メッシの隣に並びたくなかった
こんな最低な日が来ると思わなかった。
私は、女子サッカーワールドカップで優勝したキャプテンとしてバロンドールを世界的スーパースターのメッシとともに受賞し、輝かしい舞台に立っていた。
燦然と光り続けるカメラのフラッシュが私を辱めている気がしてしょうがなかった。
この場から帰りたい、逃げ出したい。私は涙ぐんでいた。そんな涙を、マスコミは歓喜と称えた。
私はメッシの隣になんか並びたくなかった。
鹿児島県の中心地で私は生まれ育った。とにかく走り回ることが好きな私は、母親からサッカークラブに入ることを薦められた。
当時はまだ鹿児島では野球が盛んだった。
しかし、母親は、元旦那すなわち父親が大呑みの野球狂だったこと、テレビでたまたま見た北澤選手がかっこよかったこと。この二つの理由だけで、軽い気持ちでサッカーに興味を持ったらしい。
当時7歳。私はルールはおろか、サッカーボールを触るのも蹴るのも初めてだった。
でも、単純でのめり込めりやすいのが私だった。人形遊びやゴム跳びには一切目もくれず、サッカーボールを蹴り続けた。
いつのまにか、私は背番号10の司令塔になっていた。
男女30人いるチームで私が圧倒的にうまかったし、速かったし、強かった。
小学生が集まる全国大会でも優勝してMVPに選ばれた。
私は天に昇るほどうれしかったし、実際に近くの大木の上に登って歓喜の声を上げた。
中学生でも私は無双していた。スルーパス、アシスト、シュート。どれもえげつない威力だった。
でも、高校サッカーでチームには入れてもらえなかった。
ルールらしい。
私は8年ぶりに、自分が女子だと思い出した。女子っぽいことを一つも経験していないのに、女子だと言われるのは複雑だった。
大人になって私たちは「なでしこ」と呼ばれてもてはやされた。
まったくうれしくなかった。
女子なんか、私には敵じゃなかったから。
どれだけ相手をドリブルで抜いてもうれしくなかった。
アメリカ人の女子チームに勝っても、大木に登りたくなる衝動は生まれなかった。
メッシと戦いたかった。正真正銘のバロンドールを獲りたかった。
ただ、それだけ。
メッシと握手した。今日一番のフラッシュが焚かれる。
私はメッシの右手を潰すぐらい強く握った。
メッシのやつ、笑っていた。にやけていた。なんかダサかった。
私はサッカーを辞めることにした――。