自由への希求 ~AKB48『海を渡れ!』~
この曲は、AKB48・チームK「逆上がり」公演の構成曲になります。
自由に大空を飛び回れる鳥たち。
何かとがんじがらめに縛り付けられて、息苦しい思いをしながら生きている我々現代人にとって、鳥は自由を象徴する憧れの存在と言って良いのかもしれません。
そんな自由の象徴としての鳥をモチーフにした歌も、赤い鳥の「翼をください」をはじめ、数多く存在していますよね。
もちろん、48グループの楽曲の中にもたくさんあります。
この曲は、そんな楽曲の中の1曲で、個人の成長と自立をテーマにした曲になっています。
軽快な疾走感のあるメロディが心を浮き立たせてくれます。
1番Aメロ
限られた狭い世界の中で生きてきたため、外の世界のことを知らず、視野が狭くなっているということを言っているのでしょう。
どうしてそんな状態になっているのかというと、社会の常識に縛られ、自分が本来持っている可能性を押し殺してしまって、どこまでも小さくまとまろうとしてしまっているからなのですよね。
自分の個性や才能を犠牲にしてまで社会に適応しようとしているそんな状態を揶揄して、「翼を畳んだ憐れな小鳥たち」と自嘲しているわけです。
1番Bメロ
自分の可能性を試してみたいという気持ちはあるのだけれども、不安のほうが先に立ってしまって、なかなか一歩を踏み出す勇気が持てないでいるといったところでしょうか。
慣れ親しんだ、なんなら居心地の良さをも感じている今いる場所から、一歩外に足を踏み出していくのは、どうしても躊躇してしまう。
何もわからない外の世界に出て行くのは、誰でも少なからず怖いと思うのではありませんかね。
それでも、もっと大きくて広い世界に飛び出して、伸び伸びと動き回ってみたいという、自由への憧れもあるわけです。
「開け放たれた 窓の広さの 大空を眺めてた」というフレーズには、自由への憧れと未だ見ぬ世界への不安との間で心が揺れ動いている様が表れていますよね。
窓は開け放たれているのに、そこから見える大空を眺めているだけ。
つまり、自分がその気になればいつでも外の世界に飛び出して行けるのだけれども、自信がなくて今いる場所から外の世界を恨めし気に眺めているだけという……。
そこには、踏み出したいけれども踏み出せないでいるという、この主人公の心の葛藤が表されているのではありませんかね。
1サビ
あれこれ小難しいことを考えずに思い切って新しい世界に飛び出してみろと、内なる声が促している。
やってみなければわからないし、失敗したらしたで、それもまた自分を成長させる良い機会になるはず。
勇気を持つことが、未来への希望へとつながる。
目指す先には、自由な未来が広がっているのだから。
といったところでしょうか。
2番Aメロ
カゴの鳥は、与えられた餌をついばみながら、そのカゴの中で生かされている。
翻ってみて自分たちも、与えられた安定と安全に満足し、現状に疑問を持つこともなく、狭い枠組みの中でただ生かされている……。
希望を持つということは、そんな安定した生活や安全な場所を捨てる覚悟を持つということを意味しているわけです。
「その大きな代償 怖れぬ冒険者」というのは、それほどまでの大きな代償を払ってでも、未だ見ぬ新しい世界に飛び出して行けるような、そんな勇気を持った人に自分はなりたいということなのでしょう。
2番Bメロ
要は、自分がその気になりさえすれば、自由を手にすることはできるということでしょうね。
とかく無意味な枷をはめているのは自分自身だったりする。
自分に自信が持てないのか、傷つくことを恐れているのか、他者との衝突を避けようとしているのか、はたまた何かに遠慮して息をひそめているのか……。
いずれにしても、自分の可能性を押し殺してしまっているのは、多くの場合、自分自身なのですよね。
そもそも自分にどんな可能性があるのかなんて、自分でもよくわからないもの。
ですから、何か興味を引くものがあったり、何か思わぬ機会が巡ってきたりしたなら、どんどん挑戦してみれば良い。
その過程で、自分に何ができて何ができないのか、どんな思わぬ才能が隠されていたのかなど、いろいろと自分について知ることができるはず。
特に若いときには、失敗したところで、周りからも多少大目に見てもらえますし、いくらでも挽回できる。
それだけの時間もあれば漲る若さもあるのですから。
大いなる好奇心を持って、ためらわずに何でも挑戦してみることでしょうね。
2サビ
「風に乗って 新しい世界を見ろ!」というのは、変化を受け入れて、新しい経験をすることを恐れるなということを言っているのでしょう。
日本人は変化を嫌う民族だというのは、よく聞く話ですよね。
まあ、日本人だけが特別に変化を嫌う傾向があるのかどうかはよくわかりませんけれども、少なくとも年齢を重ねてきた人たちには、そうした傾向が強くあるのは、確かに日常的に感じるところではあります。
変えたほうが良い、変わったほうが自分にとってもプラスになると理屈ではわかっていても、あれこれと訳の分からない屁理屈を並べて新しいものを拒絶し、慣れ親しんだ古い習慣ややり方に執拗にしがみつこうとする。
そういうのを指して因循姑息と言うのでしょう。
気持ちはわからないでもありませんけれども、迷惑な上になんだか哀れですよね。
それはさておき、歌詞のほうですけれども、「過去など置いてくんだ」というのは、それこそまさに、過去の経験に囚われていないで、未来を見据えていこうではないかということを言っているわけです。
過去は思い出の中にのみ美しく存在していれば良いのであって、我々は過去を生きているわけではありませんよね。
生きているのは今この瞬間であって、これから生きていくことになるのは無限の可能性が広がっている未来なわけです。
Cメロ
古臭い社会の常識に囚われることなく、自分で自分の道を切り開いていく。
誰にも予測できないような自由な生き方をしていくつもりだ。
詩的な比喩で表現していますけれども、ここでは、そういう決意を表明しているわけです。
大サビは1サビと2サビの繰り返しになっています。
この歌では、鳥という自由の象徴とも言える存在をメタファーとして、社会の古臭い枠組みから飛び出し、自由に自分自身の可能性を追及していくことの大切さを伝えているのではありせんかね。
引用:秋元康 作詞, AKB48 「海を渡れ!」(2009年)