その1 テレビゲームを持ってない僕 。〜32ビットのジュブナイル〜
1998年、夏。
小学6年生の僕は、クラスの人気者だった。だけれど、僕には友だちなんていなかった。
テレビゲームを持っていなかったからだ。
当時小学生だった男性からすれば、そのことは想像にたやすいことだろう。
毎日毎日僕は真っ直ぐ家へ帰った。あいにく小学校から家までは徒歩2分という立地にあったこともあり、寄り道や道草を食うこともほとんどなかった。
テレビでは、炎天下の中、高校野球選手権大会・甲子園が行われていた。
母は、内職の合間に青年たちの勇姿を見ている。
「あ。ボークだ。終わっちゃった」
さよならボークで負け、泣き崩れる小柄な投手を横目に部品はめに励む母。
もちろん、今日も
「ゲーム買ってほしいんだけど」なんて言えやしなかった。
仕方なく、プールバッグを洗濯機にのせ、自室へと階段を登った。急な階段。きしむ階段。せまい階段。暗い階段。僕は部屋へ入った。
僕の部屋には勉強机と、姉と使っていた二段ベッドを解体したベッド(下)があるだけだった。僕には至極普通のことだったのだが、部屋にテレビとゲーム機を持っている子どもが、この日本海側の片田舎にも結構いた。そのことを父親に伝えると、無視された記憶がある。
そんな普通ではない平凡な僕の部屋にも、珍しいモノがあった。立体日本地図だ。
今でいう3Dというやつで、富士山や北アルプスがボコとしていたり、広大な関東平野が広がるその地図は僕の宝物だった。
もう一度言う。これは、1998年の話だ。
その晩、大皿に盛られた茄子の味噌炒めと冷奴を食べた後、母親とテレビドラマを眺めて寝た。退屈な夏休みだった。
その年の甲子園、松坂大輔率いる横浜高校が春夏連覇の偉業を成し遂げた。テレビで見る彼の笑顔は人を惹きつけるモノがある。特にあの八重歯。
大人ぶることが唯一の正義だった僕は、そう心でつぶやいた。
そうそう。テレビと言えば、僕は「ドラゴンボール」を見たことがなかった。もちろん、悟空の姿かたちや大まかな話は分からないでもないが、いかんせん見たことがないので、分からないことが多い。その時間、我が家はニュースを見る。両親ともに高卒だったけれどニュースを見る。
プールのあと、髪の毛を逆立てて
「スーパーサイヤ人だぁぁあ!」
「クリリンのことかぁー?」的なボケを言ってる同級生が謎だった。
新学期が始まる。
大事なことを言い忘れていた。
僕にはちゃんと友だちがいる。
何ならクラスでは人気者だし、勉強も運動もできて、一番面白い自負もあった。クラスのマドンナに告白されたこともあった。
だけど、ひとたび校舎を出た僕は、みにくいあひるの子のように一人きりで、図書館へ向かうのだ。あ、そういえば、母親と見ていたドラマで好きだったのは、岸谷五郎主演の「みにくいアヒルの子」だったな。
クラスの男子でもう一人だけ、テレビゲームを持っていない仲間がいた。アラヤ君だ。メガネでネクラな彼は、先生の話だと父親が京大卒らしい。こういうところが田舎の嫌なところだ。そんなアラヤ君とは、話したことはなかった。それからしばらく経つまでは……。
先生から、夏休みの思い出を全校集会で発表するよう、頼まれた。
普段から作文を書くことも、授業中に発表することも嫌いじゃなかった僕は
「まあいいけどさ」と言いながらまんざらでもない顔でその大役を引き受けた。
夏休みに行った「ファミリーパーク」という動物園での一日飼育体験の話。完璧なまでの起承転結。拍手喝采で僕は送られた。
本当は、飼育体験のお弁当の時間、ポケモン赤の話を延々としている連中がいてちっとも楽しめなかったのだけど……。
「動物にモンスターボール投げてぇ」
当時、不謹慎という概念はあまり知らなかったと思うが、彼らの言うことやることすべてがうすら寒いなと思っていた。
でも、ホントの本当は、、仲良しになれずにお別れしたことが辛かった。
なぜ、我が家にテレビゲーム機がないのかについて説明してみたい。1985年に「ファミリーコンピュータ」のソフトの一つとして、「スーパーマリオブラザーズ」が発売されて以来、空前のテレビゲームブームが巻き起こった。それは、ブームを超えて子どもたちの遊具の代名詞にまでなっていた。
1998年夏になったころには、子どもたちのほぼ全てが、自宅か誰かの家に集まり、ゲーム機のコントローラーを手にしていた。さらにこの頃、前述のポケモン、「ポケットモンスター」なる携帯ゲーム機向けソフトが発売され、爆発的にヒット。僕の記憶では、男子全員はもちろん、クラスの女子の3分の1くらいもポケモンで遊んでいたはずである。
何でわかるのか。理由は簡単で、休み時間までポケモンの話をし始めるようになっていたのだ。
これまで教室にさえいれば、回し役で学級委員タイプの僕に危機的状況が訪れようとしていたのだ。
話を戻そう。こんなかわいそうな息子に、なぜ両親はゲームを買い与えなかったのか?
我が家は一軒家で、月に2度くらいは外食にも行くし、ヨシダさんみたいに毎日半袖半ズボンで過ごすほど貧乏ではなかった。(しかし、中の下か下の上くらいの生活レベルだったことに気づくのだが)
しかし、同じような家庭環境でも、テレビゲームを持っている家はあった。ではなぜ?
ここで、少しアラヤ君の話に戻ろう。アラヤ君がテレビゲームを持っていない理由は明白だった。勉強の邪魔だから。脳が思考停止し、学力低下を促すと言われていたから。なるほど、ガッテン。
では、我が家はどうか。親に勉強や宿題をしろ、など言われたことはない。じゃあなぜだ!
何度かゲームをねだったことはあった。しかし返ってきた返答は
「働いてない子どもが5000円も一万円もするモノを買うなんて聞いたことない」
ほぉ確かな理屈、お金のありがたみってやつ? これは素晴らしい親だ。……いやいやいやいやいや、おい! みんな持ってるから!
よくある「みんな持ってるのに……」と駄々をこねるパターンじゃないの、それじゃないんだ。マヂで持ってないの僕だけだから。
武士が刀を持ってないのと同じなんだって!
すると母親は「目が悪くなるでしょ」とつぶやいた。また、酒呑みの父親は叫ぶ。
「面白いものは自分で作れ」
そう言い残し、焼酎の熱燗をぐいっと飲み干して眠りについた。
要は、子どもが一万円ほどもするオモチャを持つ感覚が、両親にはなかったのだ。
父は、お風呂の修理会社の出張所でワンマン勤務、母はパートと内職が忙しく、周りに「親仲間」が少なかった。それも原因かもしれない。
ある日から僕は眠れなくなった。
放課後一人で過ごすことは多いけれど、クラスやらクラブ活動や学童に行けば、ドッジボールや缶けりをする仲間はいたから、いじめられてはいない。むしろやる側だ。
しかし、世は戦国時代。刀を持たないサムライはブルーになっていく一方だ。
このまま行くと、僕は孤独でつまらない人間になるんじゃないかと……。
まずい。まずい。
翌日。誘われるがまま、クラスで一番ガリガリで運動オンチで、宿題もロクに出さないアリセ君の家に着いていった。
そこで、プレステというゲーム機(本当に知らなかった)の格闘ゲームを生まれて初めてやった。一度も相手に触れることなく僕は負けた。コントローラーを強く握りすぎたのか、普段触らないからか、手にはマメのようなモノができていた。
それから、鉄道で日本や世界を巡るスゴロクのようなゲームもやることになった。立体地図のおかげで、どの県もどの都市も知ってるけれど、じっと黙っていた。僕は、よく分からず青いマスに止まり、借金を背負った。ビンボー神に追いかけられた。
部屋にいた全員が「見ちゃダメなおじさん」を見るような顔を浮かべた。
僕はゆっくりコントローラーを置いて
「見てるだけでいいや」と言った。
ガリガリのアリセ君は僕のほうを見て、少しニヤリとしたのが視界に入った。
まずい。まずい。その日は、朝の3時まで眠れなかった。
(トゥービーコンティニュー)
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