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人は思っているほど弱くはない ~AKB48『あの日の自分』~

この曲は、「DOCUMENTARY of AKB48」の5作目となる映画「存在する理由」(2016年公開)の主題歌として書き下ろされた曲です。
AKB48 8thアルバム「サムネイル」にも収録されています。

発足以来の大きな目標であった東京ドームでのコンサートを実現させた後、エース格であった前田敦子や大島優子らが卒業し、映画が公開された年の春には高橋みなみが卒業しています。
つまりこの年、AKB48はひとつの時代の終局を迎えていたわけです。

この曲の歌詞は、そういったAKB48の一時代を切り開いてきた初期メンバーたちの心境を物語った内容になっているのではないでしょうか。
それと同時に、この先、新たなAKB48を築いていかなければならないメンバーたちへのエールの曲にもなっていると言って良いのでしょう。

1番Aメロ

あの頃の自分に
もしも会えたら
何も言わず思いっきり
抱きしめてあげる

「あの頃」とは、先の見えない中で、ただ目の前にあることに必死になっていた頃のことでしょう。
「東京ドーム」という大風呂敷を広げられても、素人集団であった当時のメンバー達にはピンと来なかっただろうし、何をどうすれば良いのかもわからなかったのではありませんかね。
それこそ精神論の極みで、ともかく頑張るしかなかった。

ひとつの大きな夢を実現させた後、ふと振り返ってみたとき、わけもわからず必死に頑張っていた当時の自分の姿が、愛おしく思えてきたということでしょうかね。

1番Bメロ

泣いてる理由がわかるから

必死に頑張っている最中において、人は往々にして、自分は一体何と戦っているのか、何に悩んでいるのか、何に苦しんでいるのか、明確には理解できていなかったりもするわけです。
けれども、今振り返ってみると、当時の自分自身を客観的に見ることができ、どんな状況だったのかを冷静に見つめ直すことができる。

1サビ

あなたはそんなに弱くない
悲しみの河 渡れるはず
どんなに傷つき迷っても
私はここで待ってる

「あなた」というのは、必死にもがいていたころの自分のこと。
あのころは、越えていかなければならないことがたくさんあって、迷うこともあれば躊躇することも多かった。
けれども、乗り越えた先に今の自分がいるわけです。
存外、自分はそんなに弱くはなかったのだなと、今の自分ならそう思える。

2番Aメロ

陽の当たらぬ場所で
晴れ間を探した
夢の道は遠すぎて
挫けそうだった

なかなか光の当たる場所に立つことができずに、出口を求めて長く暗いトンネルの中を歩き続けているような心境だったのでしょう。
夢をつかむまでの道のりは、あまりにも遠すぎて、途中で何度も諦めそうになってしまった。

今ならすべてが見えるけど

今となっては、あの苦しみは何だったのだろうかと思える。
出口は必ずあるし、どれだけ頑張れば良いのかもわかる。

2サビ

私はそんなに弱くない
前だけを見て進めばいい
あきらめなければ近づくんだ
未来は語りかけてる

1サビでは「あなたは」となっていたのが、2サビでは「私は」となっていますね。
1サビでは、現在の視点から過去の自分に語りかけているのに対して、2サビでは、現在の視点から未来の自分への展望を語っているわけです。
これまでの自分の歩みを振り返ってみて、自分は決して弱くはなかった。
いろいろな苦難や困難があったけれども、それらを乗り越えてこれまでやってこれたではないか。
おそらく、これから先も辛いことや苦しいことが待ち受けているだろうけれども、諦めなければ、きっと夢に近づくことはできるはず。
今の自分なら、そう信じることができる。

Cメロ

いつか どこかで
絶対 会えるよ
きっと 本当の自分に…

ここには、「本当の自分」という、よく聞くフレーズが出てきますけれども、このフレーズほど意味不明なフレーズはありませんよね。
「本当の自分」とは何なんでしょうかね?
そもそも、ここで言っている「本当」とは、いったい何をもって「本当」ということになるのでしょうか。
本当であるか本当でないかを、一体誰がどんな根拠に基づいて判定するのでしょうかね。
根拠など何もありませんし、誰も判定できませんよね。
つまり、「本当の自分」なんてものは定義のしようがないわけです。

よく「偽りの自分」とか「本当の自分」とか言いますけれども、これは要するに、自分が気に入らなかったり納得できない「自分」のことを「偽り」ということにして、気に入っていて納得のいく「自分」のことを「本当」ということにしているという、まあ言うなればご都合主義ということになりますよね。

少々ひねくれた物の見方をしましたけれども、要は、「本当の自分」と言ったときに、この「本当」というのは、「真偽」の意味ではなく、「理想の」とか「納得のいく」という意味と捉えるべきなのでしょう。

ということで、ここの歌詞では、挫けずに頑張っていれば、きっと理想の自分に近づけるはずだということを言っているのではありませんかね。

落ちサビ

誰もが悩んで気づくんだ
歩き続けて学ぶものと…
流した涙は無駄じゃない
光をずっと信じて

夢を追い求めるなどということをしなければ、そんなに苦しい思いをしたり辛い思いをしたりすることもないのかもしれません。
けれども何の因果か、大きな夢を抱いて歩み出してしまったわけです。
行く手には、さまざまな試練が待ち受けている。
悩んだり迷ったり、あるいは傷ついたりしながら、それでも歩みを続けるわけです。
その歩みの過程で、さまざまなことを経験し、多くのことを学んでいく。
もしかしたら、結果として夢をつかむことができずに終わるかもしれない。
そうなると、結果がすべてのビジネス的観点からは、無駄なことをしたということになってしまうのかもしれませんけれども、1個の人間の生という観点からすれば、結果は里程標にすぎず、そこに至る過程での経験や学びこそが大切なものとなり、それは決して無駄なことではないわけです。

大サビは1サビの繰り返しになっていて、最後に1行

知らず知らず 強くなる

というフレーズが付け加えられています。
自分が思っているほど自分は弱くはない。
夢を追い求めて、悩みながら傷つきながら歩みを進めていくうちに、いつしか自分は強くなっていた。
そういったところでしょうかね。

この曲は、AKB48の立ち上げから10年が経過した時点で作られた曲であり、その10年を振り返ったときのメンバーたちの心境が描かれていると言って良いのでしょう。
奇しくもAKB48は、来年(2025年)、創立20周年の節目を迎えることになります。
映画「存在する理由」のキャッチコピーの中に、「AKB48は、あと10年続くのか?」という文言がありましたけれども、あれから10年、なんとか存続することができたということになりそうですね。
20周年を迎えたとき、10周年の時点で在籍していたメンバーがどれだけ残っているのかわかりませんけれども、彼女たちは、この10年を振り返って何を思うのでしょうか……。

引用:秋元康 作詞, AKB48 「あの日の自分」(2017年)


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