何が起きても人生は続く、という話

(誹謗中傷に関する表現があります。嫌な方はブラウザバックをお願いします。)

久々にnoteでも書こうかと思ったら、noteにログインできなくなっていた。
簡単に事情を説明すると、私のTwitterのアカウントが大学の同級生に特定された。
Twitterのアカウントに紐付けされているnoteも同級生に読まれている可能性が極めて高く、そう考えるとnoteを書く気にもならず、そのうちにnoteに書きたいものがなくなってしまった。
そうしているうちに私がかつて大好きで、神様の様に崇めていたとあるアーティストが亡くなったので、その時だけは衝動に任せてnoteを投稿した。
ただ、その後はまた書きたい事がなくなってしまったので、またnoteを放置していた。
でもまあ更新しないと本当に永遠に更新しなくなってしまいそうなので、下書きに溜めていたものでも少しずつ出していこうかと思う。

端的に言うと、院試に落ちた。
正直に言うと、初日の学科試験が終わった時点で薄々そんな気はしていた。
勿論勉強していないのでそらそうだという話にはなるのだけれども、勉強したところが1つも出なかった。
何なら翌日の面接試験も緊張し過ぎて失敗した。
面接を終えて完全に終わったと思った私は自暴自棄で、友達やら同期やら親やらにやさぐれたメールを送り、そのまま雨の降る中大学の最寄り駅から隣の駅まで約1.6kmの道のりを久々に履いたローファーにストッキングで濡れながら歩いた。ほぼ裸足でローファーを履いているのと同じなので、踵に靴擦れができた。
当日のうちに教授から電話が来て、今後どうするか相談したいと言われた。
浪人して受けた地方(という言い方は失礼かもしれないけれど)の医学部。学科の時点で
「多分落ちたな」
と確信し、列車から見える遠ざかる山々を再び拝むのを楽しみにしながらも
「多分もう二度とこの景色を見る事はないだろう」
と薄々思っていた。結果現状そうなっている。その時と似ていた。その時も大学から泊まっていたホテルまでローファーにストッキングで歩いたのだった。
だから落ちたと聞かされても特に驚きもしなかった。
大学院に進学しても学会でやっていける気がしなかったので、落ちた事に少しほっとしてすらいた。
ただ、
「人生終わった」
と思ったのも確かだ。
ちなみに先程調べたのだが院試に落ちる人ってほぼ居ないらしい。まじで?
「この中から半分落ちるのか~」
って学科試験前に言ってた同じ学科の同期のあれは何だったんです?

では、私にやりたい事はあるのか?というと、残念ながら何もない。
母に
「せっちゃんは研究向いてると思うよ?」
「せっちゃんはマイペースだから、会社で働くの大変だよ?」
と心配されているのだけれども(ありがたい事だ)、そもそもADHDの特性を持つ人間を雇う会社などあるのか?という話だ。だからと言って大学院に進学しても学会やら何やらでやっていける気がしない。今時は何処の研究所にも費用はないのだし。
というかそもそも研究の進捗がゼロ過ぎて卒論が出せる気がしない。
その旨を冗談交じりで教授に伝えると
「そこはさ、頑張ろうよ。留年はないよ」
と呆れられた。当たり前過ぎる。やばい。

理系の学生にあるまじき事だが、私は割と占いは信じる方だ。
勿論バーナム効果の事は知っている。テレビで
「よく当たる!」
と持て囃されている占い師が
「インチキで占いをしている」
と言われているのも何度も見た事がある。でも何となく信じてしまう。
日テレのバラエティー番組「ぐるぐるナインティナイン」の名物(?)コーナー、「ゴチになります!」では占い師のゲッターズ飯田が毎年クビになるメンバーを占いに来てくれるが、命中率はまちまちだ。母親は
「この人の占いは信用できない」
と言うけれど、私は何となく毎年彼の著作を買っては何となく読んでいる。
さて、今年の私の買った本の帯には
「この1年の頑張りで人生が大逆転する」
とあった。
「2年後、4年後、5年後にどんな自分になっていたいかを考えて行動するように」
とも。
やりたい事もないのに?
2019年の乱気の年、2020年の裏運気の年に云々と言われても何も記憶がない。いや勉強はしてたよ?してたけどさ。予備校に通ってましたよ。めっちゃTwitter見てたけど。
2022年~2023年に見つけたやりたい事を…とか言われても
「何してましたっけ?」
状態。Twitterを見過ぎた弊害か?普通にそうかも。
多分ジャニーズ(と当時は呼ばれていた)のアイドルばかりを追いかけ過ぎた所為だ。あとシンプルに友達を遊びに誘うのが下手過ぎる。一生誘われ待ち。ありがとう誘ってくれる友達。あとは、課題にばかり追われ過ぎて他の事に目を向ける事すらしなかった。まあ当時は普通に院行くと思ってたからね。
そんな訳で、やりたいと思える事が本当に何もないし、割と真剣に人生迷子です。
どうしたら良いのかわからないから、最近は占いを調べまくっている。どれももっともらしい事が書いてある。何だか本当な気がしてくる。バーナム効果ってやつは怖い。

このひと月は今まで生きてきた中でも割と最低なひと月だったと思う。
もう時系列などは具体的には思い出せない(Twitterで検索したら出てくるだろうが)し正直知らない事も多いけれども、まあ適当に書き出していこうかと思う。
元々大学院に進んで良いのか悩んでいた節はある。勉強に集中できず、Twitterばかりを眺め、母親にも
「大学院に行く気がないなら就職しろ」
と言われていた。というか冷静に考えると、母親は
「大学院に行く気がないなら就職しろ」
って言っていたのに私が
「やりたい事がない」
とぼやき
「院に落ちたから就職するか」
などと思っているところで何故母親に止められているのだろう。とまあそれはさておき。その頃はまだ日記を書く時間の余裕があったので(勿論本当はそんなものを書いている場合ではない)見返してみると、
「本当に好きなアイドルの言葉を信じても良いのか」
とかそんな事が書いてある。お前そんな事言ってるから院試落ちたんやぞ。勉強に集中しろや。まあ当時はそれに悩んでいたのだから仕方ない。

ただ、多分全ての始まりはSixTONESのメンバーであるジェシーに熱愛報道が出た事だ。
最初は良かった。相手の女優さんも大好きな人だった。ただ、彼が個人事務所を通して出したコメントがまずかった。そのコメントは私からすると本当に彼らしいものだったのだけれども、世間やファンは彼が熱愛を認めかつふざけていると捉えたらしい。
これは私自身本当によくわからないのだけれども、当日の彼の個人ブログ「ジェシーのズドン!BLOG」の内容もファンの不信や失望を煽った様で。翌日彼はブログで謝罪文を出したのだけれども不満は収まらず、彼にまつわるTwitterの数々のハッシュタグや彼のInstagramのコメント欄にはファンの批判や非難、批判や非難を通り越した誹謗中傷が溢れた。
以前あるバラエティー番組でSMAPの元メンバーで俳優の木村拓哉がジェシーと同じくSixTONESのメンバーである田中じゅりにドッキリを仕掛けた事があり、その流れでジェシーの言葉遣いやスタッフを小馬鹿にしているとも取れる態度(勿論彼に悪気はないのだろろうが)を叱った事があった。
私は当時公開処刑の様にカメラの前で彼を叱った先輩の行動を不快に感じたのだけれども、当時彼の言葉を聞き入れ反省する様子のなかったジェシーが今回の事態を引き起こしたのはある意味必然だったのかもしれなかった。
彼は毎日更新していたブログの更新をピタリと辞めてしまった。私の見ている限り多くのファンはそれを受け入れた様だったが、当日のラジオに出演したばかりに
「有料のブログは更新しないのに何故無料のラジオには出るのか」
と再び荒れた。
簡潔に言うと炎上した訳だ。
勿論メディアは面白がって煽り立てる。
「アイドルとしてかくあるべき」
と世間に思われる言動をした人とジェシーを比べ、前者を褒めそやす。挙句
「ジェシーの所為でSixTONESのCDの売り上げが落ちた」
と嘯き、別のグループを持ち上げる。
それら全てにファンが食いつき、批判は増すばかり。人気グループのスキャンダル(私はスキャンダルとは捉えていないのだけれども)に別のグループのファンはほくそ笑む。
「うちじゃなくて良かった~」
と彼ら彼女らは嘯く。
そんな状況がこのひと月、ずっと続いている。ブログやInstagramの更新は再開されたが、彼の言葉は今もない。

ついでに言うと、SixTONESのメンバーである森本慎太郎も炎上した。
それこそ個人ブログ「もりもとーく」で
「(メンバーの出演作品は)興味のあるものしか見ない」
とかそういった話題で。
元々慎太郎は楽しく生活する事に重きを置く性格だし、興味のあるものには持ち前の好奇心を発揮するものの飽きっぽいところもあるし興味のないものには一切興味を示さない。そんな性格である事は周知の事実だった様に思うのだけれども、どうやらそのコメントも一部のファンの気に障ったらしい。
私からしたら
「そうなんだ」
としか言い様がないのだけれども。
Twitterにはメンバーを批判するツイートと擁護するツイートが飛び交い、私のところには擁護するツイートしか流れてきていないのだけれども(批判的なツイートをしているアカウントはその時点でブロックしている)、正直現状には疲弊している。

KAT-TUNのメンバーである中丸雄一の不倫報道もあった。はっきり言って週刊誌が取り上げただけなので真偽のほどはよくわからない。
けれども本人が謹慎処分になり事務所がコメントを出したのだから、ある程度は事実なのだろう。
NEWSのメンバーであるまっすーこと増田貴久の同期で親友でもあり真面目なイメージの先行する彼のスキャンダルは十分ショッキングではあったのだが、私がショックを受けたのはこの報道自体ではなく。
前夜の時点で週刊誌から予告は出されていた。不倫報道ではないかという予想がファンの間で飛び交い、私を含めたその情報を知るファン達は漏れなく全員不安な夜を過ごしたのではないかと推察する。
ただ、一部のファンが
「不倫をしたのは小山(NEWSのメンバーである慶ちゃんこと小山慶一郎)じゃないのか?」
と言い出したのだ。勿論事実無根である。
「横尾(Kis-My-Ft2のメンバーである横尾渉)が不倫してたら面白いのに」
という人も居た。
これらのコメントは彼らに対する侮辱以外の何物でもなく、見てしまった私は勿論とても傷ついた訳で。
結果的には違った。
心の隅で
「違って良かった」
と思ってしまった。
しかしながらきっと、そういう事を言った奴らは
「申し訳ない事を言った」
などと思う筈がないのだ。
「なーんだ、つまんない」
で終わって、すぐに忘れてしまうのだ。その事実に私は憤った。憤ったところでどうしようもなかった。
更に数日後には、小山とNEWSのメンバーである加藤シゲアキを嫌う母親がNEWSのLINEスタンプに対して罵倒の返信を寄越したという趣旨のツイートが異常な勢いで拡散されていた。それはもう、私の元に届くほどに。
ツイートをした当人は気まずいとコメントしていたものの、特に罪悪感を感じている風でもなさそうだった。
そして同時期、研究室の飲み会で始まった中丸の噂話は小山と加藤の悪口大会に発展し、先輩に
「NEWSのファンなんて居る訳ねえじゃん!」
と言われてしまった。
「私、NEWSのファンですけど」
私の言葉で場は一瞬凍った。
「まあ、まっすー(NEWSのメンバーである増田貴久)ならセーフだよ」
という言葉とちょっとした謝罪があり、そこから話題は別の方向に逸れていった。
心が折れた様な気がした。
何故何年も前の過ちを何年経っても蒸し返され、後ろ指を刺されなければならないのか。
全く同じ過ちを犯し、尚且つ酔った勢いで女性を殴ったある人気グループのアイドルはコロナ禍の外出自粛期間と謹慎期間が重なったのを良い事にまるでそんなスキャンダルなどなかったかの様な顔をして活動しているというのに!
正直納得などしていない。ジェシーと同じ様に熱愛報道を報じられ、尚且つ
「お相手の方とは仲良くさせていただいております」
とコメントしたアイドルは他にも居る。何故ジェシーだけが責められ続けなければならない?
私の中の違和感は怒りとなり、私を落ち込ませた。頭を渦巻く思いをツイートで吐き出さなければどうにかなりそうだったので自然とTwitterを見る時間は増え、勉強をする時間は減った。
NEWSの新しいアルバム「JAPANEWS」を引っ提げたライブツアーが始まり、小山のファンサが減ったと話題になった。
「ファンが減ったから、結婚したからファンサが減ったのだ」
と冷笑するファンも一部居たが、私にはその話題は彼がファンに心を閉ざした証左としか思えなかった。そういった趣旨の事を小山担のツイートを引用してツイートしたら、相手方は私がわざわざ嫌味を言ってきたのだと誤解したらしく、噛みつかれた。私は正直本当に心の余裕がなかったのだけれども、余裕がないなりに釈明したつもりだったし謝罪もしたつもりだったのだけれども、あまり伝わってはいなかったらしい。
その事も重なって私の心はますます暗くなった。
当時の私は慶ちゃんとジェシーがファンに心を閉ざしてしまったという事実(これも今思うとただの思い込みでしかない)に酷くショックを受けていたし、酷く傷ついていた。
「自分も含めたファンなど自分勝手なものなのだから、好きで居なくても構わない」
と思っていた筈なのに、実際のところは全くそうは思えていなかった自分にも嫌気がさしていた。
後から振り返っているからこう思うだけかもしれないが、この思考は本当に傲慢だと思う。それこそ生きているだけで最高のファンサというのは本当の事ではないか。
私はすっかり落ち込んでいて、おまけに自分自身の将来も心許ないものだから、ますます落ち込んでしまっていた。
大学院に行きたいのかわからなくなった。将来やりたい事がなかった。不安で仕方なかった。
本当に悩んでいる人からすれば私など悩んでいるうちにも入らないと思うが、私は本当に参ってしまっていた。試験の数日前になると私は投げやりになり、
「院試に落ちたら就職する」
と喚く様になった。何故周りに流されて院試を受けようと思ったのか。私はとても後悔した。

当日の教室は、あまり居心地の良いものではなかった。
スーツで学科試験を受けに来たのは私だけで、酷く浮いていた。
「ここから半分くらい落ちるのか~」
と言っていた同級生は何が可笑しいのかニヤニヤ笑っていた。
「いやー落ちたわ!」
と言っている同級生の声は明るかった。何故そんなに明るく居られるのか理解できなかった。
「まあ院試に落ちたら休学すれば良いよね」
平然とそんな事を言う同級生を私は軽蔑した。そんな事を言う奴らが本気で大学院に行きたい訳がないのに。
私は院試に落ちたら就職するつもりだった。これ以上両親に迷惑はかけられないと思った。私は推しのグッズやライブのチケットに支払う費用を両親に立て替えて貰っていた。

私は母親と揉めている。
院試に落ちたら就職しようと考えていた私に、母親はもう一度院試を受験する様に勧めた。
大学院に通った事は武器になると母親は思っている様だった。そして恐らく私が仕事を勉強より楽だと思い込んでいるのだと思っている。
私は専門的に研究をしたい訳でもないのに院に行くのは気が引けると思っている。
こんな言い方をすれば聞こえは良いがとどのつまり勉強がしたくないだけだ。こんな風にやる気のない状態で勉強をしたって無駄なので、それなら働いた方が社会の役にも立つというものだ。
こんな事を思っているけれども多分お金が欲しいだけなのだ。というよりお金がなければ暮らしていけない。どうせ私なぞは会社でも使い物にならないだろう。就きたい職種だってわからないし、エントリーシートの書き方も知らなければ面接で何を話せば良いのかもわからない。
私に将来はない。恐らく院試の勉強を始める前からとっくに詰んでいたのだ。
正直に言うと一刻も早く死んで楽になりたいのだ。
早く進むべき道を決めなければならないのに、私は今も進む方向を決められずに居る。

1つだけわかる事がある。
それは、院試に落ちても人生は続くという事だ。
たとえどんなに真っ当に生きていなくても、死ぬまで人生は続く。
どんなに
「人生終わった」
と思う様な事が起きても人生は続く。それこそ自分で終わらせるか不可抗力で終わったりなどしない限り、ずっと。
「うわ、人生終わった、死にたい」
と思ったから死ねる訳ではないし、人はそう簡単に死なない。いざとなったら呆気なく死ぬ癖に。
だから、どうにかして最善の道を選ぶしかない。そして道を選んだらそこを歩くだけだ。たまに休んだり、戻ったり、分岐点を選んだりしながら。
正直何かを考えるのが面倒な私にとって、自分の人生を決めるのは途方もなくて、絶望的な作業だ。
正直私の悪癖の1つである先延ばし癖にかこつけて先送りにしてしまいたい。何も考えず布団で眠り、美味しいものを食べ、推しを眺めて暮らしたい。
でも多分、それでは駄目なのだ。頑張らないと。
まあ正直私としては「頑張る」が肯定されるなら「頑張らない」も同じ熱量で肯定されて欲しいのだけれども、どうもこの世界はそうはいかないらしいので。


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