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作業療法のように料理をするようになって、ふわとろの親子丼に救われている

さいきん、料理を頻繁にするようになった。

それも、作業療法のように、たんたんと作業に向き合い、料理をしている。ズボラ界の皇帝のようなぼくがなぜ料理をはじめたか、それには理由がある。


今年、教員をやめて塾に転職をし、週3日だけそこで働いている。

塾業界は夜型である。昼過ぎから出勤し、日付が変わるぎりぎりの頃まで働くという労働スタイルは、早寝早起きを長年欠かさなかった元教員には、かなり負担の大きいものだった。


塾での仕事が終わって、いざ寝ようとすると深夜1時を過ぎていることが多くなっていた。仕事のことで悩むことが増え、はやく寝ないといけないのに、頭の中でつねに考えていることがあり、布団の中で目を閉じると、それが爪を立てるように、しがみついて離れてくれなかった。

寝たいのに寝れず、起きたいのに起きれない。脳から指令を出すのに、自分の気持ちも体も、全然いうことを聞いてくれない感覚だった。

案の定、体調を崩した。

そして体調を崩した初日に、上司に「今後、時短勤務をおねがいします」と伝えた。

長年、学校現場でストレスに悩む子どもや大人を間近で見てきたのもあって、自分の現状をかなり客観的に見れていた。こういうストレスに対しては、早すぎるくらい早く手を打ったほうがいい。そう確信して、自分でもあきれるほどに、すばやく行動に移した。


「どうしようもないこと」をぐるぐる考えてしまうとき、「自分の力でどうにでもなるのに、めんどくさくてやっていなかったこと」に目を向けるといい。


そんなことを思い出して、おもむろに料理をはじめた。

時短勤務になったことで、かなり時間に余裕ができた。夕方スーパーに買い出しに行き、妻が帰ってくる時間に合わせて料理をする。

親子丼と、豚汁を作るのにはまった。

野菜や肉を切るときも、調味料で味をととのえるときも、いまやっているひとつひとつの作業に意識を向ける。

親子丼は使う調味料が多く、作ると毎回味が変わる。ちょうどいい分量を見つけたい。豚汁も、味噌をときながら味見する手間があるので、試行錯誤のしがいがある。

とくに親子丼は、玉ねぎを切ると目にしみるのが苦手で避けていたが、そこを乗り越えると、こんなに手軽な料理はない。


どうせ食べるなら、できるだけ卵がふわとろの親子丼を食べたい。

はじめは卵が固まってしまい、だし巻き卵のようになってしまった。ネットで調べると、といた卵を半分に分け、半分を半熟に、もう半分は弱火でさっと日に通すだけにすると、フライパンの余熱でとろっとした仕上がりになるとのことで、そのようにやってみると、その通りになった。「料理が面白い」と思えた。

しかし、ぼくがあまりに豚汁と親子丼ばかりつくるので妻に「飽きた?」と聞くと「ちょっと」とちいさく答えが帰ってきた。もう少しレパートリーを増やしたいものである。


そうやって、作業療法のように、今までめんどくさがっていた料理にていねいに向き合うことで、さっきまで頭にしがみついていたしぶとい考え事も、すうっとその手をほどいていってくれるようになった。

最近は生活リズムも体調も改善され、毎日元気に過ごせるようになった。なによりしみしみの豚汁と、ふわとろの親子丼がつくれるようになり、これがたいへんおいしく、胃も心も救われている。感謝の念すらある。

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セトショウヘイ
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