夜空と雷
「青天の霹靂」という言葉がある。「思いがけない突発的事変」の事である。
ちなみに「青天の霹靂」に相当する単語は英語にもあって、「out of the blue」という。今調べたところ、実際は「a bolt out of the blue」というらしい。
今日は、私の青空に突然飛び込んできた夜の色をした雷の話をしたい。
私の大好きなSixTONESというアイドルグループに松村北斗というメンバーが居る。彼は一言で言うと面倒な奴だ。彼はオタクで、陰キャで、自分に自信がなくて、口下手で捻くれていて面倒で、だからこそ謙虚で努力家で、気配りができて、優しい。
クールに思われがちでやる気がないと誤解される事もあるけれど、本当はアツい心を持っていて仲間思いで、凄く、凄く良い奴なのだ。
こう言うと悪口を言っている様に見えるかもしれないし、そう指摘されてしまったら私はもう何も言えないのだけれど、私は彼の面倒臭さを愛おしく思っているし、何処か寂しくて夜の匂いのする彼の事が大好きだ。
そんな彼がニッポン放送で放送中の「SixTONESのオールナイトニッポン サタデースペシャル」で「out of the blue」という曲をかけた、らしい。というのも私はその日のラジオを聞いていなかったので詳しい事情は何も知らないのだ。
ちなみに私はそのタイトルを即座に忘れてしまったのだけれど、その曲を歌っていたanewhiteというバンドの名前は覚えていた。私は即座にYouTubeで「anewhite」と検索した。該当曲らしきものは出てこなかった(後々改めて探したら音源はYouTubeにちゃんとありました)けれど、代わりに「カヤ」という曲が出てきた。試しにその曲を聞いてみた。
正直その時はあまり刺さらなかった。その頃の私はヨルシカというバンドが本当に大好きで、SixTONESがかつてジャニーズJr.(現ジュニア)だった頃にパーソナリティを担当していた「らじらー!サタデー」で彼がヨルシカの「心に穴が空いた」をかけたらしいという事とか、三月のパンタシアの「街路、ライトの明かりだけ」(この曲を提供したのはボカロPで現在はヨルシカのコンポーザーを務めているn-bunaだった)をかけたらしいとか、そういう事ばかりが嬉しかった。
そう、その時はそこまで刺さらなかった。その筈なのに、何処か不器用でクセのある、ボーカルの澄んだ声が妙に忘れられなかった。YouTubeでSixTONESの曲であったりヨルシカの曲であったりを聞く傍らでおすすめに時折その曲が出てくる度にanewhiteというバンドの事を思い出しては聞く日々が何ヶ月か続いた。恐らく1年くらい。
これは確か去年の秋だった様に思う。恐らく10月か11月だ。
きっかけは忘れてしまったけれど、恐らくその日も「カヤ」を聞いていたのだろう。
偶然おすすめに「curtain call」という曲が出てきた。
何となく私はその曲を聞いてみた。
結論から言うと、その曲は私にとてつもなく刺さった。もう居ない、恐らく亡くなった人に向けたラブソング。その曲はあまりにも優しい歌だった。
こんな事を言うと大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、その衝撃はまるで雷だった。轟音もなければ空を切り裂く稲妻もない、夜の色をした優しい雷だった。
不意に、そのタイトルが聞き覚えのあるものだという事に気づいた。
私は慌ててanewhiteのボーカルを務めている佐藤佑樹さんのnoteを遡ってみた。彼は「さとうゆーき」という名前でnoteを書いているのだ。プロフィール欄に一言書かれた「作家気取りのバンドマン崩れ」という単語が何処か寂しかった。彼は紛れもないバンドマンの筈なのに。
案の定、という訳ではないけれども、「カーテンコール」というタイトルの記事が出てきた。松村北斗が表紙になったMOREを持った佐藤さんの写真と一緒に。
まあつまり、私は以前彼のnoteを読んだ事があったのだ。
私が言う事じゃないけれど、SixTONESはファンが多い。有名人だとお笑いトリオのぱーてぃーちゃんの3人とかぼる塾の田辺さんとか、はいだしょうこさんとかもSixTONESのファンだ。凄過ぎる。それはさておき、そんな感じなので、誰か(有名人もそうだし、SixTONESがYouTubeでお世話になった施設の方であったり、初めてSixTONESを知ってその魅力に取り憑かれてしまった人の場合もある)がSNSでSixTONESの話をしようものならその投稿はスト担(SixTONESのファンの名称)の手によって一気に拡散される。つまり佐藤さんのnoteはスト担に捕捉されて瞬く間に拡散され、それがTwitterの辺境に居る私の元にまで届いたという訳だ。それこそまるで、佐藤さんが海に投げ込んだボトルメールが波に揉まれながら偶然私の元に辿り着いた様に。
話は逸れるのだけれど、私がボトルメールというものにロマンを感じる様になったきっかけはディズニー映画「ビアンカの大冒険」にある様に思う。施設で暮らすひとりぼっちの少女・ペニーが偶然ヴィランに攫われ、一縷の願いを託して助けを求めるボトルメールを投げる。そのボトルメールは偶然ニューヨークの救助救援協会に届き、ネズミのビアンカは臆病だが誠実なバーナードと共に救助に乗り出す。あまり有名な映画ではないし、幼少の私にとってはなかなか恐ろしい映画でもあったのだけれども、その映画を観た記憶がない今も妙に脳裏に焼きついて離れない映画だ。
そんな事はどうでも良い。
そのnoteには、北斗くんが「curtain call」を聞いてラブソングだと気づいてくれたのが嬉しかった事やいつかSixTONESに楽曲提供したいという事など、佐藤さんのほっくん(松村北斗の愛称)への素直な思いが綴られていた。
そのnoteを読んでanewhiteを応援しようと思った事を急に思い出した。
もしかするとこれを読んだ記憶が頭の隅に残っていたから「curtain call」がラブソングだとすぐに認知できたのかもしれなかった。
暫くしてから、ボーカルの佐藤さんがほっくんを推している事を知った。「大好きな推しに推されていた」なんていう経験はなかなかできるものではない。私は彼らのその関係値を眩しく思った。
まず私はどんな曲があるか知ろうと思い、anewhiteのYouTubeにアップされているEPとアルバムのトレイラー動画を全て見た。その中にやけに好みの曲調の曲があったので検索した。それが「群像劇にはいらない」という曲だった。「群像劇には要らない」とも「群像劇に入らない」とも取れるタイトルに、アップテンポな曲調、人の真っ直ぐでは居られない側面に寄り添う歌詞。私はいっぺんにその曲を気に入ってしまった。歌詞の意味を全て理解できた訳ではないし、それは今でもそうだけれども。「当たり前を斜めに見てもいい あなたを大切にする為の我儘でいて欲しい」「好きなように生きなさいと 解れた自由に縛られてる」「逃げるも価値に」「生きるとはつまり演じることと妥協の間で自由を見る それでも良いのに幸か不幸を見る それは人であるための事由とみる」という歌詞が好きだ。
「怪獣と光線銃」という曲も好きだった。新型コロナウイルスの蔓延する世界を描いた歌で、コロナ禍が終息に向かっているとされる世間の中で認知症を患う祖母に新型コロナウイルスを感染させない様にと未だにマスクをしている私は歌詞に共感した。
anewhiteの曲は歌詞でよく韻を踏んでいた。私はanewhiteの韻を踏む歌詞が好きだった。
anewhiteに出会ったその頃、私の大好きな人達は世間の大きなうねりに飲まれ、大切なものを失った。幸いにも私の周囲に私の大好きな人達を嗤う人は居なかったけれど、それでも彼らも私も大切なものを沢山失った。それらは全て、もう永遠に取り戻せなくなってしまったものだった。世間に居場所がない様に思えた。大好きな人達の歌が聞けなくなった。
いつからか心にどす黒いものが日常的に巣食う様になっていた私を救ったのはいつでも音楽だった。聞く歌も聞くアーティストも少しずつ移り変わっていったけれど、私の傍にはいつでも音楽があった。その頃SixTONESやNEWSの曲ばかりを聞いていた私は一気に聞ける歌を失ってしまった。それでも音楽を聞かない生活は私には耐えられなかった。
そんな私を優しく救ったのがanewhiteだった。「怪獣と光線銃」の「報道は暴動へと変わる」という歌詞は私の心を強く揺さぶった。
もう一度SixTONESやNEWSの曲が聞ける様になるまで私は毎日anewhiteを聞き続けた。
「君と月、会いたい夜に。」や「恋人つなぎ」の様な真っ直ぐなラブソングが好きだったけれど、あまりリアリティが持てなかった。
ある時突然好きな人ができた。好きな人ができてから聞く「君と月、会いたい夜に。」や「恋人つなぎ」は彩度を増して聞こえた。
「つんとくる」なんて凄かった。「形あるものは朽ちて滅びても あなたを想う気持ちは一生モノだと知る」という歌詞に
「そんな訳がない」
と思っていたのに、
「本当にそうであって欲しい」
と思えた。そんな風にはならないだろう事を本当は薄っすらわかっていた。
同時に「チョコレート・ハートレイト」や「どうでもよくなれ」、「愛の次」を聞く痛みも彩度を増した。「愛の次」の「君を大切にできるのが愛で 私が大切になるのが恋だった」という歌詞の正当性を私は痛いほど思い知った。
anewhiteの曲は夜の匂いがする。
昼だろうと夜だろうと、友達と楽しく笑っていても家で泣いていても、私はいつだって夜の中に居る。
世の中には3種類の人間が居る様な気がしている。昼の人と夜の人、そしてどちらとも交われる夕方の人。きっと世の中は昼の人が多数で、夜の人は少数なのだ。私はそんな幼い妄想を割と本気で信じている。
私の心を救ってくれた曲は、酸欠少女さユりさんにしてもヨルシカにしても、どれも夜の匂いがした。anewhiteも同じ匂いがする。さユりさんやn-bunaさん、suisさんと同じ様に、きっと佐藤さんも優しい人だ。勿論河田さんや日原さん、鈴木さんも。
SixTONESやNEWSに興味を持つ様になってから、慎太郎(SixTONESのメンバーである森本慎太郎)やまっすー(NEWSのメンバーである増田貴久)の前向きさや明るさに元気を貰ったり救われたり、引っ張られたり、時にはその強さに守られたり、その眩しさに心が折れたり。そうやって日々をやり過ごしてきた。その光の眩しさに救われる日々の方が多かったけれど、さユりさんやヨルシカの歌に耳を傾けていた頃の私がどうしても救われきれない部分も残されていたりして、でもさユりさんもn-bunaさんもいつまでも同じ場所に居る訳ではなくて。私にとって彼らは神様だったけれど、彼らは神様ではなくて普通の人間で、色々な事に折り合いをつけて少しずつ大人になっていく。きっと私は彼らに理想を押し付け過ぎていた。神様と呼ぶには人間はあまりにも脆いという事をあの頃の私は知らなかった。
私は1人になった。それが現実に折り合いをつけようとせず、大人になろうとしなかった私への罰だった。私は「ピーターパン」に登場するロスト・ボーイズ達と何も変わらないのだった。
勿論彼らの様なできた人間ではないけれど、ほっくんやシゲさん(NEWSのメンバーである加藤シゲアキ)の方が考え方とかは割と私と近い様に思う。彼らが置いてきぼりになったままだった私の欠片を上手い事拾ってくれていたという事実を私はきちんと心に留めているし、anewhiteの歌も同じ様にして私の欠片が散逸しない様に繋ぎ止めていてくれていたという事実はきちんとそこにある。
「アンサー」という曲は、佐藤さんがツアーを回る中で感じた事を歌にした楽曲だと語っていたけれど、私は「どうしようも無いこの世界にまだ君がいてくれて良かった」という歌詞を聞く度に彼らの事を思うし、彼らに限らず私にとって大切な全ての人達の事を思う。
私が彼らを神様とは呼ぶ事はないし、「永遠」とか「絶対」とか「一生」を信じるのは嫌いだけれど、私が彼らを忘れる事はきっと一生ないだろう。私は今でも時々、昔大好きだったさユりさんやヨルシカの歌を聞いているのだから。
私は今でも、星の形のライトを綺麗に磨き上げては私の中の夜にぶら下げている。
anewhiteに関するツイートをする様になったら、anewhiteの公式アカウントや佐藤さんに時々いいねを貰う様になった。本人からツイートにいいねを貰う経験はもう何年も鍵をかけた非公開のアカウントに引き籠っていた私からしたら新鮮で、同時にとても恐ろしい経験だった。
「意外とエゴサしてるんだなあ…」
と思ったら空恐ろしかった。いいねを貰って承認欲求を満たしたいという醜い気持ちもあったし(本当にごめんなさい)、もし彼らの目に入るのなら彼らが「バンドを続けていて良かった」と思える様な言葉にしたいと思った。佐藤さんはほっくんがきっかけでanewhiteの存在を知ってライブハウスに足を運ぶスト担の事を「律儀な方」と評したけれど、私はそういった形で彼らの事を知ったという事情から彼らに今も負い目を感じている。そんな私が彼らの味方だと言い張るのは烏滸がましいし、名前を覚えられたりしたくもないけれど、もし欲を言うなら私の言葉が彼らにとって街中でぼんやり光って、目を凝らさないと見つけられないし目を離すとすぐに見失ってしまう星明かりくらいの鈍い光を放っていたら良いなと思う。
ちなみに先日試しにTwitterで「anewhite」で検索したら私のツイートがしこたま出てきて驚いてしまった。これは私のTwitter廃人振りを如実に表す結果だった。
「これはご本人様の目に入るわ…」
と私は呆れ返ったしかなりぞっとしてしまった。
ある時、anewhiteのInstagramを見ていて、何となくそのまま佐藤さんのInstagramを開いた。そこで彼が短歌を載せるサブアカウントを持っている事を知った。私は迷わずリンクを押した。
古い短歌から順番に見ていく。
「記念日に毎年買ってしまう花 今年も同じ名前を添えて」
という短歌があった。
付随された文章に
「この3人と売れたい。」
と書いてあった。うっかりちょっと泣きそうになった。
それから彼の短歌を幾つも読んだ。どれも寂しくて温かくて、優しい歌ばかりだった。
YouTubeに「夢現」という曲のライブ映像がある。その中で彼は、
「この曲で賞を獲って、バンド辞められなくなっちゃったんだけど、辞められなくなっちゃった人生についてきてくれて本当にありがとうございます。」
と言っていた。高校の軽音部でバンドを組んだ彼らは「夢現」を引っ提げて出場した都大会で優勝して、それ以来ずっとバンドを続けている様だった。
「夢現」の歌詞で「こんな脆い船に生活を乗せた」という歌詞がある。彼らの生活が決して楽なものではない事は何となくだが承知しているつもりだ。n-bunaさんもかつて電気を止められたと言っていた様に思う。
anewhiteのとあるツアーのタイトルは「点滅する生活」という。きっと彼らは、自身の歩む不安定な日々を「点滅する生活」という言葉に託した。
宮沢賢治の「春と修羅」という詩は
「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」
という一文から始まるのだけれども、何となくそれを想起させる様なタイトルだと思った。暗闇の中で明滅する青い光。道に迷っている私を照らす灯台はそれで十分だった。
私はanewhiteの他にブランデー戦記とかChevonといったバンドの曲も時折聞くのだけれども、つい最近これら全てのバンドが未だにメジャーデビューしていないインディーズバンドだという事を知ってひっくり返ってしまった。
anewhiteには売れて欲しいと思っている。でも、それと同時に知っている人達だけで隠しておきたい気持ちもある。きっとそれは私のエゴだ。
以前、俳優で歌手の福山雅治さんがTOKYO FMで放送している「福山雅治の福のラジオ」で、武道館でライブを行った際に自身がステージの上で見た光景を
「宇宙の様だった」
と語っていたのを未だに忘れる事ができない。
もしanewhiteが数年後にデビューして、楽曲が1億回再生とかされたりして、その曲を「CDTVライブ!ライブ!」で披露したりして、横浜アリーナとかさいたまスーパーアリーナとか、ゆくゆくは東京ドームとかで公演をするくらい有名なバンドになったら、きっと私は
「anewhiteが遠くに行ってしまった」
と寂しく思うのだろうし、もしかすると私の好きな歌詞や曲調とは変わっていってしまうのかもしれない。それでもきっと彼らは星に手を伸ばす事ができるし、きっと星に触れられる人達だ。彼らはきっと何処へだって行ける。
今は「脆い船」で「点滅する生活」を続けているのかもしれないけれど、きっといつかその船で星空の海を旅する日が来る。
彼らが自身の大切な船を「脆い船」と呼ばなくなる日が1日でも早く来ると良い。
夜の匂いのする彼らがアリーナやドームで見るかもしれない景色は、一体どんな星空なのだろうか。
本当に今更ではあるのだけれども、1st Full Album「2000's」を発売した2022年のanewhiteのインタビュー記事を読んだ。
佐藤さんは生と死について考える事が多いと言っておられて、「curtain call」や「怪獣と光線銃」、最新曲の「アド・アストラ」などの歌詞の少し重めの空気感の正体がストンと腑に落ちた。彼が明るい言葉に救われる日があると同時に「いや、うるせぇよ」と思う日があるという話を読んだ後に「ソワレの街で」を聞いたら「こんな世にも希望があるらしいが その全てを知ろうとするには弱い生き物」という歌詞があったので
「なるほどなあ…」
と思った。多分そういう事だ。本当にそうかは知らないけれども。
同じ記事で、佐藤さんは
「生きることをやめてほしくないんですよね。」
と言っていた。
いつからかはもう覚えていないけれど、ずっと前から死にたいと思っていた。
死のうとすれば母親に泣きながら止められた。彼女には本当に申し訳ない事をしたと思っている。
芸能人が自殺したニュースの後にいのちの電話の電話番号を出すメディアが嫌いだった。1回だけそういう番号に電話してみた事があるし、電話の相手は親身になって話を聞いてくれたけれど、結局話したところで息苦しさや死にたさが消える訳ではない事がわかってからは深刻な顔をしていのちの電話の電話番号を見せるアナウンサーが憎く思えた。
「どうせ綺麗事ばっかり言って、死にたい気持ちなんてわからない癖に」
と思っていた。知らない人から
「死ぬな」
と言われれば
「煩いな」
と思った。それでも、好きな人のきっと対不特定多数に向けられているであろう
「死なないで欲しい、生きていて欲しい」
という言葉を聞くと救われる気がした。友達に
「生きていて欲しい」
と言われる度に
「生きよう」
と思えた。どんなに楽しい事があっても、どんなに彼ら彼女らの言葉に救われても翌日にはまた
「死にたい」
と思っている癖に。私は毎日死ぬ事ばかりを考えている。
ちなみに時々であっても「死にたい」と思うのは「普通ではない」事らしい。では毎日そんな事を考えている自分はどうなってしまうのかと呆れてしまう。でも普通ではない自分に安心している自分も居る。普通ではないと誰かに指を刺されたらきっと物凄く落ち込むけれど。私はきっと頭がおかしいのだろう。
今すぐ死にたいけれど、今すぐ死にたいとは思わない。100歳まで生きてみたいけれど、80歳まで生きるのはまっぴらだ。
大学4年生になって環境も変わって、ダイエットも始めたし心療内科にも行き始めて、まあどうにか人生を上手くやりたいともがく真似をしたりしているけれども、何かが良い方向に変わっているとも思えないし将来に明るい道筋がある訳でもなく、生まれた意味も生きる価値もわからないままの日々を私はやり過ごしている。人生が点滅しているのはきっと彼らではなく私の方だ。彼らの放つ光が明滅する青い星明かりなのであれば、私の日々はきっと点滅している赤信号の様な日々で。
佐藤さんの
「生まれた意味を探している」
「人生の意義に興味はない」
という言葉に少し安心した自分が居た。
ある日の佐藤さんのnoteの
「死にたい夜はあってもいいんだ」
というタイトルに救われた。
「嫌いな花」の「長生きするつもりもない」という歌詞を見て、
「佐藤さんがそこそこの長さで切り上げてくれるなら、もう少し生きるのも悪くないか」
と思った。
佐藤さんの
「自分たちの曲を聴いてくれている人は今生きている人たちだと思うので、その人たちに向けて、強く、"一緒に生きていこうよ"と伝えたいですね。」
「生きることをやめてほしくないんですよね。」
という言葉を見て、
「もう少しだけ生きてみるか」
と思えた。少なくとも、anewhiteのライブに行くまでは生きてみようと思う。多分anewhiteが新進気鋭のバンドとしてSixTONESに楽曲提供するまできっと私は死ねないし、私はSixTONESのファンもanewhiteのファンもやめられない。
ここまで長々と文章を書いてきたけれども、これを私はどうしたら良いのかわからない。
きっと本人に見える状態にするには冗長だし、独り言として済ませるには私はこの文章に感情を込め過ぎた。
いつか彼らに直接伝えたい思いも自分の中の醜い感情も全て詰め込んだこの世界一くだらなくて冗長なラブレターが本人に届いて欲しい様な気もするし、もし読まれてしまったらそれはそれできっと気恥ずかしいし気まずい。
しかしながら私のnoteは結局のところ声が大き過ぎるだけのただの独り言であり、それこそ行く宛のないボトルメールの様なものだ。
ならば投げ込んだボトルメールが波間で揺れている様を桟橋から眺めていよう。それが何処に辿り着こうが私の与り知るところではない。
改めまして、anewhite結成5周年おめでとうございます。
どうか彼らのこれからの航海に幸多からん事を。
いつか絶対、会いに行きます。