理想を掲げて現実と向き合う ~STU48『月と僕と新しい自分』~
この曲は、STU48の1stアルバム「懐かしい明日」に収録されている楽曲で、このアルバムのために新たに書き下ろされた4曲の内の1曲です。
1番Aメロ
この主人公は、なにがしかの希望を抱いていたのだけれども、それが脆くも打ち砕かれてしまって、今や生きる気力も失ってしまっているといった状態にあるわけです。
「生きることがまた嫌になる」とありますから、そういったことがこれまでに何度も繰り返されてきたのではありませんかね。
この主人公にしてみれば、希望なんてものは幻想でしかないといった絶望的な心境なのでしょう。
1番A'メロ
信念のある人ならば、どんな困難に直面しようとも、どんなに傷つこうとも、決して諦めることなく戦い続ける。
けれども、自分にはそんな信念もなければ覚悟もない。
ただ目の前にある現状を甘んじて受け入れることしかできないでいる……。
1番Bメロ
何をやってもうまくいかない。
そんな絶望的な状況の中で自暴自棄に陥り、世界もろとも自分も消し去ってしまえば、さぞかし楽になれるのではないかと思ってしまう。
もちろん、そんなことを本気で思っているわけではないのですけれども……。
1サビ
月は孤独の象徴として小説の中だとか歌詞だとか、はたまた詩の中にもよく登場しますよね。
太陽も月も同じように単独で空に浮かんでいますけれども、太陽は眩いばかりの光に包まれていることから、情熱だとか活力だとかを象徴していることが多いように思います。
対照的に、月は夜空に青白く浮かんでいて、寂寞とした雰囲気が漂っていることから、人の孤独な気持ちを象徴して捉えられることが多いのではないでしょうか。
そんな美しくも青白く輝く月を眺めていると、自分の心の内側にある孤独感が映し出されているようで、そんな月に向かって己のやるせない人生を語りかけたくなってくる。
これはつまり、これまでのつらい出来事などネガティブなことを、心の中で反芻しているということを意味しているのではありませんかね。
思い返せばつらいことばかりで、気持ちもネガティブになりがちだったけれども、そんな自分ともしっかりと向き合い、自分が置かれている現状をちゃんと受け止めるしかない。
「夜明けが来て あなたが消えてしまえば」というフレーズの中にある「あなた」というのは、夜明けが来て消える存在ということからして、月のことを指しているのでしょう。
この「月」というのは、自分の心の中を映し出している鏡とも解釈できますので、「夜明けが来て」つまり心が晴れてくることで、ネガティブな気持ちが消えていくということを意味しているのではありませんかね。
つまり、最後の2行は、心が晴れてネガティブな気持ちが払拭されたなら、もう泣き言など言わない強い自分になろうという決意を表しているのでしょう。
2番Aメロ
誰かの真似などしたくはないし、わかったような顔をして、ああしたほうが良い、こうしたほうが良いなどと言ってくるような人たちなど信用できない。
自分を信じることができなければ、なんの根拠もない道を進むしかないのか……。
とはいえ、自分の信じた道になにか根拠があるわけでもないのでしょう。
要は、誰かの真似だったり誰かに言われた道だったりではなく、自分の信じた道を進むべきだということなのではありませんかね。
たとえその結果が良くなかったとしても、自分が信じて選んだ道ならば、悔いは残らないでしょうから。
2番Bメロ
この主人公は、これまでに何度も試みてきたのでしょう。
だからこそ「もう一回…」というセリフも出てくるのではありませんかね。
では、一体何をもう一回試みようとしているのか?
「世界は蘇る」というフレーズから推測されるのは、この主人公にとって今の世界は閉塞感に包まれていて、希望が持てない世界なのではないでしょうか。
そんな絶望的な世界を、もっと希望が持てるような世界に変えようとしているのではありませんかね。
「匿名の力 合わせて」というフレーズがありますけれども、ここでは「匿名」ということを肯定的に捉えているようですね。
昨今、SNSでの誹謗中傷などから「匿名」ということが否定的に捉えられることも多くなってきていますけれども、ここでは、素性を隠しているので思い切った自由な発言ができるという点から肯定的に捉えているのでしょう。
活発で自由な発言が世の中を変えていく力となるとでもいったところでしょうか。
2サビ
月はこの主人公の心の内を映し出している鏡。
そうであるならば、語ろうとしているのはこの主人公に他ならないわけです。
「ロマンチックな言葉」すなわち非現実的な美辞麗句など並べたところで誰も納得しないし、なによりも自分自身が納得しないということを言いたいのではありませんかね。
「僕は叫び 世界の変わり目 教える」というのは、世界を変えていこうとするこの主人公の強い意思を表しているのでしょう。
キレイ事や建前、あるいは偽善に満ちた言葉など、誰も耳を貸しはしない。
厳しい現実を直視したうえで、揺るぎない信念に基づいて行動していける強い自分になろうと、この主人公は決意するわけです。
ラスサビは1サビを繰り返した後、2サビの最後の1行である
というフレーズが付け加えられています。
つまり、このフレーズにこそ、秋元Pが最も主張したいことが込められているということになります。
では、この「理想論に負けない」とはどういう意味なのでしょうか?
「理想」とは、人が望みうる最高・最善のもののことですから、その「理想」そのものに対して異を唱える人はあまりいないのではありませんかね。
けれども、「理想」は永遠の実現不可能性のことでもあるわけです。
実現可能なことは、ただの目標であって、実現したければ粛々とその目標に向かって行動すれば良いだけのこと。
一方「理想」は、近づくことはできても決して実現させることのできないものなのですよね。
だからこそ、その「理想」に少しでも近づこうと努力する人間の営為は尊いともいえるわけです。
そんな「理想」を掲げて理想論を振りかざしておけば、誰も反論はしてこないだろうし、思考停止して厳しい現実から目を背けていられることにもなる。
けれども、「理想」を高々と掲げるだけで満足していては、何も変わらないのですよね。
厳しい現実としっかりと向き合い、いかにして「理想」に近づいていくか奮闘しなければならない。
「理想論に負けない」とは、そういった意味なのではありませんかね。
そして、そんな強い自分になろうと、この主人公は決意するわけです。
それにしても、厳しい現実に打ちのめされている「僕」を描いている詞の内容といい、美しくもどこか不安を搔き立てるところのある旋律といい、同じSTU48の楽曲である「そして人間は無力と思い知る」に近いものを感じますよね。
大きく違うのは、「そして人間は無力と思い知る」では、現実に背を向けて立ち去ってしまっているのに対して、こちらの「月と僕と新しい自分」では、厳しい現実に負けない強い自分になろうとしているところでしょうか。
いずれにせよ、どちらの曲もキレイ事だけでは終わらせない深みのある良い曲だと思います。
引用:秋元康 作詞, STU48 「月と僕と新しい自分」(2024年)