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昔の習い事。

こんばんは。
男子大学生22歳、ゲイです。

小学生くらいの頃に抱いていた夢を叶えられる人って世の中に一体どれくらいいるんでしょうか?
僕が小学生の頃はまだまだYouTuberはいなかったので医者、アナウンサー、消防士、先生、スポーツ選手とかが大半でした。

ちなみに僕の夢はスポーツ選手になることで、半分だけ叶えることができました。あのままいけば今頃は完全にスポーツで食っていく人になっていたと思います。

今日はそんな話をしようかなと思います。


僕は3歳から15歳(中3)まである習い事をしていました。あまりメジャーではないスポーツですし、知っていてもやったことがある人は少ないと思います。

そのスポーツにのめり込んだ理由は当時たまたま見ていたテレビでその大会を中継していて、近くに施設があったため通ううちに楽しくなったから。
最初は教室から始めて慣れてきた頃にしっかり指導を受けるようになりました。確か5歳か6歳だったと思います。

しかし僕はこの時からヘラヘラ呑気にマイペースでやるタイプだったので成長スピードが非常に遅かったです。闘争心ゼロ、負けても気にしない、後から始めた子がどんどん上手くなっても焦らないという究極の楽観性を持ち合わせていたことが拍車をかけました。

またこれはどうしようもないことなのですが、幼い頃から周りより身体の成長スピードが早く、小1にして140cmを超え年に5-8cmペースで身長が伸びていきました。
僕が習っていたスポーツは体幹が何より大切でしたが、成長期には体幹をどれだけ鍛えようと安定したパフォーマンスができません。

そんな僕に転機が訪れたのは中学1年生になった頃。既に身長は175cmを超えて180cm目前でした。しかしここに来て突然身長があまり伸びなくなります。もう少し伸びて欲しかった気持ちを抑えつつこれはチャンスかもしれないと習い事に精を出しました。ここぞとばかりに練習を詰めに詰めた結果、僕は半年もしないうちにめきめきと上達し秋頃には全日本で表彰台に登るレベルに。たった8ヶ月ほどで強化指定選手になってしまいました。
国際大会や強化合宿にも参加し「スポーツ選手」という夢を半分叶えたようなものだった僕は有頂天になっていました。

さらにこの頃は勉強の調子も良かったので人生で1番調子に乗っていた時期だと思います。ただ学校に馴染めていなかったので友達は少なかったですけどね……笑

この辺りから僕は周りからの期待に応えようと考えるようになりました。しかし相変わらず闘争心と負けず嫌いな心は育っていませんでした。でもだからこそ自分のペースで頑張れたところはあるのかもしれません。楽しくて楽しくて仕方なかったですしね、実際に。

ここで身バレが怖いところではありますが、当時の僕(13歳~15歳)の平日をざっとまとめてみます。よかったら見てください👇👇

5:30 起床
6:30 朝練開始
7:45 朝練終了後、直接コーチの車で学校へ
15:30 学校終了後、直接コーチの車で練習へ
22:00 練習終了
23:00 軽いトレーニング、クールダウン終了
23:15 帰宅
24:30 宿題など済ませ就寝

だいたいこんな感じでした。昼と夜は母のお弁当を食べていました。給食はなかったですね。ちなみに夜ご飯は練習の間にできる17:30からの15分休憩で済ませていました。
おそらく年齢を隠して内容を勤務とかに変えればブラック企業に務めるサラリーマンの一日に見えるかもしれませんね笑
しかし土日になるともう少しハードになります💧

5:30 起床
6:30 トレーニング
8:00 練習開始
9:00~11:00 練習一旦終了しトレーニング
11:30 練習開始
17:30 練習一旦終了
移動時間💨
20:00 練習開始(別施設)
21:30 練習終了
23:00 帰宅
24:00 就寝

土日はこのような感じの生活でした。
もうお気づきかもしれませんが休みはありません。家にいる時間は8時間ほど。週7で練習しないと僕は自分のパフォーマンスを保てなかったため、それを追求した結果です。しかし365日練習をしていたわけではありません。年に2日休みがありました。12月31日と1月1日です。この2日はどこもかしこも施設が空いていないので練習できませんでした。

今振り返ると本当に頭のおかしい日々を送っていたなと感じます。でも当時はこれが普通で生活リズムとして完成していました。辛いとも思いませんでした。

しかしこの忙しい日々は唐突に終わりを告げます。
中学最後の夏休みもあと一週間くらいで終わりそうな土曜日。いつも通り練習をしていた最中に思いっきりコケて右膝を強打してしまいます。この時のコケ方が非常に悪く、右膝だけが地面に打ち付けられたことによってそこに全体重がのしかかり、信じられないくらいの痛みを感じることになったのです。

コケて全く身動きの取れない僕を周りが心配しアイシングなどをしてくれましたが、全く痛みが引かないどころか膝はどんどん赤黒く腫れていきます。そんな状態を見てもしかしたらとコーチが救急車を呼び病院へ運ばれました。
そこで診断された結果は「半月板損傷」でした。それもかなり重症で今すぐにでも手術をしないといけないレベル。相談する暇もなく手術が行われました。

手術後、もはやギプスやらなんやらで何も見えない右足を見て僕は直感で「もうできない」と思いました。

もう習い事はやめなきゃいけない。きっとスポーツはもう何も出来ない。あんなに頑張ったのに。強化選手までになった結果がこれか。努力ってなんだろう。報われないのか。みんなに会えなくなるのか。僕のことは記憶から忘れていっちゃうのか。
そんなことを既に思い始めていました。

そして僕は担当医から衝撃的なことを聞きます。どうやら僕の体は長年にわたるスポーツのしすぎによる疲労の結果、もう片方の半月板も怪しい状態で今後のリハビリ次第では左膝への負担も増えるために結果として膝を痛めるかもしれないし、最悪の場合はまた左膝も手術をしないといけなくなるかもしれないとのことでした。

退院後、前々からお世話になっていたスポーツドクターにも意見を求めると似た返答がありました。以前から「君はどんなスポーツもできると思うけど一番向いていないのを選んでいる」と言われていたためなかなか心に来ました。

しかし、それでもなお再びあの舞台に立ちたいと思いかなりハードなリハビリをひたすら続けましたが、担当医の言った通りに左膝に違和感を覚え始めたため通常のリハビリに戻しました。

気づけば既に怪我をして1か月。心做しかちょっと太った気がしてきた頃。僕は競技をやめることを決意しました。周りからはもったいないと何回も言われました。コーチは何度も家を訪れ、会いたくないという僕に手紙まで書いてくれました。業界のお偉いさんからも手紙と電話がありました。

僕だって本当は続けたかった。でも練習から離れて1か月。初めて体験する暇な時間。痛む膝。流れる涙。復帰してもまた頑張れるほどの気力が僕にはありませんでした。もう燃え尽きてしまっていたんです。その競技に対する愛も尽き、費やしてきた時間も無駄に思えるようになってしまっていました。嫌いになっていました。それならいっそやめるのが最善。僕は固く心に決めました。

こうして僕は中学3年生の10月、人生そのものだった競技から引退しました。12年間続けた競技の終わりは呆気ないもので、味気がなく、心はカラッと乾燥した砂漠のようでした。

しばらくはそんな状態が続きました。あんな競技大嫌いだと自分に言い聞かせることで精神を保っていました。時々テレビでする中継も先に結果を知っておけば普通に見れていました。

しかし今はテレビやニュースでその競技関連のものは見れません。見たくないが正しいですね。どうしても悔しさが出てくるようになってきました。やめてなければあの表彰台に立っていたかもというタラレバを想像してしまいます。

たったひとつの怪我で絶たれてしまったスポーツ選手という夢。
今は今で夢がありますが、あの頃みたいにキラキラした夢ではありません。
キラキラした夢とそれを追いかけるギラギラの自分。もう二度と体験できない気がします。

もし過去に戻れるなら僕は小学生の自分に「今すぐ習い事を全てやめろ」と言います。平凡に過ごして欲しいです。

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