ラオス農村的思考 Vol.1 つながり・関係性が密な「異世界」の創発的に話し合う文化
ラオスの農村は、概念や価値観を変えてくれる。
「つながり・関係性」が密な社会、まるで異世界との出会い。
ラオス農村的思考。
まずは、私が理想的な社会だとおもった、ラオス人の友人から聞いたお話。
1. 前提 僕とラオスの農村の関わり
ラオスは、2015年度にイギリスの旅行雑誌・ワンダーラストの「満足度の高い観光地ランキング」、ニューヨーク・タイムズの「世界で一番行きたい国」でも第1位を獲得するなど、世界的にはとても注目を集めました。かの村上春樹が『ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集』を出版したことで、日本でもそれなりに知られるようになりました。
僕がラオスの農村で教育関連の協力活動をはじめたのが9年前。当時流行っていた「小学校を建てよう!」という活動を始めたことがきっかけでした。いまとは違い、まだ主要道路もボコボコで(いまもボコボコな道ばかりですが)、ビエンチャンのショッピングモール「タラート・サオ」も建ったばかり。「ラオスではじめてエスカレーターがついた!」と騒ぎになっていたのを思い出します。
僕が通っているフォーサイ村(Phoxay Vil.)は、首都ビエンチャンから車で1時間半ほど北上した位置にあります。
ビエンチャンの中心地から20分も走れば田んぼが広がり、さらに15分も走れば牛が道を歩いています。
なので、1時間半も進めば、道沿いの街を除けば、ほぼ田園風景。フォーサイ村は、主要道路から脇道に入って15分ほどで着くのですが、街の様相はなく、池と田んぼと川が広がる、自然豊かな地域です。
僕らはこれまでこのフォーサイ村で教育関連の活動をしながら、学校の先生やそのご家族に現地の文化を教えていただくことで、関係性を築いてきました。
2. 理由 なぜ僕はラオスの農村に魅せられたのか
ラオス人民民主共和国は、東南アジア唯一の内陸国で、南北に伸びる地形をしています。
フォーサイ村での活動以外にも、バックパッカーとしてラオスの各地を旅しました。長期ホームステイをした北部の山岳地帯では、高低差を利用して家畜の糞を畑に落とし肥やしとする循環型農業が実践されていました。南部の高原地帯では、コーヒー栽培が盛んで多くの人が雇用されて働いていました。中部の低地地帯ではほとんどのひとがスマホを操作し、Facebookのアカウントを持っていました。
「農村」と一言でいっても、山岳地帯や高原地帯、低地地帯など、地形や都市部との距離によって、その生活様式や経済圏、文化はさまざまです。しかし、「つながり・関係性が密である」というベースがあることは、どの農村も共通していました。
村を歩けばいたるところで頻繁にお祝い(軒先で丸いテーブルを囲いながらお酒を飲んでいる)をしているし、みんなで家をセルフビルドしているし、道端では子どもたちが元気にセパタクローをしている。畑では老若男女が働いているし、子どもも走り回っている。
よく、「ラオスは昔の日本のようだ」といわれますが、確かに、部分的にみたらそういう側面もあるのかもしれません。しかし、全体としては、そんなことないとおもいます。そののどかな風景と、スマホでFacebookをいじっている風景、テレビに映るプレミアリーグの試合のミスマッチが、僕にはとても新鮮に映りました。
僕は、大学時代、経済学を学んでいました。まず習うのは、「経済活動(買ったり売ったり)は、効用(≒幸せ)を高めるためにおこなう」という、経済学の大前提でした。
でも、ラオスに行ってみたら、その大前提がひっくり返りました。
一人当たりの名目GDPは190ヶ国中136番目(2018年)ですが、少なからず8年前、200人に「幸せですか?」と質問して歩いたときは、90%以上の人が「幸せです」と答えていました。
ただ、彼ら彼女らの主観的幸福感が本当に高いのかどうかは、また別の機会に書きたいと思います。
ラオスは、7~8割の国民が農家(専業ではなく兼業も含めて)という国です。いまだに交通の便は悪く気温も高いので、農作物は痛みやすく、特定の地域以外で栽培された農作物は基本的に地域内の市場でしか流通しません。そのため、ラオスの農村は村外から貨幣を入れることは困難であり、村全体の貨幣の量が増えづらいという非経済的なサイクルが回っています。
3. 主題 話し合う・助け合うことが“当たり前”な文化
このようにラオスに通い関係性を築く傍ら、日本にいるラオス人留学生とも交流を重ねていて、先日ある留学生から(この留学生は現在はラオスにもどり官僚として働くめっちゃ優秀な人)「まさにラオス」という象徴のようなお話を聞きました。
その留学生が暮らしていた村は、他の農村と同じように、農業がとても盛んで、ほとんどの家が自分たちの農地を耕して生活をしていました。
ある日その村に、見知らぬ男性がやってきました。
話を聞いてみると、その男性は家族のいる故郷を離れ、この村で暮らしたいといいます。
しかし困ったことに、現在農地はすでにみんな耕していて貸せるような余裕はないし、何より、この男性はポリオの後遺症で片足を切断していたため、そもそも農作業ができませんでした。
この前段を聞いて、日本の感覚だと「手に職はあるのかな?なければ生活保護を受けるのかな?」と心の中で思い、お金がなければ家も借りられないので「行政に相談してください」と言って終わってしまうように思います。
しかし、彼の話は、以下のように続きます。
畑は貸せないし農作業もできないので、この村にはこの男性にできる仕事はありません。
さらに男性に話を聞いてみると、足を切断してからは、ずっと家族に養ってもらっており、仕事をしてこなかったといいます。
村の人たちは集まり「この男性をどのように受け入れることができるのか」について話し合いを始めました。
「受け入れられるかどうか」というジャッジではなく、「彼になにか任せられる仕事はないか、役割はないか」という創造的な話し合いです。
米作りが盛んなこの村では、農繁期になると村人総出で稲刈りをします。手作業なので、なかなか農作業は終わりません。
以前から、村人からは「お寺にお参りにいくことすらできない」という不満の声があがっていました(ラオスは厳格な上座部仏教徒が多い)。
そこで、この男性は、農繁期に忙しくてお寺へお参りに行けない村人の代わりに、お寺でみんなの名前を読み上げてお参りするという、初めての仕事、大切な役割を得ました。
そしてその報酬に、村でつくったお米や農作物を村人からもらいます。
実際、その男性は農繁期の度に熱心にお参りをし、村の人に感謝され、いまも村の一員として生活をしているそうです。
「素晴らしい」この話を聞いて、僕はただ純粋にそう思いました。
「手に職をつけないと!」とか「持続的ではないだろう!」という“魚を与えるのではなく釣り方を教えなきゃ”的な声も上がりそうですが、その点は置いておきましょう。
そんなことよりも、この「みんなで“一人”について話し合って、解決策を導き出す」というアクションが素晴らしい。
そして、ただ雇用関係・主従関係のように仕事を与えるだけでなく、感謝し合える関係性を築くことにより、男性の「申し訳なさ」を取り除き、心理的安全性を保っている点が素晴らしい。
果たして、私たちの生活、仕事の場面において、そのような創発的な話し合いはおこなわれているでしょうか。
評価やジャッジをするのではなく、「一人の幸せ」をみんなで真剣に話し合えているでしょうか。
身の回りの人からのジャッジの眼に怯え、自分の創造性を発揮することができない。そんな心理的安全性を保てていない環境に置かれている人も多いのではないかと思います。
僕は、ラオスの農村の暮らしが大好きです。
ただ、その感情以上に、「この文化から学ぶことができる彼らにとっての“当たり前”なことはもっとたくさんあるのではないか」と感じワクワクしています。
組織において、チームにおいて、会社において、地域において、一人の幸せを真剣に話し合う創発的な場を持ってみてください。
その感覚がいまいちわからない人は、ぜひ一度ラオスの農村にきてください。ご紹介して農村と繋ぎますし、必要ならば、ご案内します。
僕たちShare Re Greenは、ラオスの農村にある素晴らしい文化を研究し、贈与経済と貨幣経済の融合した文化を日本の社会に実装することが存在意義です。
忙しくて「消費」になってしまいがちな朝食を、コミュニケーション溢れる「楽しみ」な時間に。野菜ペーストでつくった「やさいクリーム」を開発し、パンに絵を描く「やさいのキャンパス」という「美味しい絵の具」のようなプロダクトを開発中。いつかはラオスのフォーサイ村で製造したい!