甘い香りで、それがキンモクセイであるとわかるわけです。
喧噪の夏から物寂し気な秋へと移り変わる時期に漂ってくる甘い香りに、なんとはなしに郷愁を感じて、心が癒やされるといったところでしょうか。
サビの後半
慰めの言葉は
求めてなんかいない
生きている
その意味知りたかった
存在するだけで
誰かのためになる
命の花になりたい
慰めの言葉はいらないから、自分が生きている意味を教えてほしいということですから、なかなかの落ち込みようですよね。
まあ、もともと人が生きることには何の意味もありはしませんし、別に意味などなくても普通に生きていける。
どうしても意味が欲しいのであれば、自分で勝手に好きなように意味付けをすれば良いだけのこと。
ところが、気持ちが落ち込んだりすると、こういったことをいちいち考え始めるわけですから、人間というのは面倒くさい生き物ですよね……。
それはまあともかくとして、そこで、この主人公は思ったのでしょう。
キンモクセイは自分に何かしてくれたわけではなく、ただそこに存在して甘い香りを漂わせているだけ。
そして、その香りを嗅いで自分の心は癒やされた。
自分も、そんなふうにただ存在するだけで誰かのためになれたらなあと。
落ちサビは前サビと同じ歌詞で、大サビの前半もBメロ後のサビ前半と同じ歌詞。
そして、大サビの後半
何度も何度でも
やり直せばいいんだ
この季節
またやって来るだろう
近くにいるだけで
何かを思い出す
花の香りになりたい
毎年夏から秋への季節の変わり目になると、キンモクセイのあの甘い香りがどこからともなく漂ってくる。
心を癒やされながら、ふとこの主人公は思ったわけです。
なにかうまくいかないことがあったのなら、何度でもやり直せば良いではないか。
そんなふうに思い起こさせてくれるキンモクセイの懐かしくも甘い香り。
そんな優しい存在に、自分もなりたいと。
引用:秋元康 作詞, AKB48 「キンモクセイ」(2012年)