
移りゆく時の中で ~STU48『僕らの春夏秋冬』~
この曲は、STU48の4thシングル「無謀な夢は覚めることがない」のカップリング曲で、24人からなる2期生のオリジナル曲になります。
1番Aメロ
あの頃 一番好きだったのは
近くの一本道
春には桜が両脇に
咲き乱れ キレイだ
僕らは何度も行ったり来たり
往復していたね
今思えば何をそんなに
語り合ったのだろう
美しい情景ですよね。
桜並木の一本道は結構いろいろなところにありますから、実際に歩いたことのある人も多いことでしょう。
冬の寒さから解き放たれて陽気も良くなってきたところで、満開に咲き乱れる桜を愛でながら歩いてみれば、気持ちも浮き立ってくるというもの。
そんな中で親しき人といろいろな思いを語り合っていると、話は尽きることがないでしょう。
「僕らは何度も行ったり来たり 往復していたね」というフレーズは、語り尽くせぬ思いがあるということを表現しているのでしょう。
1番Bメロ
風が吹いて 枝が揺れて
花びら 舞い散っても
満開の夢はずっと
消えないって信じてた
季節の移ろいとともに、満開に咲いた桜の花も、風に吹かれて舞い散っていく。
けれども、「僕ら」の抱く夢や希望は、移りゆく時の中にあっても永遠に続くはず。
そう信じていたということなのでしょう。
1サビ
春夏秋冬 過ぎて行くよ
できなかった何か残して
そしてまた次に巡るまで
次のチャンス 待つんだ
あれからずっと 空を見上げ
今度こそはと誓うものなのか
花は咲いて散って また咲く日まで
君のことは 絶対 忘れないよ
季節が巡るように、人の心も移ろいゆくもの。
過ぎ去っていく時の中に、やり残してきたものや置き忘れてきたもの、あるいは諦めたものもある。
叶えられなかった夢や希望。
後悔ばかりが募ってくる。
けれども、季節が何度も巡るように、次のチャンスが巡ってくることもあるはず。
それを期待して前向きでいよう。
この主人公は、そうした気持ちでいるということなのでしょう。
ここで言っている「チャンス」というのは、新たな出会いのことなのではありませんかね。
そして、「花は咲いて散って また咲く日まで」というのは、出会いと別れがあって、そして次の新たな出会いまでの間という意味なのかもしれませんね。
つまり、次の新たな出会いが訪れるまで、「君」のことを決して忘れることはないということなのでしょう。
2番Aメロ
偶然 ここにやって来たのは
何年振りだろう
桜は咲いてはいないけど
懐かしい景色だ
一人で辺りを歩いてみたら
切なくなって来た
二人でいるだけで どうして
楽しかったのだろう
1番の歌詞の中にある桜並木の一本道は、思い出として語られたものであるのに対して、2番の歌詞では、実際にその場所に何年かぶりに訪れたときの情景描写として語られているわけです。
ただ、「桜は咲いてはいないけど」とありますように、1番の歌詞で回顧したときの季節とは異なる季節ということになります。
それでも十分に懐かしさを感じさせる風景ではあったわけです。
そんな風景を眺めていると、「君」と二人で語り合っていたときの感覚が懐かしさとともに蘇ってくるわけです。
2番Bメロ
雨が降って 街が濡れて
誰かを恋しい時
青空と君のことを
何となく思い出す
「雨が降って 街が濡れて 誰かを恋しい時」というのは、一人でいることの寂しさや孤独感を表しているのでしょう。
そんなときには、それこそ青空の下、美しい桜並木の一本道を「君」と語らいながら歩いたときのことが思い出されるといったところでしょうか。
2サビ
春夏秋冬 この季節は
誰のためにあるのだろうか?
出逢うその人はいつの日か
去って行ってしまうのに…
ここから見える道の先に
昔 愛した君の物語
花は散って咲いて また散る日まで
何度だって 夢を見せてくれるよ
この曲の中では、移ろいゆく人生を、巡りゆく春夏秋冬に喩えているわけですから、ここで言っている「この季節は 誰のためにあるのだろうか?」というのは、自分の人生のとある一場面は一体誰のためにあるのだろうかと疑問を投げかけているということになります。
そして、その「人生のとある一場面」というのは人との出会いのことを指しているのではないでしょうか。
人と出会っても、いずれその人とは必ず別れることになる。
仮に生涯を添い遂げたとしても、人生の終局において、別れは必ず訪れる。
ならば、出会いには何の意味があるのだろうか……。
もしかしたら、この主人公は、そんな面倒臭いことを考えているのかもしれませんね。
ここでまた、「君」との幸せだった日々を思い出すわけです。
「花は散って咲いて また散る日まで」というのは、別れがあって、新たな出会いがあり、再び別れがやってくるそのときまでという意味だと考えると、出会いから別れまでの間は夢を見ていられるということを言いたいのかもしれません。
そして、移ろいゆく人生の中で、そうした出会いと別れが繰り返されているわけで、何度でもそうした夢を見ることができるということなのでしょう。
Cメロ
君は今どこを
歩いているのだろう
どんな後悔 心に秘めて
この空見上げるのか?
「君」は今どこで何をしているのだろうか?
過去の出来事を後悔するなどして心を痛めていやしないだろうか?
この主人公は、別れた「君」のことをそう思いやっているわけです。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
人生とは春夏秋冬のごとく移ろいゆくもの。
その中で出会いと別れが繰り返されてゆく。
そして、出会いがあれば必ず別れがやってくる。
それは、始まったものには必ず終わりが訪れるように、生まれたものには必ず死が訪れるように……。
なんだか、この曲は諸行無常を歌っているかのようですね。
引用:秋元康 作詞, STU48 「僕らの春夏秋冬」(2020年)