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夢を叶えたその先にあるもの ~AKB48『イキルコト』~

渡辺麻友がセンターを務めたチームAの楽曲。
エレキギターの音色が印象的なロックバラードです。

2012年8月、AKB48は、発足当初より大きな目標として掲げてきた東京ドームでのコンサート開催を実現させました。
初めのうちは、誰も本当に実現できるとは本気で思っていなかったのではありませんかね。
それでも、そこを目指してグループ一丸となって懸命に進んできたわけです。
それだけに、実現できたことの喜びや達成感はひとしおだったことでしょう。
けれども、大きな目標であっただけに、それを成し遂げてしまった後、今まで目指す先に常に存在していたものが、その日を境に突然なくなってしまい、この先どうすればよいのやら途方に暮れることにもなってしまったわけです。
つまり、今後グループが一丸となって追い求めていけるような「夢」を描けないでいるということです。
その状況は、今に至るまで続いているような気もしますが……。

この曲は、もしかしたらそんなAKB48の当時の状況を憂えて作られた曲なのではありませんかねぇ……。

歌い出しの歌詞

ここまで来たけど
私は今どこにいるのだろう?

夢は叶ったけれども、これからどうすれば良いのだろうかと迷っている状態を表しているのではありませんかね。

願いは叶ったし
これ以上夢なんか
いらないよ

これまでずっと追い求めてきた夢を叶えて、大いに満足しているといったところでしょうか。

運命の山で迷って
登ってるのか?
下りてるのか?

夢を叶えたことで、自分の人生の目的や方向性を見失ってしまったのでしょうかね。
「運命の山」というのは、人生のことを指しているのでしょう。
今までの人生は、夢を叶えるという大きな目的があって、方向性も明確だったけれども、これから先の人生は何を目的にすれば良いのかわからず、迷いの中にいるということを表現しているのでしょう。

地平線はどこに見える?
なぜ涙が溢れる?

夢を叶えた喜びは、そざかし大きかったことでしょう。
けれども、新たな目標を見出せずにいる不安や焦りの方が、より大きくなってきたのではありませんかね。
「なぜ涙が溢れる?」というのは、そういった心理状態を表しているのでしょう。

あの日信じてたものは “イキルコト”
何を失ったとしても “イキルコト”
すべて報われるはずだ “イキルコト”
傷つき倒れそうでも “イキルコト”
“イキルコト”

ここで言っている「イキルコト」というのは、単に生存しているということを指しているのではなく、生きる意味ということなのではありませんかね。
そしてそこには、自分の人生を生きる決意や覚悟も含まれているのでしょう。
だからこそ、「イキルコト」を信じ、何があろうとも「イキルコト」を貫き通してきたわけです。

頂上 来たのかな
雲より上にいる
勘違い

夢を叶えたことで人生のゴールに到達したと思ったら、それはとんだ勘違いであったといったところでしょうか。
夢を叶えたところで、人生はそこで終わるわけではなく、そこから先も続くわけです。
夢を叶えるということは、長い人生においては、ひとつの里程標にすぎないのですよね。

酸素が薄くて苦しい
しあわせなのか?
ふしあわせか?

夢を叶えたけれども、それで幸福感や満足感を得られたのだろうかと自問しているわけです。
もちろん、夢を叶えたその直後の喜びや達成感は、とても大きかったはずです。
けれども、時が経つにつれて、自分はこれから先どうすれば良いのだろうかと不安や焦りが募ってくる。
これまで追い求めてきた夢が大きければ大きいほど、その夢が叶って次に目指すべき夢を見出すのは、そうたやすいことではないでしょう。
なによりも、これまでのような情熱を保持することの難しさもありますし、ひょっとしたら周りからの過剰な期待も感じ取っているのかもしれません。
そういったことが、この先の人生を生きていくうえでの息苦しさとなっているのでしょう。
「酸素が薄くて苦しい」というのは、そういうことを表しているのではありませんかね。

青春はどこに消えた?
なぜ立ち止まってるのか?

夢を叶えたことで、自分の青春は終わってしまったのだろうか?
そんな自問を繰り返しながら、途方に暮れているわけです。

人が人であるために “ススムコト”
そして勇気づけるものは “ススムコト”
目には見えぬ壁破り “ススムコト”
何度失敗したって “ススムコト”

「ススムコト」というのは、目的を持って生き抜くことと言って良いのでしょう。
目的を持って生きるとは、自分が生きていることに意味を与えるということです。
それは、必ずしも大きな目標を達成するということだけでなく、たとえささやかなことであっても、何かに挑戦し努力するということなのではありませんかね。
そうすることで、生きている限り人は成長し、自分の人生に新たな意義を見出し続けられるようになるものですから。

たとえ陽が落ち始めても “イキルコト”
影が辺り 覆(おお)っても “イキルコト”
“コレカラダ”
“モウイチド”
“コレカラダ”
“モウイチド”
“ススムコト”

落ち目になろうが逆境に立たされようが、意味のある「生」を生きる。
生きている限り、何度でも立ち上がり、生き抜いていく。
そういった決意と覚悟を表しているのでしょう。

ここまで来たから
私は今どこへだって行ける

歌い出しの歌詞と対を成していますね。
大きな夢を叶えることができた自分なのだから、これから先の人生でも、自信をもって何にでも挑戦していける。
途方に暮れて苦悩していましたけれども、そう思い至ったのでしょう。

引用:秋元康 作詞, AKB48 「イキルコト」(2013年)


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