性自認とトイレと時代感についての思考
性自認がどうであれ、トイレは「自分の体の区分が割り当てられている以外の割り当てのところ」には入ってはいけない。という自語
私ですら子どもの頃から「性自認なんて他人にはわからないから、体の造形によって区分された公共の場では造形通りの決まりに従うしかない」が「その必要性があること」を理解して解っていたのに、それを理解できずに自分の主張を社会に向けて振りかざす人がいるのは、それはもう本来の性自認の議題とは別の領域のものではないか思う
性自認が男だった小学生の一時期、プールや修学旅行がものすごくつらかった
自分の体を見られるのもつらいけど、それは 個室を利用する、無理をしてでも時間を少しでもずらすなどの工夫次第でどうにかなる
むしろ大人であれば子どもより選べる方法が多く融通もきく
当時の私が何よりもいちばんつらかったのは「周りの子の姿が目に入ってしまうこと、みんなは自分のことを同性として認めて疑っていないこと」に対する罪悪感でしにそうだった
今は体が女性で良かったと思ってるけど、いちばんの理由は「女性を(もちろん男性も)こわがらせなくて済む、すこしでも多くのひとに安心して接してもらえるから」なのだ
どんなにやさしいひとであったとしても、信頼関係を築かない限りは、男性として区分、設計された体やシステムそのものに対して本能的に女性は恐怖を感じてしまうことをわかっているから
だから相手の人格がわからない公共の場では余計に、自我よりも客観性と「時代の価値観が変わっても決して変化することのないもの」を軸として判断するべきと思う
河豚はきっと多くのひとの犠牲と努力により食べられるようになって、「河豚は食べられる」ってみんなの意識に根付いたけど、やっぱり毒は毒だし、いくら時代が変わって意識や技術が進歩しようと、人間の体は毒に対応できない
ふだんの自分の性自認は無(意識としてではなく身体面で捉えると、自分に生命を誕生させる機能が搭載されていることを認識すると生理的に無理になるのでとにかく意識しないようにしているし、男の機能も欲しいとは微塵も思わないから中性ではなく無)だけど、
女性と接するときは、相手に安心してもらいたいし、相手は自分を同性だと思っているわけだから、全力で自分も相手と同じ前提に立って寄り添いたくて、性自認女性に寄る(当然若干の罪悪感は消えないが、普段から女性に寄ることはまあまああるので自分を責めることまではない)
でも、どんな状況でも「自分は女性です!」って言うことは決してない(嘘なので言えない)
男性と接するときも寄り添いたいのは一緒なので、そちらに寄りはするけど、システム的に理解できるはずのないことをわかったようなふりをして振る舞うほうが失礼だと思うし、相手は自分のことを同性だとは思っていないので、男性として振る舞うことは決してない
もちろん普段であっても男性の領域には踏み込まない それは男性の心理的な安全を奪うことだから
寄り添おうと手を伸ばすことと無理やり入り込んで奪うことは真逆ですらある
それが客観性……ではないのだろうか……。自分本位ではなく相手に、社会に寄り添った……いちばん大切にしなければならないことでは……ないのか……いやこれは単に私の一意見でしかないけど……
LGBTQの概念がどんなに浸透したところで、性別に関わらず人間として相手への配慮と敬意がなければ、認められるわけはないし 認めるわけにもいかないんだよ……。
性別はただのいち要素でしかなく、みんな同じ人間なんだから
( 23.10.08 追記を発掘したので追記 )
まあでも 社会的に善か悪かと問われれば自分は悪だという自覚はあります そうしたくなくても少なからず相手を騙すことになってしまう
だからこそふつうのひとよりもっと、より大切にしないといけないことをさらに大切にしないといけないと思うんですよね どこまでも誠実に
ぜんぶ私の一意見です
一人でいれば無としてのアイデンティティが確立してるからいいけど、社会と絡むとどうしてもひとを騙すことになってしまうから一人でいたがり、はあるかもしれない
誰もが「目の前にいる相手の性自認は見た目通りとは限らない」という認識の世界にならない限りは私は悪でしかいられないので
こうやって性別に関して言うのもぜんぶ免罪符なんだよな 最低限で最大限の できることってこれしかない あとは常に誠実であること、悪の自覚を持って客観性を失わないこと
社会に認められたいとか微塵も思わない ただ一人でも多くのひとが安心して生きられる世界であってほしいし私は枷になりたくない
ひとの苦痛はそのひとにしかわからないので、それそのものに関してはどうこう言っていいはずはなく 個人の一意見でしかないけど、
社会的に問題になっているならそれはきちんと軸をもたせるべきだし、自我よりシステムを優先すべきという話のはずがぜんぜんまとまんなかった話(あとがき)
数ヶ月前、そういった話が議論になっていたころに どわ~って思考を出力したものです。
うまくまとまらなかったし、私は当事者ではないので、当事者の方にしかその痛みはわからないから、わかったようにこんなことを言う資格はないのかもしれないけれど、すくなくとも私が自分目線で感じたことを書いてみました。