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活きのいい魚であり続けるために

先日、ある劇団の
若手だけの公演を観劇した。

若手の公演はこなれた感じはなく
ひたすらな熱で挑んでいる感じ。

そんな中に、ひときわ

『活きのよい魚』

のような人がいた。 なんというか。

私は初めてこういう人を観た。

ゆったり泳ぐ魚の中に

1匹だけ

抜群な鮮度で泳いでいる魚のようなのだよ。

ベテランの方の演技は確かに
こなれたり、安定感もあるだろうし
探求力もあり、技術もある。

新鮮さや鮮度ではない、熟練度や器用さや巧み。

ただ、これはもうけっこう
お腹がいっぱいに感じる時ももあり
どこか、そんな自分の『悦』に入ってるのかも
しれない。

その『活のよい魚』は

その方のお人柄から生み出された、

本物の、真実の、永続的な

『感謝』。

なんと言えばよいだろうか。

そして、行動が先でそれを
突き動かす感情は切に溢れていた。

まさに、アクティングコーチの
イヴァナの中核を天然にやってのけて
いらした。

私は人とは、些末なものと
感じるときがある。

やったり、やらなかったり。
簡単に時間や関係性を些末に扱う。

君の優先順位はどうなってんのか?と
感じたり。

もちろん人間だから仕方ないかもなのだ。

活のよさ。とは。

俳優として歌い手として
教師としても

経験を重ねても、なお

鮮度を重要とする仕事をする私は
日々の生活において

自分が受けた

恩恵や、支援に対して

感謝の気持ちが身体の中を泳いでいる
みたいな感じが重要なのかなと

私は、推察する。

素晴らしい俳優はたくさんいる。

そして
鮮度を保てているアーティストは

愛されるために愛するのではなく
愛そのものなんだと感じる。

舞台挨拶で

『不安で恐くて逃げたかったけれど、
お客様の拍手に己の心が開き
喜びを感じている
自分を感じることが出来ました』

という言葉には表も裏も嘘もなく

ただ、今ここに
全ての感情と佇む。

活きのよい、ひときわ、活きのよい
鮮度が抜群な佇まいであった。

人を騙すのはダメなんだ。
当たり障りなく人や物事を
かわすようになるのは

鮮度から離れる行いだと思う。

私の尊敬してやまない俳優
メリルストリープさんや
樹木希林さん

清らかで無欲で厳しい印象だ。

演技は常に鮮度が高く
常に初めて観る人のようだと感じる。

幾つになっても、どれだけ経験を
重ねても謙虚に

『活きのよい魚』のようでいたいよ。

人としても、表現者としても。

無駄なことを考ず

どんな荒波の中でも無限と感じる
海の中で

ただ泳ぐだけでありたいものだ。

それだけで『美しい』のだから。
それだけで美しいんだよ。

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