演じるから演ずるへ向かう
LAからアクティングコーチの
レジェンドであるIvanaが来日しワークが終わった。
私も2016年、2018年とLAに渡り、
日本でのアクターとしての登壇は2回目。
彼女は演じることをやめさせる。
人間は日常で様々に自分を演じている。
演じわけている。
顕在意識は日常が自分にとり都合良く、
安全であるように、日々、無意識に演じるのだ。
人間100%演じて生活しているのだ。
何かの役割を果たすために。
自分にとり状況が安全であるために。
例えば素敵な男性の前で、
女性が自分をより良く見せるために演じている。
よくある光景だ。
「彼女、芝居うまっ!めっちゃぶってるじゃん!」
みたいな会話。
人間みなウワベを演じてます。
そして俳優の仕事は
『演ずる』ことなのだ。
意味に違いはあまりないが
このふたつの言葉は使い方が違う。
『演ずる』ために
私達は潜在意識にダイブする必要があります。
潜在意識の実態は化学では照明されていないが心理学や量子力学の分野では
当たり前の世界である。
『意識』という人間の中にある
宇宙には様々な情報が膨大にあり
それらを意識化し『演ずる』
ための素材として活用する必要がある。
演劇と言う虚構にリアルな自分を
使うことから『演ずる』のである。
そのことでオーディエンスに共振が起こる。
ギリシャ悲劇は演劇の原点でもあるが
結局はカタルシスを起こすことが
いかに重要なのかをギリシャ時代の先人は知っていたのだと納得する。
昨今のエンターテイメントは
愉快や爽快や充実や感動を呼び起こすが
カタルシスにはつながっていないと感じるのだ。
それは演じ手のリアリティを
最大限活用していないからだ。
じんわりと長い時間心に留まり
満たされる感覚。
それをできる演技術。
表現者、アートとは
自分の潜在意識にダイブする
快感を知っている者。
であると私は感じる。
Ivanaのワークを経て
自分が実に満たされた人間だと
気づいた。
愛や慈しみを超えた
ただ満たされ感覚が身体を抱いている。
これが真に『演ずる』
ことをしたエクスタシーなのだろう。
潜在意識への一石を投じること。
人が人生を通し、
演じず、ありのままの自分を
抱きしめる旅をし旅を終えたい
ものだ。
そして素晴らしいアートを
人生で出会うオーディエンスと
共振、共有したい。
💠潜在意識の旅をするワークをします。
アーティストに必要だと感じます。
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