2月まとめ(3月にものめり込み)パート2
最近のことを書き出そうとしたら思ったよりも長くなってきて、もっとこまめに書き出さないとなと思う。コーネル・ウェストもそう言ってた。
「哀れなるものたち」はとても良かった。単純に絵が綺麗だったし、作品の持つパワーがあった。少し引っかかったのは、最後の終わり方で、原作はまた色々と違うらしく、読んでみたいと思う。そしてもう一つが、いわゆる白人至上主義的なところだ。気にしすぎなのかもしれないが、黒人の人々が出現するパートが、飢餓や経済の格差を社会の現実として隠されていることを知るパートと、娼婦館のパートにて登場することは少し違和感があった。娼婦館で知り合った女性とは最後のパートでも一緒にいることから考えすぎなのかもしれないと感じたが、他にもきっとそう思う人もいたのだろうと思う。あとはやはりベラが綺麗過ぎるということだろう。「tommrow's children」のアリスが容姿端麗であり、そのことによる恩恵を強く受けていたことを思い出した。
白人至上主義という言葉は強い言葉だし気をつけて使うべきだなと思う一方、恐ろしく浸透している考えであることも気をつけないと行けないと感じる。
ある海外の記事において、白人のみが真に人間であることができるという特権を得ている。というものがあった。例えばアジア系のラヴロマンスや黒人の生活を描く作品は評価される上で人種というフィルターにかけられざるを得ない。直近でみた「アメリカン・フィクション」において、主人公のモンクが自分の小説がafrican americanの文学のコーナーに置かれていることへ疑問を呈し、Americanのコーナーに自らの本を移動させるシーンはコメディとシリアスの絶妙なバランスがあるシーンだった。実際に差別が非合法ではなかった時代からは少し時間が経っていると言えるだろう。その中で生み出されてきている作品を見て感じるのは、一度起きた溝は簡単には埋められないということだ。過去に生まれた深い溝は無視することはもちろん、溝によって生まれた明確な差というものは簡単に埋めることができない。「アメリカン・フィクション」のラストは、そんな全てを諦めるようなものだった。審査委員が5人で白人が3人であるというのは皮肉が効きすぎている。この嘲笑のようなものは「Atlanta」にも通じるものがあると感じた。自分たちが上の立場にいることに気が付かない、気づかないようにしている人々を笑いものにするのだ。
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