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無敵な君が素敵に見える

6階から大東京・渋谷を見下ろしている。歩いている人こそ多いが、ここは渋谷だとは思えないほど、静かな雰囲気が漂っている。

学内の旧校舎にあるボロめの教室で毎週火曜、ゼミが行われる。
「人文論」というお堅いテーマのゼミだが、体育会系の猛者や付属高校出身のお坊ちゃんも多く、比較的単位の取りやすいゼミとして有名だ。

それゆえ、普段はキャンパスで見かけない学生が集っているという印象だ。かくいう俺もバイト漬けの日々を過ごすその一人だった――。

トントン。
隣の女子から肩を叩かれて、小さな紙を受け取る。
中学時代にそんなことしてたなと思っていると、「回して」というようなしぐさを無言でしてくる。
紙の中を見てみると真っ赤なペンで
「このゼミ生に、〇〇県〇〇市少女バラバラ殺人の犯人がいます」
と書かれていて、思わず声が出そうになって、それを押し殺した。

〇〇少女バラバラ殺人といえば、当時の俺と同じ歳の中学1年生の女子が、同級生をめった刺しにして家でバラバラにした残忍な事件で、連日ニュースでも報道されていた、あれだ。
まだ普及したばかりのネットには犯人や写真や名前が出回っていたが、俺は見なかった。正義感や自制心ではない。
またか、と思って興味を示さなかったのが本音だ。

しかし、この中になんらかの更生を経て、その犯人がいるとゾッとして、首筋がひやりとした。

ゼミ生に女子は4名。俺は学生たちを見渡そうとしたが、紙を回さないといけないことを思い出し、そっと隣の陸上部のイケメンに渡した。

この中にあの猟奇的で稚拙な殺人鬼が……? なんでそのことがバレた……? なぜそれをゼミ内で広めようとしているヤツがいる……?

隣に座る美香が?
自分で自分のことを知らせる必要なんてあるのか。でも、あんなことをしたヤツだから、何を考えているかなんて俺に分かるはずもない。

それに――。
俺は美香が好きだった。ゼミのみんなでカラオケに行ったとき、キスもした。
美香の唇は柔らかくて、それでいてどこか初々しさがあった。

酔っていたから、今思い出した。
あのとき、美香はこう言った。
「なんか血の味がする」
「なにそれ」

その日、歯医者帰りだったからとなんとなく言ったことまでは覚えている。
やはり、美香が?

震える手でスマホ「〇〇少女バラバラ殺人 名前」と入れようとするが、うまくいかない。
第一、こういう犯人は名前ごと変えていると聞く。

すると、向かい側に座る物静かな高木さんがこちらを見ていた。
あんなに口角が上がるんだ、と思うほどにやりと笑っているではないか。

それから3日後。ゼミの教授・若山先生が事故で亡くなった。

一つ黙っていたことがある。
陸上部員に渡した紙は何も書かれていないノートの切れ端だ。
とっさにこれを回してはいけないと思ったのだーー。

余計なことだったかもしれないと今では思う。
この後の悲劇を思い返すと……。



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