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【親父の背中】■夜明け時 粥と梅干だけ食し書斎に向かう親父(おやじ)

【親父の背中】

■夜明け時 粥と梅干だけ食し
書斎に向かう親父(おやじ)の背中

最近も親父を偲ぶ歌を詠み記事にしてきたが、

この歳になって、いや、歳を重ねるほどに

父、母を想い出すのはなぜだろう。

わたしと親父とは若い頃には対峙して、

あまり、会話を交わした記憶がないのである。

そもそも、親父は無口であり、社交的な

人ではなかったかも知れない。

しかし、親父が歳をとってからは、

しばしば、珈琲好きの親父と喫茶店に

よく行ったものだ。

ふたりで珈琲をすすりながら、お店の

スポーツ新聞を読みながら、

読売ジャイアンツや相撲の話をしたものである。

親父はジャイアンツが勝った日と相撲の大鵬が

勝った日は、

とりわけ話しが進んだ。

あの当事の言葉に「巨人、大鵬、たまご焼き」と

いうのがあった。

まさしく親父は典型的なそれであった。

親父は国文学の研究者であり、大学の教授を

していたが、

家族の中で一番、勉強をしたのは

親父ではなかろうか。

そんな親父は朝の4時ごろに起きだし、

自分で粥を焚き、梅干だけで朝食をとり、

書斎に篭もってその日の講義の

予習をしていたものだ。

いま、想えば、寡黙な親父は息子たちに

自分の背中を見せることでわたしたち

息子に伝えたかったのだろうと。

これは、重い。

言葉で小言を云うより、親父の背中は重く、

多弁であった。

しかし、いまの親父たちは

わたしを含めて「背中」で語ることは

出来ないであろうと思う。

だから、子供に真正面から小言を

云い叱りつける。

また、いまのゲームで育ってきた

子供たちには、

ある意味、子供の正面から言葉を発しないと

コミュニケーションが採れない時代だと思う。

それだけ、想像力が無くなって来ていると

わたしは考える。

「父の日」にあえて云うなら

お父さん、子供たちと正面から

向き合いなさいと。。。。。。。。。。。

もう、「親父の背中」では語れない現代が

見えてくるのであります。

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