見出し画像

委ねる責任


ぱっぱらぱっぱ、ぱっぱ
ぱっぱらぱっぱ、ぱっぱ

字面だけで何の音楽かわかるのだろうか
きっと読んでる方々なら大丈夫
あなた方の想像力は私の想像力と同等
あるいは超えているのだから。


この間、死ぬまでにやる事リストを
確認してたら10個ほど達成してました

ちょっと増えて今は60個です

60個中10個達成しました

初めて1年半くらいですが順調のようです

達成するにはどうするのか?も考えたり
突拍子もないタイミングで叶ったり
運なのかラッキーなのか幸運なのか

あっ、運2回いっちゃった


なんて深く考えずに
やっふぃ〜と呑気なものです


実は最近、お仕事辞めました
思いきって辞めました

バンザーイ!思いっきりやってきてよかった
これからもずっとずっと達成感抱えてハッピー

とは言わず、もう過去のこと
先に進まなければという焦りと


まあまあまあまあ
焦らない、焦らない、一休み一休みと
一休のふりしたサボり魔がせめぎ合います

辞める理由はそのうち書けたらなぁと思います
しがないOLがいろいろ思い考えて出した打開策です


その理由の一つにもなったこと
それを今回は「委ねる責任」として書こうかなと思います


本当は「委ねる勇気」と書きたかったのですが
私が手元にあるエピソードカードを見ると
責任かなぁと思い、この単語をチョイスしました


「私、説明が下手なの」

「自分は、コミュ力高いから」

「同じレベルの会話もできないの?」

「ふーん…その程度なのね」


とエピソードカード達には残っていました
ここで早速、せとぐちの自論ですが
大半の人がコミュニケーション能力を履き違えてるように感じています


「え?聞いてた?俺の話、こんだけしっかりしたバックグラウンドを持って…」

「ほらぁ、きちんとevidenceを含めて話したじゃない?」

「ロジックがない人やできない人こそオブジェクト指向を」


うるせぇ、うるせぇ
無駄に意識高い系のカタカナ英語や
英単語を並べるな
にわかの浅い知識の専門用語を使うでない
たかが知れてるレベルの人に見えんぞ


と語彙力のない一般人セトグチは思います

そもそもコミュニケーションってどう成り立つか

簡略的に説明すると以下のように
なるのかなと思います


① A ー B (存在しってるけど接した事ないよ)
② A ⇨ B (Aからの接触、あるいはBの傾聴、もしくは両方)
③ A ← B (Bからの接触、あるいはAの傾聴、もしくは両方)
④ A ⇄ B(A B両方の接触)


接触すらしない①さん
聞き役に特化するぜ!②③さん
話切るぜ!聞いてくれ!④さん


と大きく分けるとこんな感じでしょうか、多分


私がコミュ力高いよ!って勘違いしてる人に
多いのは④さんな気がします


話聞いてくれ!自分はこう思ってるんだー!


と発信する力があります
魅力的です、わたしには無いからです
こうやって細々とこっそりとしか
できない人間からすれば人前で堂々と
話せる④さんはとても憧れであり
遠い存在です


本物の④さんならね。


話す力 = コミュ力


そう捉えている人が多くない?と感じました
セトグチは思います
話す力がコミュニケーション能力ではないと


コミュニケーション能力とは
互いに意思・感情・思考を伝達し合う事
(テキトーにググったネットに書いてました)

そう、話すことがコミュ力ではないと断言します


「は?分かってるよ、だからこうやって伝えてるんだろ?」


と先日、ある人から言われました


「いえ、貴方がしていることは意見を押し通すこと、私が貴方の話に賛同して首を縦に振ることを望むこと、そこに私の意思や思考は1ミリもありませんよ」


と伝えました
(もう少し噛み砕いたラフな感じで言いました)


それでも相手は怯みません


「いやいやいやいや、きちんと伝わってないね、お前と俺じゃ違う、お前はまだまだだ、お前は教わる側、教えてもらう側だ、こっちの話を聞け、なんで分からない?」


今思えば何様なんでしょう
ただの同級生なのですが
背景知ってるけど、だからといって
そういう態度をして良い理由にはなりません


「え?なんでわからないの?」


また違う日ですが
ある人が打ち合わせで内容を連絡したとき
相手がよく分からず質問が返ってきました

「なんで分からないの?ちょっと考えたらわかるだろ…」


案外、こういう場面
溢れかえってるんだなぁと思いまして
その理由の一つが

相手の想像力に委ねてることだと思うんです


おいおいおい、コミュ力の話は?
ってなるかと思いますが
もう少しだけお付き合いください


勝手な偏見ですが
「なんで分からないの?」って言う人
自分が正しいんだ!伝えたんだ!
って強い思いがあります

その人は自分のコミュニケーション能力を
1ミリも疑ってないんです


「◯◯に◯◯について打ち合わせします」


ある人は思うでしょう
あーきっとこの間話の続きかな?
同じメンバーに声かけしてるし

ある人は思うでしょう
え?何?何?これだけじゃ分からないよ

ある人は思うでしょう
◯◯に打ち合わせね、スケジュールに
追記っと…。内容は、その時でいいか、分かるだろ

たった一文でこれだけ受取手は違います
考える力がないんだ!
そんなやつ仕事できないやつだ!

と思う人いるでしょう


ですがですがですが
相手は考えることができる
想像できる(少なくとも自分と同じだ)
と相手の能力に委ねたのは
紛れもないその人です


「だって!いったもん!」


で通る社会ではないですですです
「委ねる責任」です


さてさて
冒頭で私がなんとなくテキトーに打った
文字ですがあれもそうでしょう

完全に読み手に委ねてます

信頼してる!高学歴なんだ!
頭が良いんだ!仕事ができるんだ!

それが相手の想像力を証明することはできません


さて、④さん
⇄の中に話し合うのイメージがあるかもですが
自分の意見を伝えつつ
相手の意見を傾聴する

これができる人がコミュニケーション能力がある人ではないでしょうか

日常で簡単にしてるよ!そのくらい!
って思ってるでしょうが脳内では複雑な
処理が走ってる、実は高度なこと


話すことはできても傾聴する力が
難しいですから


ここでお聞きしたいのですが
貴方は相手の話最後までしっかり聞けますか?

聞いた上できちんと理解できていますか?

心の中で「いや、それはこうだ!」とか
「あー◯◯ね、はいはい」とシールド張ってませんか?


貴方のコミュニケーションは
相手に委ねる方法ではないですか?


自分の話に夢中で相手の話聞けていないのでは?

ちなみにセトグチは自分の話に夢中で

聞くことをよく忘れて失敗してます

いいなと思ったら応援しよう!