「場」を通して、チームの難しさと希望を垣間見る
自分の想像を越えた素敵なところへ辿り着けた理由のひとつに、意思ある人の先導のもとチームで動いた結果、という経験は誰もがあると思います。
チームで動くと、発案者が最初の意思表明からゴールまですべてを遂行するわけではなく、様々な人が巻き込まれていくことができるかで結果は大きく変わります。
そんなチームならではの難しさと希望を垣間見た、今日のメモ。
非常事態での決断
コロナの影響で展覧会やイベントの中止が相次いでいます。主催者の方々も色々と悩んで決断しているので、参加者側もきちんと自己判断をしていく力を持つ大事さを教えられる日々です。
今日、偶然に訪れたのは、渋谷PARCOの8階にある、Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」が運営する「ほぼ日曜日」というスペース。
通常は作品の展示などが行われていますが、入り口には『会社と別の仕事場』と書かれた看板。無料で出入りできるようになっていました。
コロナ対策として、予定していた催しを中止または延期し、糸井重里さんの提案で場を解放しているとのことでした。
※写真はすべて公式Webサイトよりおかりしました。
提案と現実。
今回の決断について、Webサイトにはこうありました。
2月26日の夜にほぼ日曜日で予定していたいくつかの催しものを中止または延期にするという決定をしました。
とても残念なことではありますが、催しに関わるすべてのみなさまが「よろこんで集えるか」と考えたときに今の状況だとむずかしいと判断したからです。
そういった中、ほぼ日曜日でなにか出来ないかと考えたとき、糸井重里から、ほぼ日曜日を『会社と別の仕事場』として使ってみては?という提案がありました。
これからの「はたらき方の実験」としてトライしてみよう。
そのような思いで、ほぼ日曜日を期間限定で開放することにしました。
以下、略。
ほぼ日曜日チーム一同
https://www.1101.com/hobonichiyobi/exhibition/620.html
今日は日曜日。
基本的に仕事が休みの人が多いからか、仕事スペース(?)として利用している方はおひとりと、ほぼ日曜日のスタッフの方のみで、あとは椅子に座って眠ったり雑談する姿がちらほら、という状態でした。
場をつくるのは、誰なのか。
私が場の空気から感じ取ったのは「この状況は、糸井さんの描いた場なのか?」という疑問。そして、その疑問をスタッフの方も感じているのではないかということ。
『会社と別の仕事場』として機能しているかは問題ではなく、場がそうあろうとしているのか、という違和感がありました。
全員が手探り状態、というのが正直な感想ですが、ここから見えてくるもので様々な可能性が生まれそうです。
非常事態にされる判断に賛否両論が起こることは当然で、議論に多くの時間を避けない状況では、最終的には決定権を持つ人の判断についていくことになります。
そんなとき、自分の気持ちが追いついているのかどうか。実行部隊として動く人たちの気持ちがどうあるのか。
普段でも多少は起こるであろうチームプレイの難しさを待ったなしで進めなければいけない空気がありました。
希望の号令と進む。
特に今回は、場、自体が苦境に立たされていてとても難しい状況です。
人が集まり何かが育っていくことを目的につくられた場に、人が集まることが禁止されてしまった。
新しいアイデアを解放してみても人が集まりすぎてはいけないのだから、大きな声でみんな来て!とは言えない。
ふらっと来た人に使い方を強制するのはありか、なしか。
場所は渋谷PARCO。家賃は相当な金額でしょう。運営するスタッフが必要で、すなわち給与も発生する。
こんな中、志を掲げてくれた糸井さんに敬意をはらいます。
志さえあればその希望に向けて動き出すことができます。その志もきっと糸井さんひとりだけのものではないのだろうと推測しています。
私が思い付くような場の施策は既に社内では議論されているのだろうし、誰もが手探りの今、現場の人たちを筆頭にほぼ日チームならきっとおもしろくしていってくれるはず。
チームの中にある外野と内野。監督と選手。様々な関係が発生するチームプレイは難しい。でもひとりが動けば全体が動く。
大切なのはアイデアではなく、希望となる号令をかけられるかとそこに自分事として働きかけていけるのか。立ち止まらずに進化していけるか。
改めてチームで動くことについて考える日になりました。
(ほぼ日曜日、応援しています!)