翼を生やした虎の子は
最近、気になる人が居る。
見苦しいかもしれないし、読んでも面白くないだろうけれども、今回はその人が気になる様になった顛末をなるべく時系列順に詳しく書いていこうと思う。まあ、あれだ。備忘録的なやつだ。
元々私はTravis Japanというグループの事を殆ど知らなかった。
昔NHKでやっていた「ザ・少年倶楽部」という番組に出てきた彼らを見ていてグループ名を知っている程度だった。
よくSixTONESのYouTubeで名前が出てきていたし、コラボ動画を撮影した事もあった。メンバーのきょもこと京本大我が会長を務める「京本会」にTravis Japanのメンバーが3人ほど居る事は知っていた。
彼らは2022年の初旬、突然アメリカに無期限で留学し、ロサンゼルスで共同生活をすると言い出した。そして旅立っていった。失礼ながら私は彼らがある種の「厄介払い」をされてしまったのではないかと思った。
「どうせ暫くしたら帰ってきてデビューするんだろう」
と呆れた様なツイートも見た。しかしながら彼らは数々のダンス大会で結果を残し、結果的に世界デビューを果たして華々しく凱旋した。私はそんな彼らを見て密かに胸を撫で下ろしたものだった。
名前が読めない人が2人(厳密には「しーくん」こと「吉澤閑也」も含めて3人)居た。苗字が読めない人と名前が読めない人が居た。何処かのタイミングで、苗字が読めない方が「七五三掛龍也」、名前が読めない方が「川島如恵留」という名前だと知った。誰が初見で読めるんだよと思った。
一番最初に顔と名前を覚えたのは「ちゃか」こと宮近海斗だった。
いつだったかは忘れてしまったが、+81 DANCE STUDIOというYouTubeチャンネルでTravis JapanがSMAPの楽曲「SHAKE」を使ってダンスを踊った事がある。振り付けを担当したのはKing & Princeのメンバーである海ちゃんこと髙橋海人で、恐らくその繋がりで見たのだと思うし、「SHAKE」が好きだからというのもあったと思う。楽しそうに踊る人達だと思った。
King & Princeのれんれんこと永瀬廉、髙橋海人が司会を務める「少年俱楽部プレミアム」にTravis Japanが出た回を見た事がある。正直あまりその時の事は覚えていないけれど、随分賑やかで、2人と親しげだった事は覚えている。何人か顔を覚えたけれど、すぐに忘れてしまった。
フジテレビ系で放送されているバラエティー番組「ドッキリGP」の事が私は好きではない。「ドッキリGP」が嫌いというより、ドッキリというジャンルが嫌いなのだ。ドッキリは面白くない。可愛らしいものならまだ微笑ましくもあるけれど、出演者を過剰に怖がらせる演出や怪我人が出かねない演出などもあって辟易してしまう。
そんな私が何故2023年12月9日の「ドッキリGP」を見ていたのかよく覚えていない。目当ての人でも出ていたのだろうか、と気になって調べたら、「秒でファスナー上げられる」というドッキリにKAT-TUNの亀梨和也が登場し、Sexy Zone(現timelesz)の菊池風磨に逆ドッキリを仕掛けるという企画があったので恐らくそれを見ていたついでに見たのだろう。そこに出ていたのがTravis Japanのメンバーである松田元太だった。九九が言えないという彼はSnow Manのメンバーである向井康二扮するマッサマンとの記憶力対決に敗北し、逆バンジーで空を舞った。自分でも何を書いているのかよくわからない。彼は、彼の名前しかぼんやりと認知していなかった筈の私に強烈なインパクトを残していった。それは一緒に番組を見ていた母もそうだった様で、母は松田の壊滅的な記憶力に唖然としていた。
川島如恵留という人の事をいつ知ったのか今となっては全く思い出せない。クイズ番組に出ていたのだろうか。それとも私の大好きなグループ、NEWSのメンバーであるシゲこと加藤シゲアキの後輩(加藤と川島は同じ青山学院大学の出身である)として存在を知ったのか。初めて名前を聞いてまず思い出したのはフランスのクリスマスと、家の近所の寺院で番犬をしている「ノエル」という名前の大きなまだら模様の犬だった。
ノエルは私が子供の頃から生きていて、私が帰る途中に興味本位で寺院の中に入り込む度に大きな声で吠えた。寺院の門が閉まっている時に私が門のそばに近づこうものならノエルはとんでもないスピードで走ってきて吠えてきた。私が門のそばを通る時、門の下から鼻を突き出していた事もあった。当時小学生の私はノエルと仲良くなりたかったが、ノエルは絶対に私に心を許さなかった。私はノエルが大の苦手で、ノエルは大した番犬だった。少なくとも10年は生きているノエルは相当な老犬の筈だが、今も寺院で番犬をしている。ノエルの吠える声を聞いた母は
「声に張りがなくなった」
と言っていたけれど、特に私はそうは思わない。
話を戻そう。今はノエルではなく如恵留の話をしている。私は普段彼の事を「のえるくん」と呼んでいるので、ここからはそう呼んでいこうかと思う。
のえるくんは聡明で高学歴の所謂「インテリアイドル」だった。「インテリアイドル」というカテゴリーに所属する人は私にとっては殆ど無縁の存在だった。私の好きな人達の中で所謂GMARCHと呼ばれるランク以上の大学を卒業していたのは、青山学院大学を卒業した加藤と、NEWSのメンバーであり、明治大学を模範生で卒業した慶ちゃんこと小山慶一郎だけだった。そもそも私の好きなアイドルは半数以上が高卒だった。学歴至上主義で居たくないから彼らの学歴を気にした事はないけれど、稀にクイズ番組に出演した際の彼らの成績は決まって惨憺たるものだった。
いつだか忘れてしまったが、私はTravis Japanが出演する音楽番組の番宣を見ていた。結局その日は別の番組を見ていて、その番組自体は見なかったのだけれど。
どういう流れだったか忘れてしまったが、恐らく話の流れだったのだろう。彼が前に出てきたかと思ったら宙を舞っていた。恐ろしく綺麗なバク転だった。
かの事務所に所属するタレントたるもの、バク転の1つもできずしてどうする(勿論できない人も少なくないし、前述の京本大我もその1人だ)と人は言うかもしれないけれど、音痴と名前のつくものは殆ど全てコンプリートしてしまっている(運動音痴も例外ではない)私からしてみればバク転のできる人は羨望の対象だった。私はSixTONESのメンバーである森本慎太郎がバク転をしているのを最後に見てから本当に久し振りにバク転をするアイドルを見たのである。何となく勉強のできる人間は運動ができないというステレオタイプに囚われている私は、だからこそ彼の綺麗なバク転にとても驚いてしまったのだ。
「多分私はこの人を好きになる」
私にはそんな確信めいた予感があった。
高校時代に彼が生徒会長をしていたというツイートを見た。茶道部に居た事も、廊下を走った事がない事も同時に知った。本当に何でもできてしまうのだと私は感心したし、その頃には私の中の彼のイメージは「優等生」で固められてしまっていた。
NEWSは国民的アイドルではない。かつて絶大な人気を誇った絶対的センターはとうに去り、「イチゴのないケーキ」と揶揄され、活動休止状態に何度も陥り、メンバーは不祥事を犯し、またメンバーの脱退を幾度も経験した結果今となってはメンバーは3人しか残っていない。デビュー当時の人数の1/3だ。
手広く後輩と付き合っている訳でもないし、正直ライブの演出も誰でも楽しめるものとは言い難い。
しかしながらかつてNEWSのバックダンサーとして活躍し今でもNEWSを慕う後輩達の他に、元メンバーの手越祐也の歌唱力やメンバーのまっすーこと増田貴久のアイドル性に憧れる者や心優しく頼りになる小山慶一郎を慕う者、クールで気難しく見える加藤シゲアキのミステリアスな魅力や彼の紡ぐ世界観に惹かれ挙句の果てに「小シゲ」を自称する奇特な御仁なども居ない訳ではなかった。どうやら川島如恵留もそのうちの1人だったらしいのだ。
ある日、Travis JapanのInstagramのストーリーと加藤の親友の勝地涼のInstagramのストーリーに勝地、加藤、川島、Travis Japanのメンバーである「うみんちゅ」(私は「うみくん」と呼んでいる)こと中村海人の写真が載った。
「あの極度の人見知りのシゲが後輩とつるんでいる!」
という訳でチームNEWS(NEWSのファンの名称)はかなりざわついた。私も驚いたには驚いたけれど、大して気にはしなかった。でも、人見知りなだけで本当は後輩思いのシゲさんに仲の良い後輩が居て良かったとは思った。
NEWSのデビュー20周年記念の東京ドーム公演「NEWS 20th Anniversary LIVE 2023 in TOKYO DOME BEST HIT PARADE!!!~シングル全部やっちゃいます~」に彼は足を運んでくれていた。
「フルスイング」を耳にして涙した事、人生で1度は足を運ぶべきライブであった事、NEWSのメンバーと写真を撮る際、3人はTravis Japanのグループポーズである「TJポーズ」をしてくれていたのに自身は緊張のあまり忘れてしまっていた事などを彼はInstagramのストーリーを用いて熱量高く報告してくれていた。写真に写った彼は笑ってこそいたものの緊張のあまりガチガチで、私はそんな彼の姿を見て微笑ましく思ったものだった。
NEWSのライブは後輩が見学に来ない。仕事の都合がつかないとかそういう理由なのだろうけれども、それにしても来ない。増田に強い憧れを持つtimeleszの聡ちゃんこと松島聡や小山を慕う少年忍者のメンバー数人は昨年のライブツアー「NEWS 20th Anniversary LIVE 2023 NEWS EXPO」に足を運んでくれたりもしたけれど、それ以外はさっぱりだ。それに対して苛立つという事もないけれど、複雑な気持ちが全くなかったといえばそれは間違いなく嘘だ。そんな中でこれほどNEWSのライブを楽しんでくれた後輩が居たという事実は私にとってはほんの少し救いだった。
加藤の冠ラジオ「SORASHIGE BOOK」で川島と中村の名前が出た。
事務所の合同ライブ「WE ARE! Let's get the party STARTO!!(通称ウィア魂)」は色々な、本当に色々な事が煮え切らないまま、途中永瀬廉が耳の怪我により大阪公演出演見合わせとなるなどのトラブルが起きながらも滞りなく完遂された。NEWSは増田の主演舞台「20世紀号に乗って」の千秋楽公演の日取りが東京公演と重なってしまい大阪公演のみの出演となった。
そうしてはるばる大阪にやってきた加藤は相変わらずの人見知りを発揮し、楽屋に引き籠ってデスクトップの整理に勤しんだ。そんな中でも彼が会話をした数少ない後輩が川島と中村、そして加藤が脚本を担当した舞台「染、色」で主演を務め、現在も加藤と交流のあるAぇ! groupの正門良規だけだったとの事だった。彼は他にもKAT-TUNの上田竜也や先輩である嵐の松本潤とも言葉を交わしたり親友であるSUPER EIGHTの丸山隆平と一緒に帰宅したりなどしたそうで、極度の人見知りである彼を心配していた私を含むファンは皆、彼が様々な人とそれなりに交流できたという事実に安堵した。
いつもならそれで終わる筈だった。なのに何故か私はTravis Japanの新曲「Sweetest Tune」を聞いており、そして突然+81 DANCE STUDIOに投稿されていた「SHAKE」の事を思い出したのである。何故かはわからない。ウィア魂で永瀬に代わって「moooove!!」を髙橋と共に踊り切った松田元太の姿が脳裏に焼きついて離れなかったからかもしれない。
髙橋海人という人はダンスの申し子だった。その実力は折り紙つきで、詳しい事は知らないけれども全国大会で優勝した事もあるらしかった。
彼はダンスを愛して止まなかった。今でこそアイドルは自分の天職だと彼は公言して止まないけれども、以前は
「アイドルになんかならない、ダンサーとして生きていく」
と言って憚らなかったほどである。
そんな彼は同じくダンスを得意とするTravis Japanと踊りたがっていた。「SHAKE」の振り付けを考えていた彼は
「楽しみにしていてください」
とくりくりとした目をカメラに向けた。
Travis Japanの7人は騒がしい人達だった。彼らは踊っている海ちゃんの姿を見ながら大声を出したり手を叩いたりした。陽気な彼らは見ているだけで少し怖かった。おっとりしていて少し引っ込み思案な海ちゃんの性格を少しは知っている私は彼を心配しそうになったけれど、別に7人は後輩の彼を馬鹿にしている訳ではなく寧ろ尊敬してすらしていて、「まちゅ」こと松倉海斗は帽子を取って彼に深々とお辞儀をした。
金髪の人が
「踊ってる姿を見てるだけで『この人絶対良い人なんだろうな』っていうのが伝わってくる」
と言ってくれていて、何だか嬉しかった。その時はわからなかったけれど、暫くしてのえるくんだった事に気がついた。
彼らは本当に楽しそうに踊る人達だった。髙橋の考案した振り付けのキャッチーさも相俟って、見ていると元気が出た。
7人の中にえらく可愛い顔の人が居ると思った。調べた結果、その人が「しめちゃん」こと七五三掛龍也だと知った。
新年にアップした動画という事で、髙橋の登場しない方の動画では彼らは白い巨大なトラのぬいぐるみ、通称京本Tigerを巻き込んでのパフォーマンスを披露していた。
前述の通り、SixTONESのメンバーである京本大我はTravis Japanのメンバーである宮近、松倉(京本は「まつく」と呼んでいる)、七五三掛と親しく、4人で「京本会」という集まりを開いている。酔っ払うと奇想天外な行動に出がちな京本はある日、酔っ払った勢いで白い巨大なトラのぬいぐるみを注文してしまった。勿論邪魔だ。そこで彼はぬいぐるみを尤もらしい理由をつけて友人達に押しつけたのである。それが京本Tigerだった。Travis Japanが留学する際輸送費の都合で連れて行けず別れてしまうまで、彼らは文句を言いながらも京本Tigerを可愛がり続けた。京本Tigerの方も収録現場や楽屋で彼らの活躍を見守り続けた。
Travis Japanの人達は、騒がしいけれど優しかった。
企画動画を見たら絶対ハマってしまうと思ったので、MVやパフォーマンス動画ばかりを見ていた。ショートにソロダンス動画があったので全員分見た。全員で踊っていると動きがぴったり揃っているように見えるのに、ソロで見ると細かい動きのクセの違いがある事に驚いた。
色々な人が居た。振りが小さめの人、ダイナミックに踊る人、動きがしなやかな人。全員足が長くてスタイルが良かった。楽しそうに踊る姿から目が離せなかった。片手をポケットに突っ込んで踊っていたのえるくんの姿が頭を離れなかった。
幸運だったのは、トラジャ担(Travis Japanのファンの名称)の人達がとても親切だった事だ。彼ら彼女らは俄かに興味を持ち始めた私にパフォーマンス動画や企画動画を紹介してくれたり、メンバーの事を教えてくれたりした。そして私の数々のツイートに大量にいいねをくれた。フォローをしてくれた人まで居た。私はその勢いに面食らってしまったけれど、とても嬉しかった。そういえば関ジャニ∞(現SUPER EIGHT)に興味を持った時のeighter(SUPER EIGHTのファンの名称)の人達もこんな感じだったな、と思った。
そしてもう一つ幸運だったのは、Travis Japanはグループ単体のYouTubeを持っていたという事だった。
私はとりあえずメンバーの人柄や関係性を知る為にまずはWikipediaを読み、その後はテレ朝系の音楽番組「ミュージックステーション」のYouTubeにアップされる数分のミニ動画、通称「Mステカメラ」を見る事にしている。Travis Japanにこの手は通用しなかった。Wikipediaを見ても殆どのメンバーは来歴しか書かれていなかったのだ。私はがっかりしたけれど、グループ単体のYouTubeがあったお陰でそこまで困らずに済んだのだった。
彼らのブログを読んだ。短いブログを毎日更新する人、毎日ではないけれどほぼ毎日ブログを更新する人、更新期間はまちまちだけれどそこそこ長いブログを更新する人、更新頻度が高くない代わりに長めのブログを更新する人、これも色んな人が居た。驚くべき事なのだけれども、のえるくんの個人ブログ(「僕ら虎の子、ひのまるしょって」、通称「とらまる」の中の「のえる」のコーナーなので「のえまる」という)だけ3ヶ月分アーカイブがあった。これはこれまた膨大な定期更新(「とらまる」には特定の日に特定のメンバーが更新する「定期更新日」があり、宮近は2日、中村は6日、川島は14日、七五三掛は18日、松倉は26日という事になっている)のログの比較的最初の方で
「アーカイブを残しておけば自分を知ってくれた人が自分がどういう人なのかわかる様に」
と説明されていた。ファインプレー過ぎる。丁度今私が読んでます。良かったね。
企画動画を見た。彼らは騒がしかった。何故SixTONESとコラボするとあんなに静かになってしまうのかわからないほどだった。ふざけているメンバーにツッコミを入れる事はあったけれど、彼らは互いを必要以上に責めなかった。年上のメンバーをちょっと意地悪く煽っても、何故か嫌な感じがあまりしないのが不思議だった。ふざけたり人を煽ったり、そんな役割をうみくんが積極的に引き受けてくれているらしい事を知った。きっとTravis Japanは7人の色々な形の優しさが噛み合って回っている。
これは私ののえるくんへの好印象を含んだ主観的な感想でしかないのだけれども、簡潔に言うと、彼は色々な意味で印象に残る人だった。
茶色がかった瞳と通った鼻筋、雪の様に真っ白な肌はワンエイスという彼の出自に由来するものなのかもしれなかった。耳には彼の真面目な印象を覆そうとするかの様にピアスがぶらぶらと揺れていた。話を聞くに彼は8つもピアスホールを開けていて、おまけにへそにまでピアスをしていた。私はそれを聞いてびっくりしてしまった。ピアスなんて痛そうなのに勇気があるんだなと思った。
彼はよく笑う人だった。たとえ彼が画面に映っていなくても、メンバーがふざけている動画では画面外からよく彼のツッコむ声かカラカラと笑う声が聞こえた。耳に残る声だった。好きな声だと思った。
彼は色々な事ができた。料理が得意だったし英語は勿論手話も堪能で、他にも様々な国の言葉を勉強していた。ニコニコ超会議のポーカーの大会に出場すれば優勝を勝ち取ってきた。勉強好きの彼は資格を幾つも持っていた。あるジャンルの同人イベントに現れてそのジャンルのファンをざわつかせた事もあった。彼は猫が好きだった。彼の家には「しらす」と「ひじき」という2匹の保護猫が居た。
今まで天真爛漫で明るいアイドルばかりを好きだった私からしたら、彼は今まで見た事のないタイプの人だった。
「のえるの隙間時間」という個人YouTubeがあると聞いて見てみる事にした。初回の動画が35分あって怯んだ。寝る前に見させて貰った。全部に字幕がついていた。
彼が自身を
「自己顕示欲の塊」
と呼んでいた事に本当にびっくりした。彼の話は少し難しくて、こんな事を言っては申し訳ないけれど少し長かった。動画を見ながら「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉を思い出した。アイドルとしての自身とプライベートの自身の間の時間まで届けていきたい事と、リスク管理の観点などから収益化の予定はない事を彼は語った。他のメンバーが何か(YouTubeでも良いし他のSNSなどの可能性もあるだろう)を始めたくなった時に自分のYouTubeが足がかりになるかもしれない事や、YouTubeを公園の様にしたいという事も。
勿論仕事をしている時間とプライベートの時間の間に時間がある人も居るだろう。私にはイメージできないけれども。それさえ公開しようとしているのは生半可な覚悟ではないのだろうなと思った。収益化をしない事も。
彼の言いたい事の細かいニュアンスが間違って伝わるのは彼にとっても、何より私自身にとって不本意なので、というか普通に面白いので見て欲しい。凄いから。リンク貼っとくから。なんか本人も宣伝して欲しいって言ってた気がするし。
のえるくんは思慮深くて、とても真面目な人だった。彼はストイックで努力家だった。彼は好奇心旺盛で貪欲な人だった。彼は言葉選びが上手だったし、品行方正だった。
それでいて彼は可愛らしいところがあった。絵文字だけを送り合ってメンバーと合流する企画をやった時、メンバーと再会した彼は飛び跳ねて喜んだ。
彼はメンバーにもファンにも優しかった。彼はTravis Japanとメンバーのファンでもあった。彼はメンバーの誕生日は絶対にブログで祝ったし、七五三掛の誕生日記念のインスタライブに姿を見せ、手紙を渡して帰った事もあった。
彼は個人ブログ「のえまる」でファンから質問を募集している。質問箱には質問の他に自撮りや愛猫の写真を求める声も届く。彼はそれに快く応じた。質問箱には他にもお悩み相談もよく届いた。彼はそれにも誠実に返答していた。彼は頑張り屋なのに、頑張れないと思い悩むファンを決して否定しなかった。彼の口癖は
「生きててくれてありがとう」
と
「生きてるだけで偉いんだよ」
だった。私はTwitterをよく見ているので、時には彼の言葉に関係なく
「『生きているだけで偉い』なんて綺麗事だ」
という意見を目にする事もある。正直その意見は私も理解できる。
「生きててくれてありがとう」
と事あるごとに口にする彼に対して
「もっとアイドルらしい事は言えないのか」
という批判と呼ぶには小馬鹿にしている様にも見えるツイートも見た。私はそんな事は思わないけれども、自分が生きている意味がわからないから、彼の言葉に心を動かされたかというと正直そうでもなかった。でもきっと、彼の言葉に救われる人も沢山居るんだろうなと思った。私はそこには該当しない、というだけで。
彼はファン思いだった。彼はやりたい事が沢山あったし、のえ担(川島如恵留の担当、つまり彼のファンの事だ)と一緒に様々な景色を見るのを楽しみにしていた。ブログで彼が語る夢はキラキラしていた。私はそんな彼を見ているとワクワクして、
「大丈夫だよ、のえるくんならやれるよ」
と思っていた。私はきっと彼のファンではないけれど、彼の事を応援したかったし、味方で居たいと思った。
彼はファンへ惜しげもなく愛を伝えた。あざとさすら感じるほどに。
実際のところ、彼が何を考えているのかはわからない。本当にファンを愛しているのか、本当にファンに
「生きててくれてありがとう」
と思っているのか。
でも何故か私はその言葉を信じられる様に思った。彼と彼のファンは相思相愛なんだなと思うし、その関係性が微笑ましいと思った。私はいつも他人事で彼らを眺めていた。
認めるのは少し癪なのだけれども、私は多分彼の事が好きだった。あと1人推しが少なかったら、今頃私はもうTravis Japanのファンクラブに入っていただろう。正直何となく自覚もあった。
それでも私は彼のファンだと意地でも認めなかった。今は大好きでもそのうち飽きてしまったら気まずくて悲しいし、認めるのは恥ずかしかった。でももう1つ理由があった。
彼は、私には眩し過ぎるのだ。私は怠惰で狭量で、意地も悪いと思う。夢もない。やりたい事もない。私は未来が怖い。のえるくんは何処にでも行けるけれど、私は何処にも行けない。こんな私が彼を好きで居たら、彼に申し訳ないと思ったのだ。私は彼に恥じない生き方をしている人間ではない。その思いだけが私に歯止めをかけていた。
学校から帰る途中、家に向かうのとは反対方向の電車に乗った。
私は自分の怠惰が原因で数日前に母親と喧嘩していたところで、殆ど口を利いていなかった。自分が悪い事はわかっていた。こんなに母親を怒らせて、時に泣かせてばかり居る自分は家に居ても良いのだろうかと思った。家に帰りたくなかった。
「帰りたくないなら帰ってくるな」
と以前母親に言われた事があったので、別に家に帰らなくても良いのだと思った。
おまけに研究室から帰る時に、どうやら私だけ特に挨拶を返されていないらしいという事に気がついてしまった。いよいよ私の居場所は何処にもないのだった。全てが自分の所為だった。
都心はどんどん遠ざかり、窓の外はどんどん暗くなった。
翌日はNEWSのライブツアー「JAPANEWS」の当落発表が控えていたので、それが駄目だったら死んでも良いかもしれない、と思った。
音楽を聞きながら少しずつのえまるを読んだ。私はもう3ヶ月分のアーカイブを全部読んでしまっていて、質問箱や定期更新のログを読む様になっていた。私はその時すっかり落ち込んでいたのに何故それを読む元気があったのか今となってはよくわからないのだけれども。
たまたま読んでいた回で、彼が痩せたという話になった。2ヶ月ほど前に上手く食事が摂れていなかったという彼の事が心配になった。
「出来れば貴方には健康で居て欲しいな。」
と文章は続いた訳なのだけれども、私からしたらその言葉をそっくりそのまま返したかった。
そこから生きているから逢えるという話になり、彼は言ったのだ。
「生きてるだけで偉いんだよ、本当に!」
その言葉を見た瞬間私は涙が溢れて止まらなくなってしまい、電車の中で声を出して泣いてしまった。
私は以前似た様な文章を見た事がある。シゲさんのラジオの文字起こしだけれども。
「生きてりゃ会えるんだもん、生きてりゃ励ませるんだもん」
「無責任に言います、生きろ」
もしかしたら無責任かもしれないし、綺麗事かもしれない。私はきっと励まして貰う資格なんてない。それでも私は何度もこの言葉に励まされてきた。
偶然だけれども、彼も殆ど同じ事を言ったのだ。彼が神様と呼び慕う加藤シゲアキと同じ事を。
「生きるぞ! ずっと、一緒に!」
この一文を見た時、明確に死の淵から引き戻された感覚があった。
そんな言葉は、小手先の綺麗事かもしれない。そんなのに救われてしまう私は大して悩んでいない弱い人間なのかもしれない。
それでも。
たとえ綺麗事でも、繰り返し言い続ければ人を救う事もあるのだ。
あの日私はそう思った。
反対方向の電車に乗って、私は家に帰った。死ぬほど心配していた母親に泣かれた。
今からでも、私はまだやり直せるだろうか。
年齢だけで言うと、私はもう随分前に大人になってしまった。
「のえるくんの様な素敵な大人になる事」を目標にしても構わないだろうか。私でも目指せるだろうか。
いや、目指そうと思う。
のえるくんの言う
「生きてるだけで偉い」
が真実なのか、ただの綺麗事なのかはわからないけれど、少なくとも今の私は私に対してそう思えないから。
変わろうと努力もしないで
「私なんて居ても居なくても良いんだ」
と自分を責めている振りをして拗ねているのはダサいと思うから。
きっと上手くはできないし、すぐ諦めてしまいそうで怖いけれども。
新宿駅に、毎年夏にTBS系で放送される大型音楽番組「音楽の日」の広告が掲示されたので、今年も寄り道して見に行ってきた。
去年も撮影していたSixTONESや母親が大好きなSnow Man、彼らが慕う先輩のKis-My-Ft2に混じって、Travis Japanもそこに居た。全員楽しそうに笑っていた。
それを見ただけで私は何だかちょっとグッときてしまった。
どうやら私は、自分でも思った以上にTravis Japanの事が好きらしい。