東京駅忘れ物センターの樺島さんは、今日も今日とて。
溝の口にある、食べログ星4.2のホルモン屋でついついレモンサワーを飲みすぎたせいだろう。
おろしたての3万を入れた長財布を無くした――。
嗚呼、あゝ。アぁぁぁぁ。
たぶん南武線に乗ったとき。角の席に座ったとき。寝てしまったあの瞬間。
今は家。スマホで何でもできる時代になったがゆえ、無くしたことに気づいたのは翌日の昼間だった。
これはやらかした。と一瞬思ったが、ここは日本。
そう不安がることもないだろうと楽観的になっていた。
案の定、JRに届け出を出すと、すぐに連絡があった。
武蔵中原駅で見つかって、今は東京駅の忘れ物センターに預けられているという。
茶色のノーブランド。中にお守り入り。間違いなく俺のもの。
中に入っていたカード類や保険証はすべて無事だそうだ。
ニホン、神!
しかし、忘れ物センターに行かなければそれを受け取ることはできない。
営業時間は20時までとのことだが、今日は火曜日。早上がりはできない……。
部長に理由を話し、小バカにされたのち、なんとか19時15分で切り上げて、東京駅は八重洲口へ急いだ。
現在時刻、19時50分。間に合った。
「うわあ」
そこには大行列ができていた。だらだらと落とした場所を思い出そうとしている大学生。事前にやっておいてくれ。そして、君は落とした場所を思い出せない。頼む。
残り2分。俺の番になる。
樺沢という女性が対応してくれて、俺の財布が3日ぶりに再会できた。
子供ができたことはないけれど、我が子との対面はこんな感じなのだろうか。違うか。すみません……。でも、すっごいホッとしたんだもん。
だが、長財布の中にはカード類こそ無事に残っていたが、お札も小銭ポケットは空っぽだった。
見損なったぜ、ニホン!
「あの。これ、お金はなかったってことですよね」
樺沢さんは冷静に微笑む。
「まあ、そうですね、ご覧のとおりかと」
正直ムカッとした。この樺沢という女性は何も悪くないが、ねぎらいの一言ぐらいあってもいいじゃないか。
財布を受け取り、無事に見つかったと、彼女に連絡する。
バカだね、よかったねを同じぐらい言って彼女との電話は途切れた。
正直、最近うまくいっていない。
潮時じゃないかと周りは言う。
すると、20時5分に樺沢という女性が私服に着替えて、やってきた。
業務を終えて帰路につくのだろう。
こちらを見て、会釈する。
俺はいてもたってもいられなくなって、彼女に話しかけた。
「お疲れ様です。……ありがとうございます……」
さっきのふるまいを注意をしようとしたが、自制の念がはたらいた。
「私、忘れ物見ると、その人何をしているかなって不安になって夜も眠群れなくなるんです。だからさっき、うれしそうにされていて、私もうれしかったです」
社交辞令にも聞こえたが、彼女のまっすぐな口調が本音だと感じた。
いや、本音だった。
「いやいや。こちらこそですよ」
樺沢さんはうつむき加減で続ける。
「忘れ物見ていると、その人の生活とか、想像しちゃうんです。自分ではおかしいって思うけど、あんまりそういうこと言われたことなくて」
このまくしたてるような早口とマジメそうな性格から察するに、誰もこの人のことを嘲笑したりしないのだろう。
「――いや、おかしいですよ」
悪気なく口走っている自分がいた。
俺は樺沢さんみたいな人間が嫌いじゃない。すごい上から目線だけど。
「ですよね」
樺沢さんはなぜかうれしそうにしていた。
そして色っぽい雰囲気を放ち出していた。
気付いたら、樺沢さんとバーにいた。
彼女は「忘れ物センター」に勤務したくて、鉄道会社を受けたらしい。
変わっているけど、俺は樺沢さんが好きだなと思った。
二軒目も誘おうとしたけど、
「明日も忘れ物、くるんで」
と言って去っていた。
きっと樺沢さんは明日も真顔で、ドジな人に忘れ物を返しているのだろう。
もう忘れ物してはいけないと思った。
彼女とのことをしっかりと片付けないと。
忘れ物になったら困る。
樺沢さんのお世話になる日が来ないことを祈り、俺は彼女の家に向かう。
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