再生への決意 ~NMB48『最後のカタルシス』~
この曲は、NMB48の4thシングル「ナギイチ」のカップリング曲になります。
ダンスナンバーに分類される曲で、わりとメンバー人気の高い曲でもありますね。
1番Aメロ
ここに出てくる「あなた」というのは、この主人公にとってどういった間柄の人物なのでしょうかね?
「母親のように…」とありますから親ではない女性ということになるのでしょう。
また、「まわりの大人は あきらめてたのに」ということですから、おそらく家族や親類ではない大人の女性なのでしょう。
冒頭に「やさしい瞳で 叱ってくれたね」というフレーズがあることから、この「あなた」というのは、主人公と面識のある親しい人というのが想像できます。
そうなると、バイト先の女主人とか、よく行くなじみの食堂のおかみさんとか、あるいは、この主人公が学生であるならば、親身になってくれる教師とか、そういった人物像が思い浮かんでくるのではないでしょうか。
そうした母親のような優しい女性が、自分の名前を呼んで叱ってくれたわけです。
もしかしたらこの主人公は、周囲から疎まれているといいましょうか、相手にされていなくて、「おまえ」だとか「あんた」だとかの代名詞で呼ばれることはあっても、ちゃんと名前で呼ばれることがあまりなかったのかもしれません。
けれども、この「あなた」は、自分を一個の人格として認めてくれて、ちゃんと名前で呼んでくれた。
そして、どういった状況だったのかはわかりませんけれども、愛のある叱責をして諭してくれたわけです。
今までそんなふうに愛をもって叱ってくれるような人もいなかったのでしょう。
この主人公にとっては、それが嬉しくもあり、何か心に響くものもあったのでしょう。
1番Bメロ
「雨に打たれた猫」というのは、この主人公自身を投影しているのでしょう。
あまり感心できるような生活はしておらず、心身共に荒んでいるような状態だったのではありませんかね。
そんな中で「あなた」に諭されて、何かそこに希望を見出せたのかもしれません。
1サビ
「もう一度 生きようか?」と自問しているところに、この主人公の葛藤があるようにも思えます。
これまでの生き方は荒んだものではあったけれども、何かに努力するとか、夢や希望を持つとかというのも、それはそれで面倒でしんどい面もあるわけで、こののま流されて生きていくほうが楽だという考えも頭のどこかに残っていたのでしょう。
けれども、自分を叱ってくれた「あなた」が脳裏に浮かび、「それではダメだ」と自分自身に言い聞かせて決意するわけです。
今までの荒んだ生き方から決別して、希望をもって新しい未来へと踏み出して行こうと。
「眠ってた魂」とは、夢とか希望とか、そういったポジティブな気持ちを抱く心のことを言っているのでしょう。
荒んだ生活を送っているときには、そんな夢だの希望だの持ってもしょうがないし、そもそも持ちたくても持てないだろうと、心の奥底に沈めこんでいたのではありませんかね。
それが、「あなた」に諭されることによって、にわかに呼び覚まされたわけです。
ここでの「カタルシス」は、荒んだ心から解放されて晴ればれとした気持ちになることと考えて良いのでしょう。
つまり、心の奥底に沈めこんでいた前向きな心を呼び覚ますことで、心が浄化されるということを意味しているわけです。
その、夢や希望を持つ心こそが、この主人公にとって、自分が再生するための最後の砦であったということになるのでしょう。
2番Aメロ
「少ない金貨」というのは、まあせいぜい2、3日くらい食いつないでいけるくらいのお金だったのかもしれません。
具体的なモノとしてはそういうことなのでしょうけれども、ここで表されているのは、お金をくれたということだけではないのでしょう。
自分を叱ってくれて、新しい自分に生まれ変わる勇気を与えてくれたということも含まれているのではありませんかね。
その勇気をくれた「あなた」の恩に報いたいという強い気持ちが、「あなたに返しに来るから」というフレーズには込められているのではないでしょうか。
2番Bメロ
「望まれず生まれて」とありますから、この主人公は、あまり幸せな生い立ちではなかったのでしょう。
そのために、荒んだ生活になっていったということなのかもしれません。
人から相手にされず、蔑まれるような生活を送っていただけに、人に認められたい、人に必要とされるような存在になりたいと人一倍強く思うようになったとしても不思議ではありませんよね。
そんな詮無い夢を見ながら生きてきたということなのでしょう。
2サビ
荒んだ生き方を脱して真っ当な生き方をしていこうと決意したけれども、この主人公には、どういう生き方をしていけば良いのか、必ずしも明確なビジョンがあるわけではないのでしょう。
ただ、前向きに自分なりに懸命に生きていこうということで、どういった生き方になるにせよ、他人によほどの迷惑をかけるのではない限り、正しい生き方だとか間違った生き方だとかはないはずだということでしょうかね。
生きていくうえで、いろいろと失敗したり傷ついたりすることもあるでしょう。
けれども、そうした経験も、より良い未来に向かって歩んで行きたいという、この主人公の願望を強くさせるわけです。
そして、それによって新しい自分に生まれ変わることができるようになるということを、「傷ついたその分だけ 祈りはカタルシス」というフレーズは言い表しているのではないでしょうか。
大サビ前半は1サビの繰り返しになっていますね。
大サビ後半
ここまで、この主人公ひとりの再生ストーリーだったのが、ここにきて急に「俺たち」と、一人称の複数形になっているのですよね。
そこには、この主人公を取り巻く環境に変化があったということが示唆されているのではないでしょうか。
つまり、この主人公はずっとひとり孤独に生きてきたけれども、前向きに生きていこうと広い世界に飛び出して行き、そこで同じような境遇、あるいは同じような志をもって懸命に生きている人たちと出会い、今では仲間となってお互いに支え合いながら生きているということを意味しているのではありませんかね。
ここでは、そうした心強い仲間たちも得て、どんな困難な状況に見舞われようとも、生き抜いて見せるぞという強い意志が示されているわけです。
「そのドアを開けてみろ」というのは、未来への一歩を踏み出してみろということなのでしょう。
そして、そこでのすべての経験が、自分を成長させてくれる。
ここでの「カタルシス」は、新たな自分に生まれ変わることと受け止めて良いのでしょう。
つまり、未来に向かって踏み出して行けば、あらゆる経験が自分を生まれ変わらせてくれるといったところでしょうか。
通常「カタルシス」という言葉は、精神の浄化だとか心の解放だとかの意味で用いられることが多いのではないかと思いますけれども、この曲ではもっと広い意味で用いられているのではないでしょうか。
辛い過去の克服だとか荒んだ心の解放だとか、あるいは今の生き方から抜け出して新しい自分に生まれ変わるだとかの意味で用いられていますよね。
いずれにせよこの曲では、困難な状況に置かれていた若者が、母親のように優しい「あなた」に諭されて、未来に向かって歩き出して行こうと決意する様が描かれているわけです。
Aメロ、Bメロとややシリアスな印象を受ける曲調から、サビで一転して明るい曲調に変わるのも相俟って、この曲は希望を抱かせてくれる力強い曲になっているのではないでしょうか。
引用:秋元康 作詞, NMB48 「最後のカタルシス」(2012年)