抑圧からの解放 ~NMB48『欲望者』~
この曲は、NMB48の18thシングルの表題曲になります。
己の欲望を肯定し、自らの可能性を引き出そうということが歌われているのですけれども、まるで哲学者・ニーチェの思想を歌にしたような曲になっていますね。
1番Aメロ1
自分の気持ちを抑え込んで、言いたいことも言えずにガマンをしてきたけれども、いい加減そろそろ耐えきれなくなってきたということでしょうかね。
人は通常それが正しいものと認識されている社会的な規範に従うために、自己抑制したり妥協したり、あるいは諦めたりして自分の欲望を自ら抑圧している。
そこに不自由さや息苦しさ、なんなら生きにくさを感じて、フラストレーションが溜まってきてしまうわけです。
1番Aメロ2
傷つくことを恐れ、感情を抑え込んで当たり障りなく生きていこうとするその姿勢に、疑問を投げかけているわけです。
古臭い秩序や価値観、あるいは不合理な制度や規則など、そういったものに従って自分の意に背いた生き方をするのはもうやめにしたいということを言っているのでしょう。
1番Bメロ
人を愛するときのように、もっと自分の気持ちに素直になって良いのではないか。
理性で感情を抑え込んでばかりいると、自分の本心がどこにあるのか、自分でもわからなくなってしまう。
もっと心の赴くままに行動することも大切なのではないか。
そうこの主人公は訴えているわけです。
1サビ
何が何でも手に入れたいと願い、情熱的に何かを掴み取ったことはあるのか?
それほどまでに欲しているものがないというのであれば、生きていてもつまらないのではないか。
もっと自分の欲望に素直になりなよ。
といったところでしょうか。
人間の欲望を否定的に捉えるのではなく、生きていくうえでの活力として肯定する。
理性によって欲望を過剰に抑え込むのは愚かなことであり、むしろ欲望に正直に生きるべきだとニーチェも主張していますよね。
2番Aメロ
本心を隠して何に迎合しようとしているのか?
周りにばかり気を遣い、自分の気持ちを抑え込んで他者との衝突を避けようというのか?
そんな偽りの優しさや思いやりで、自分を誤魔化していて良いのかという自問であり葛藤なのでしょう。
2番Bメロ
「愛されるのは好きじゃない それまでの時間 待ってられない」というのは、他者に振り回されるのではなく、自分の欲望を優先しようとする姿勢を表しているのかもしれませんね。
受け身の姿勢ではなく、もっと主体的に力強く生きていくべきだということなのでしょう。
「壊れそうな愛など壊してしまえよ」というフレーズには、もしかしたら、既存の価値観を破壊して新しい価値観を創造しようとするニーチェの思想が反映されているのかもしれませんね。
2サビ
理性に従って手加減などするな。
本当に欲しいものは全力で掴み取りに行け。
その欲望を満たすために争いや痛みを伴うことになるかもしれないけれども、それらを一身に引き受ける覚悟を持て。
といったところでしょうか。
落ちサビ
人には誰でも欲望があり、それを満たそうとするもの。
そしてその欲望には際限がない。
欲望を追及して一瞬の喜びが得られたとしても、人の持つ欲望は決して満たされることがない。
何かを求め続ける存在が人間というものであるが故に……。
けれども、そうした欲望の追及が、生きていくうえでの力となり、人生を豊かなものにするとも言えるのかもしれませんね。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
この歌には、抑圧された感情や欲望を解放し、より本能的で情熱的な生き方を求めるという強いメッセージが込められているのではありませんかね。
ニーチェは、キリスト教的な道徳や社会的な規範によって、人間の本来的な力が抑圧されていると批判し、個人が自らの欲望や本能に正直になり、より高い存在へと昇華していくことを提唱していました。
欲望の肯定とは、単に快楽を求めるということではなく、自己実現や自己超越を目指すことであるとニーチェは捉えていたわけです。
この歌は、まさにそのようなニーチェの思想を反映しているようにも受け取れます。
引用:秋元康 作詞, NMB48 「欲望者」(2018年)