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『ABRACADABRA』から見える、BUCK-TICKが辿ってきた軌跡 その1


はじめに


2020年、9月21日。
デビューから33回目の記念日に、22枚目となるオリジナルアルバム『ABRACADABRA』をリリースしたBUCK-TICK。



このアルバムを初めて聴いた時の印象は、とにかく新しい、というものだった。
今までとはまったく違った世界を創り出している。

また、今回のアルバムはLPレコード、カセット、CD、ハイレゾ配信などオールフォーマットで発売されたのだが、音楽の聴き方が変化してきたその間にもBUCK-TICKは走り続け、進化し続けてきたという事実に改めて感服した。

これは間違いなく、BUCK-TICKの新しい歴史の1ページになる。
そう強く感じた。


しかし同時に『ABRACADABRA』の楽曲をよく聴くと、随所にBUCK-TICKがこれまで辿ってきた軌跡を見つけだすことができるということにも気がついた。

そこで今回は、BUCK-TICKが過去にリリースしたアルバムや楽曲を振り返りながら『ABRACADABRA』が持つ「新しさ」について考察していく。


80年代―デビュー前後/音楽性のルーツ


『ABRACADABRA』には、歌謡曲の匂いが漂う『舞夢マイム』や、シンプルなエイトビートのロックンロールである『ユリイカ』が収録されている。


まず『舞夢マイム』。
この曲のメロディーは、いかにも昭和歌謡の雰囲気を纏っている。なんだか場末のスナックの光景を彷彿とさせるような感じ。

この曲について、ヤガミトール(ドラムス)は「『HURRY UP MODE』に入っていてもおかしくない曲」だと語っている。
『HURRY UP MODE』とは、1987年に太陽レコードよりリリースされたアルバムのことだ。



なるほど確かに、である。
このアルバムを改めて聴き返すと、BUCK-TICKの楽曲の根底には歌謡曲的メロディーが流れていることに気づく。
この中でも特に『SECRET REACTION』『ROMANESQUE』などの楽曲からは、そういったイメージが顕著に感じられる。


では『舞夢マイム』で感じられるBUCK-TICKの「新しさ」とはなにか。
それは、ボーカルである櫻井敦司の表現力の進化である。

この曲の歌詞は、ある一組の男女を主役にしたデュエット形式で書かれている。
それを歌い分け、演じ分ける櫻井の表現力。
これは今までのキャリアの中で彼が培ってきたものだ。
ボーカリスト人生の中で彼が手に入れた、なにかを「演じる」喜び。
その最新型を存分に味わえるのが、この『舞夢マイム』である。


もうひとつは『ユリイカ』。
この曲はストレートで勢いのあるエイトビートが印象的だ。
これを聴いて、BUCK-TICKのデビュー初期を思い出したという方もいらっしゃるのではないだろうか。

BUCK-TICKのデビュー当時の音楽性は、同郷の先輩であるBOØWYから影響を受けたビートロックが主体であった。
1987年、メジャーデビュー後のファーストアルバム『SEXUAL ×××××!』は、その音楽性が強く反映されているものである。


特に表題曲である『SEXUAL ×××××!』や『EMPTY GIRL』『MY EYES & YOUR EYES』などからは、エイトビートならではのノリと勢いを感じ取れるだろう。


では、同じエイトビートながら『ユリイカ』がもつ「新しさ」とは。
それは、デビューから30年以上のキャリアを経て生み出された安定感のあるグルーヴだ。
特にドラムスのヤガミ、ベースの樋口豊のリズム隊兄弟が奏でる勢いのよさと正確さを兼ね備えたリズムが、この曲のノリをしっかりと支えている。
その安定感あるリズムの上で何度も繰り返される"LOVE!"、"YEAH!"、"PEACE!"という言葉が、昨今のコロナ禍で鬱屈とした気持ちを解放してくれる。
この言葉だけでこんなにも自由になれる。その説得力は30年以上のキャリアのなせる技である。


90年代前半―『惡の華』/フレーズから感じる印象


『ABRACADABRA』の6曲目に収録されている『Villain』。
この曲の今井寿(ギター)が歌うパートで印象的に登場するのが、"惡の華"というワード。
これはBUCK-TICKが1990年にリリースした2ndシングル、そして5thアルバムのタイトルである。



このアルバムは、オリエンタルであったりエキゾチックであったりといったイメージの楽曲が印象深い。
特に『幻の都』は楽曲のあちこちから異国情緒を感じられるようなつくりになっている。
メロディーラインも歌詞もオリエンタルな雰囲気を醸し出しており、聴き手の意識はどこか遠い異国の地へと誘われていく。


『ABRACADABRA』にもそういった印象をもつ楽曲がある。『月の砂漠』だ。
こちらもどこか遠く、異国の砂漠が舞台となった楽曲である。
星野英彦の奏でるギターの音色は砂漠に吹く乾いた風のようで、オリエンタルな楽曲の世界をより深めている。
そして櫻井の詞は、広大な砂漠をただ進み続ける孤独な王の物語を紡いでいく。

曲を聴いているうちに、駱駝に揺られて砂漠を進む男の姿がはっきりと目に浮かび、意識は自然と物語の世界へ没入していく。
こういった物語のイメージを具現化するような楽曲はBUCK-TICKらしいものだが、表現の技術は作品を経る毎に確実にスキルアップしてきている。
彼らの「もっと上手くなりたい!」という思いが積み重なり、そのたゆまぬ努力が結実したのが彼らの「今」なのである。


また『Villain』や『SOPHIA DREAM』にもオリエンタルなイメージをもつようなメロディーラインやギターのフレーズがあり、それが楽曲の独自性に繋がっている。


そしてもうひとつ、これは個人的な印象なのだが、『SOPHIA DREAM』を聴いた際、『惡の華』収録の『MISTY BLUE』という楽曲を思い出した。

『MISTY BLUE』は、イントロのギターフレーズが強烈な独創性をもっている。
初めて聴いた時は、セオリーからはみ出しまくった音に「心地が悪い」感じがしたのだが、それと同時に絶大なインパクトを残し、そのフレーズが頭から離れなくなるような不思議な中毒性があった。

『SOPHIA DREAM』で櫻井が歌っているメロディーを聴いて、同じようなことを思った。
一聴すると「変な感じ」。だがなぜか癖になるような、そういうメロディーだ。

今井は元々個性的で強烈なインパクトのあるメロディーを創る天才だ。
その感性は今も衰えることを知らず、寧ろ年々鋭くなっていく印象すら受ける。
30年以上枯渇することなく楽曲を創り出すBUCK-TICKのダイナモ。
彼の年々研ぎ澄まされていくセンスが、BUCK-TICKの楽曲から感じられる「新しさ」の一因である。


90年代後半①―『Six/Nine』/櫻井の「開き直り」


『ABRACADABRA』の先行シングルである『堕天使』を聴いた時、最初に思い浮かんだのが「90年代後半のBUCK-TICKっぽい」というイメージだった。
サウンドに関しては『SEXY STREAM LINER』(1997年リリース、後述)の頃のような実験的な要素を感じたし、櫻井の書く歌詞は8thアルバム『Six/Nine』(1995年リリース)の頃を思い出させるものであった。


このアルバムは、櫻井の心境の変化をひしひしと感じることができるものである。
これまでは内向的な世界に閉じこもり、「自己否定」することによって言葉を生み出してきたのだが、このアルバムでは自分を外から客観視することができている。
その上で自分を卑下しまくっているのだが、そこから感じられるのはネガティブなものというより、どちらかというとパンク的精神。
自分の綺麗な部分だけでなく、汚い部分、醜い部分までさらけ出す。その圧倒的なパワー。
「開き直り」とも取れるが、その怖いもの知らずの勢いは彼の自己の「肯定」に繋がるものだ。

『Six/Nine』には『デタラメ野郎』という曲がある。
櫻井が、あるがままの自分を叫んだ曲だ。
この曲の最後で櫻井は"笑いたかったら笑え!"と言い放つのだが、彼はその一瞬、ありのままの自分を受け入れ「肯定」することができたように思う。


シングル盤の『堕天使』を聴いて、櫻井の歌詞にそういったものの欠片を見出すことができた。

彼はいつも、自分の心にナイフを突き刺して流れた血で
言葉を紡ぐ。
その言葉はとても痛々しいのだが、同時にそこには圧倒的な美しさが宿る。
『堕天使』の歌詞には、いつにも増して血に塗れた美しい言葉たちが躍っていた。
その「痛み」すら聴衆にさらけ出すことで、彼はほんの少し自分を「肯定」することができた。

ただ、シングルの時点ではまだ明確な落としどころは見つかっていなかったのだが、アルバム『ABRACADABRA』で彼はひとつの答えにたどり着いた。
「自信に満ちた開き直り」だ。


『MOONLIGHT ESCAPE』。
『堕天使』の後に発売された先行シングルだが、この楽曲の歌詞が伝えるのは「逃避」というメッセージ。
「辛い時は逃げてもいい」。一見ネガティブにも思えるが、櫻井の言葉には強い説得力がある。
この言葉は、今までにないほど自信に満ち溢れているのである。
彼は今回、「辛い」「苦しい」という気持ちと向き合い、それを「肯定」することができた。
「これでいいんだ」と開き直ることができれば、もう迷いはない。

また、『MOONLIGHT ESCAPE』のカップリングである『凍える』。
こちらも「逃避」と「解放」を歌う曲である。
痛みを伴わないと生きている実感がもてない。彼はその行為に、ただ静かに寄り添う。
これが以前の櫻井ならもっと痛々しい曲になっていただろう。
しかし、今の彼が見ているのは「自分」ではない。
彼の視線の先にいるのは、どこかにいる「聴き手」である。
聴き手へと伝えたいメッセージが軸にあるからこそ、彼の子守唄はより心に沁みるのだろう。

"どうして生きているのか この俺は"(『唄』/『Six/Nine』収録)とまで言っていた櫻井が見つけた、ひとつの答え。
『ABRACADABRA』で、彼の表現はまた新しい一歩を踏み出した。


90年代後半②―『SEXY STREAM LINER』/サウンド面での飽くなき挑戦


さて、先ほどの項でも述べたが、シングル『堕天使』を聴いた際、サウンド面で思い出したのが1997年リリースの10thアルバム『SEXY STREAM LINER』だった。



このアルバムは、打ち込みを多用した音作りやデジタルロック的アプローチが目立ち、かなり実験的な要素が盛り込まれている作品である。
20年以上前のアルバムだが、そのサウンドは今聴いても真新しさを感じるほど。

『ABRACADABRA』にも、打ち込みのリズムやエフェクターで歪ませたギターの音、バンドサウンド以外の音(シンセなど)といった、ニューウェーブ的イメージを感じさせるような要素が散りばめられている。

例えば『ケセラセラエレジー』。
冒頭からシンセの音がうねっている。
この曲のイントロはアルバムの幕開けに相応しく、どんどん期待が高まっていくような展開だ。
ドラムのリズムはシンプルで、だからこそ安定感や正確さがよりはっきりと分かる。
そしてこの曲で印象的なのはベースリフ。楽曲に動きを持たせると同時に、展開にメリハリをつけている。

こういったリズムは、打ち込みでもつくれるものかもしれない。
しかし、生身の人間がプレイすることによってそこには血が通う。
バンドサウンドとデジタルサウンドの融合は、これまでも今井が試みてきたことではあるが、『ABRACADABRA』ではそれがシンプルながら深みのある楽曲を演出する上でのひとつのファクターとして効果的に働いているように思う。
常に新しい音を探求し続ける今井の飽くなき好奇心が、BUCK-TICKの「現在」、そして「未来」を感じさせてくれるのだ。



ここまでで折り返しとなるが、これ以降もかなり長くなるので一度記事を分けることにする。
次回はゼロ年代前半、ゼロ年代後半から10年代、そして前作『No.0』との比較について書こうと思う。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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