見出し画像

毒な母を今なら手放せる気がする

私と母は折り合いが悪い。

そのことに、母は気づいていない。

母の世界はとても狭い。

私は母の狭い世界の、窮屈な「ふつう」「あたりまえ」の基準の中で生きてきた。そうしなければ平手や「バカじゃないのか」「おまえはおかしい」といった、私の価値観を全否定する言葉を受け続けることになるからだ。

学校ではいじめを受けていたし、家に帰れば母に監視(多分母は「見守り」のつもりだった)されていたので、私には安息の場所が皆無に等しかった。

毎日「明日死んでいたいなぁ」と夢見ていたくらい。

高校卒業とともに家を出て、多くの世界を知り、私が認識している「ふつう」と「あたりまえ」の多くが、実はそうでないことに少しずつ気づいてきて、ひどく混乱した。

そして30代、世界で唯一私の理解者だった父と死別したとき、私は鬱を患い、同時に今まで溜めに溜め込んでいた母への憎悪が爆発した。

寝ても覚めても、母がこれまで、そして今でも私に見せて聞かせる言動に怒りがこみあげ、泣き、歯ぎしりし、悪口を垂れ流す、を繰り返しても一向に収まらない。

それは知人や出先で見かけた誰かの母親が、過去に私が受けて傷ついた母の言動と同じ、またはそれを思わせる言動を目にしたときにもスイッチが入る。

ここ最近は怒りの熱も冷めてきたので、過剰なヒステリーを起こすことはなくなったが、今現在でも、そのような光景を目にしたときの私の態度は、傍から見てもいろんな意味で酷い。
多分、そのときの私はチベットスナギツネと同じ表情をしている。

母を心底憎んでいた。

母のように、本音は不幸を呪いながら、世間体で「今のままでじゅうぶん幸せ」と顔を歪ませながら言い張る人生を、死んでも送りたくない、と激しく首を横に振って、私は何年も自己啓発本を読み漁った。

学びは私に多くの新しい視点を与えて、助けてくれた。

ただ、多くの著書で「怒りや憎しみを手放しなさい」といった文言が目に入ると、私は気が滅入った。

他にも「今まであなたが苦しめてきたものごとを捨てなさい」とか、「あなたが苦しんでいるのはあなた自身の選択だからあなたのせい」とか、「あなたの受けている苦しみは、あなたの過去世から受け継いだもの」とか(これは前世が見えるとかいう知り合いから言われた)、即座に言ってる人の背後をホールドして何度もバックドロップかましたい、と怒り心頭な内容もあった。

しかし最近、ほんとにここ最近、永遠に冷めることのない灼熱だと信じてやまなかった母への憎悪を、心安らかに手放すことができるかもしれない、と思えてきた。

ひとつ。

最近読んだD・カーネギーの「人を動かす」の筆頭に「盗人にも五分の理を認める」という話があった。

ざっくり解説すると。

殺人を屁とも思わない極悪人は、逮捕されて極刑を言い渡されたら罪を反省するかというと、そんなことはなく、むしろ自分は罪を犯したのではなく「正義を重んじる善人」だと思っていて、なぜ自分が罪人扱いされているのか理解していない。

つまり、人が危害を与えるのは、根本にその人の中にその人なりの正義に則った、その人なりの正当な理由に基づいているののがほとんどなので、たとえその人の行為を非難したとしても、彼らにはほとんど届かないので役に立たない、という内容だった。

この話を読んで、(私から見た)どうしようもない母をどうにかしたいと、躍起になって非難した行為が「のれんに腕押し」だった理由を理解した。

それは、最近亡くなった伯父(母の兄)が教育熱心で、母やほかの兄弟の学校の成績が悪いと定規や拳で殴ってた(昔はそれを「しつけ」と呼んだ)という話題が出たときに、母が「そんなひどい虐待、私は一度もやったことがない!」と表情を強張らせて断言したときに、納得できた。

母は伯父とまったく同じことを、定規や拳を暴言に持ち替えて私に行っていたことを「すっかり」忘れていたのだ。

つまり母自身、自分の行為は、はなから「ひどい虐待」と思っていなかった。

怒りに燃えていた頃の私だったら、母が自責の念で苦しむ様を見るまで、母が私に行ってきた虐待の数々を挙げ連ねたのだろうが、「母が反省しない理由」がすとん、と腑に落ちたとたん、母の罪をひとつひとつ数えるのが馬鹿らしく思えて、母を責めるのをやめることにした。

「やめた」ではなく「やめることにした」と表現したのは、「やめる」行為がまだしっかりと身についていないから。

そもそも、母の思考が尋常じゃないからといって、私が同調して母と同じ土俵に立つ必要はまったくない。

そしてもうひとつ。

母はひとり暮らしをしているのだが、足に障がいを抱えているので、ひとりではこなせない家事を手伝いに、たまに帰省する。

顔を合わせるのが苦痛極まりなくても、障がいに罪はない。

最近、母と家でともに過ごすとき、私は武田有紀先生の「繊細さんの本」に載っていた方法をとるようにしている。

それは「苦手な人と一緒の空間で過ごす際、自分と相手の間に境界線となる物を置く」。

「相手が話しだしたら、その光景をテレビ画面だと思う」「相手と自分の間に刑務所の面会室のような透明な厚い壁を置く(イメージ)」という方法もあるのだが、私には難しかった。

なので、母が話し始めたら、そのへんにある物をひとつ、私と母の間にさりげなく置き、少し身を引いて距離をとるよう心がけた。

プラスして、実家に帰るときは、自分が安心する香りの精油を身に着けて、香りのバリアを張るようにした。

(これを書いてる今は柑橘系数種類にオレンジの葉であるプチグレンを混ぜたものを愛用)

この方法を使うと、母の口から出てくる愚痴や価値観に感情を揺さぶられることが減った。

相撲に例えると、それまで進んで土俵でガッツリ組んで戦って傷だらけになっていたのだが、境界線越しに接することで、母の取り組みを客席で観覧するような形になったようだ。

読書の感覚に近いかもしれない。

母と一緒に過ごしても、虫唾が走るほどの嫌悪感が湧かなくなっている自分の胸の内に気づいたら、あ、私、今なら母への怒りを手放せるかもしれん、と少し希望が見えてきた。

多分これが本来の意味で「赦す」ということだろう。

誤解しないでほしいのだが、「赦す」とは「許可」ではない。

どのような理由であれ人を傷つける言動は、たとえ血を流し、触覚で感じる痛みを与えていないとしても、殺人に等しい。

母がこれまで、私に多大なダメージを与えた言動は生涯許可しない。

けど、過ぎた過去に固執して、母の愚かな(母はそう思っていなくても)言動をひとつずつ数え上げ、責める時間や労力は、少なくとも私の人生にとっては無駄でしかない。そんな暇はない。

だからこれからは、母については母自身に任せて、私は上を向いて前に進む。

私は幸せの世界で安寧に暮らしたいの。
不幸に浸る暇はない。


よろしければサポートお願いします。サポートでいただいたお金はひと息つくときのお茶代として、あなたを思い浮かべながら感謝していただきます。