今日の気温は28度、summerday in Fall
XGのやってること本当に好きだ、アフロフューチャリズムを少し勉強したからこそアジアフューチャリズムの可能性を感じてたし、これ特有の外的なポジティブさみたいなものが明確に備わってていい。トニモリスンを授業で扱う中で、"goldfish bowl theory"という理論を学んだ。作家は、金魚鉢の中に存在する金魚、飾りつけ、液体としての水を描いていて、このことによって読者はそれらが金魚鉢に囲まれた世界であり、その構造を理解するが、物語の中に存在する人々はそれに気づくことはない。この理論の意味としては、物語を読むときにその構造的な部分に気づかないといけないということだと思う。それに気づけなければ、金魚鉢の中で共に泳ぐようにその世界の歪さには気づくことができない。三宅唱監督が原作を映画化するときのイメージとして、窓のイメージの話をしていたのを思い出す。そこに世界があって小説がある方向にある窓から見たものだとして、映画を撮るときは違う窓から世界を見ている感覚で行っていると、だからこそ違う窓から見える景色にはなかったものがあったり、あったものがなくなったりすると。アメリカ留学も半分が終わったが、マインドセットがうまくなった。とても単純なことだけど、自分の浮き沈みが激しい性格を程よくコントロールできるようになったはず。気持ちが上に向いているときに上がりすぎないことと、何か後悔するような一日を過ごしても何もなかったように振る舞うこと。これだけでアホみたいに浮き沈みしてたのがだいぶなくなった。日本にいるときはこの浮き沈みを他人や外的な要因で解消していたが、留学中は親しい友人と気軽に会えるような生活ではないし、好きな場所や趣味もそう簡単に楽しむことはできない。だからこそ一人でどうにかできるようにならないといけなかったんだけど、やっとできるようになって嬉しい。実際言葉にするとめちゃくちゃ簡単そうだし当たり前にできる人にはそうなんだろうけど自分はそうじゃなかった、これだけでも留学に来た価値がある気がしているよ。やっぱりhiphopは世界を救わない気がしてる、というかhiphop以外のカウンターカルチャー全体に言えることかもしれないんだけど、ある程度それが達成されたときにそのエネルギーはもちろん、目標のようなものが薄れてしまう気がする。例えばhiphopがストリートに根差していることは、ストリート以外の場所では力を失うし、かといってストリートから離れようとしてもその求心力がなくなってしまう感じ。これはあんまりうまく言えてない気がするな。アメリカのてんとう虫はめっちゃ量多いし噛んできて痛い。超annoying。なんで誰もこのことを歌ってないんだろうかってぐらいうざい。2ヶ月雨を見ていない。幸せだけど、日本の梅雨とかもう嫌だな。Brockhamptonさん、本当にありがとう。彼らの影を追い続けています。なんかアメリカにきて程よく全てに諦めがついた気がする。無理なもんは無理だし、完璧な場所とか生活はない。一番ほど良い場所で程よい生活を送れればいいな。でも諦めたくないんだよな、世界をひっくり返したいみたいな気持ちもある。
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