青春の問い ~STU48『青い檸檬』~
この曲は、STU48の3rdシングル「大好きな人」のカップリング曲です。
第1回AKB48グループ歌唱力No.1決定戦において決勝大会に進出した3人のメンバー(岡田奈々、矢野帆夏、門脇実優菜)による楽曲。
しっかりとソロパートがありますので、矢野帆夏のあの透き通るようなきれいな歌声も聴き取れます。
STUの楽曲で矢野帆夏の歌声をはっきりと聴き取れるのは、この曲の他に、同じく第3回大会で決勝大会に進出したメンバーによる楽曲「そして僕は僕じゃなくなる」くらいなものでしょうか。
そう考えると、STUは彼女のあの歌声をもっと活かすことはできなかったのでしょうかね。
もう卒業してしまいましたけれども、なんだかもったいない。
宝の持ち腐れというのは、こういうことを言うのではありませんかねぇ……。
イントロのセリフ
ここで言っている「青い檸檬」というのは、現物のレモンのことを指しているのでしょうけれども、それと同時に、自らの青春の味わいをも、その「青い檸檬」に投影させているのでしょう。
1番Aメロ
「青い檸檬」というのは、未成熟で甘酸っぱくもほろ苦い「青春」を象徴しているわけです。
1番Bメロ
幼少期を過ぎて、青春と称される年代に差し掛かると、いろいろと物事を考えるようにもなってきますし、体つきも大人に近づいてきて、心身ともに急激に成長してくるわけです。
そうなると、自分の内側に溜まったエネルギーを持て余してしまうようになって、何かせずにはいられないという状態になってくるのですよね。
1サビ
何かやりたくてウズウズしているのだけれども、何をしたら良いのかがわからない。
いったい自分には何ができるのか、自分が本当にやりたいことは何なのか、それがまだまだ見つけられていないといったところなのでしょう。
そういった状況で悶々としていると、思考の行きつく先は、「自分は何のために生まれて、何のために生きているのか」ということになるわけです。
間奏のセリフ
「迸(ほとばし)る果汁」というのが、青春のみずみずしさを表しているのでしょうね。
続くフレーズの中にある「少しくらい制服や辺りを汚したって」というのは、少しくらい間違えたり失敗したりしてもということの比喩なのでしょう。
往々にして青春時代には、その若さゆえに勢い余って間違いを犯したり失敗したりなどしてしまうものです。
けれども、そんな間違いや失敗も、若さがあるからいくらでもやり直せる。
そういうことを言っているのではありませんかね。
2番Aメロ
友情だったり恋だったり、あるいは挑戦だったり挫折だったりといったものは、何も若者だけに特有のものではありませんけれども、そうは言っても、やはり青春期のそれらは特別な意味があると言っても良いのではありませんかね。
なぜなら、人生において初めてそれらと本当の意味で真正面から対峙することになるわけですから。
2番Bメロ
夜を徹して友人と夢を語り合うなどということは、大概の人が経験したことがあるのではないでしょうか。
目の前には無限の可能性が広がっていて、時間もいくらでもある。
それぞれの夢物語を披瀝し合うだけで、それだけでやたらに楽しかったりもするものです。
2サビ
現実的な将来などまだ考えられず、夢のような理想ばかりを思い描いてしまう。
目の前にある現実には面倒くさいことが多いですから、そういったものから目を背けて、ついつい夢物語の方にばかり気を取られてしまう。
Cメロ
そこに青春があったということなのでしょう。
「そこ」とは、ここまで述べてきた事々すべてのことを指していて、そういった事々の中に自分の青春が宿っていたということを言っているのではありませんかね。
ラスサビは1サビと同じ内容ですね。
何のために生まれ、何のために生きているのか……。
そう自分に問い続けながら、いろいろなことに挑戦していく。
そして挫折したり苦悩したりしながら、その問いの答えを探すのが青春なのかもしれませんね。
アウトロのセリフ
甘酸っぱくてほろ苦い青春。
喜びに満ち溢れることもあれば、思い悩んで苦しむことも多い。
全部ひっくるめて丸ごと噛みしめる。
それらは、やがて自分の人生における糧となるのではありませんかね。
引用:秋元康 作詞, STU48 「青い檸檬」(2019年)