第四話 『感じること』
午後3時。ちょうどおやつの時間の天気は、近しい夏の予感を感じさせる爽やかな晴れ模様だ。関係ない話だが、なぜおやつの時間は3時なのかと言うと、食べても一番太らない時間帯なんだそうな。
閑話休題。ここ最近本領発揮してきた太陽が目立つものの、湿度は30%と比較的低く、過ごしやすくある。迫りくる季節を嫌がりながらも、なんだかんだ憎めない好ましさを誰もが実感しているだろう。
直射日光の眼下、信号機の足元には半袖を着た通行人が増えてきた。洋服のシーズンの一区切りを終えて、メンバーチェンジだ。きっちりスーツで移動中の中年男性は、暑さに負け、炭酸飲料を片手に手扇子をだるそうに仰いでいる。露出が多めの今どきの若者は、ミニ扇風機で現代的にコンクリートからの熱を逃がしていた。暑いねー、と言いながら、なぜか嬉しそうだ。
現在の都会の気温は、26度。熱視線を浴びているような日差しがなければ、それなりによかったのにと呟いたくなる。もう少しだけ、遠くの燃える星が弱まってくれれば十分なのに。でもそれは、炭酸飲料を買い求める道のりにはまってしまうのと同じだ。暑い暑いという割には、その暑さを炭酸飲料への購買意欲の言い訳にしている。暑くなければ、炭酸をわざわざ買わなくてもいいのに、と。
そう、何回も繰り返された購買心理さえも夏だなと連想するほど魅力的な気候の一歩手前に人間は立っていた。
隠れ家的カフェで、紹介をされてもどこにあるのかわからないと言われる黒猫カフェでも、店内は涼しさを求めてやってきたお客で混み合っている。客席はほぼいっぱいと言った混雑だ。夏だけは、勘違いして来店する人がとても少なくなる。
誰も彼も、目的は同じで避暑のためだ。クーラーが効いた気持ちのいい空間だ。汗も鬱陶しさも、乾かしてくれる。もちろん、常連さんは変わらずの頻度でこの時期も贔屓にしてくれる。違うのは、ほぼ毎日ほとんどの常連さんが来てくれていることだ。清川は有り難い限りだ。
しかし、難点なのが、久しぶりに来店してくれた常連さんもいることもあって話しに花が咲いてしまい、すぐに仕事に戻れないこと。嬉しい時間ではあるが、少し困ってしまうところだ。初めてのお客さんもいるし、頭がこんがらがりそうだ。
「ありがとうございました」
二名様のお客さんを店内で見送り、お礼の言葉とともにお辞儀をした。すると、入れ替わる形で来店してきたのは幼稚園児ぐらいのお子さんを連れたご夫婦だ。たった今、見送りをしたお客さんに扉を開けてもらいながら店内へ入ってきた。つまり、三名様だ。
「うわ~、すずしぃ~」
「涼しいね、れーくん」
「意外と暑いからなぁ。とても気持ちいいな、れん!」
「うん! きもちいい!!」
昭和の喫茶店の風貌だが、冷房設備は完備している涼しい店内に入るなり、はしゃぐ男の子。そして、その様子を優しい笑顔で見守るご両親。仲の良さがにじみ出ているなと清川は思った。
こちらの来店したばかりの三名様は先週予約が入ったお客さんで、息子である幼稚園に通う釘野煉(くぎの・れん)君の誕生日を祝いたいので、バースデーケーキを作ってほしいとの依頼だった。
なので、清川は初挑戦ながらも慣れない手つきで、簡単ではあるが、オリジナルバースデーケーキを完成させた。余りにも自分の実力のなさに憂いている清川は、喜んでもらえるだろうかと出迎えの時点で緊張してしまっていた。
予約客が来る前にお喋りが終わってよかった......。予約していただいたにもかかわらず、出迎えないなんて、失礼すぎる。
「ようこそ、暑い中、いらっしゃいました。15時にご予約されていた釘野様ですね?」
「はい、そうです。お出迎え、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
「うちの息子が騒がしくしてしまうとは思いますが、よろしくお願いします。それで、席はどこに?」
「あっ、ちょうどここになります」
清川が指し示したのは扉から一番近く、カウンター席のそばにある四人席。ソファとはまた違ったシックなデザインが好評だが、その男の子は良さが分からず、不思議な色だと首を傾げた。
案内された三人は席に座り、清川こだわりの店内の家具や照明器具を話題にしている。BGMは最近米国でヒットしたジャズアレンジの曲が、品のある心地よい空間に仕立て上げている。
じゃあ、そろそろお持ちしますかと問うと、お願いしますと父親から許可が下りた。かしこまりましたと答えた清川は、キッチンの冷蔵庫からこの日のための用意したオリジナルバースデーケーキを取り出し、蝋燭に火をつけ、慎重に運ぶ。
キッチンから出ると男の子の両親はハッピーバースデーの歌を歌い始める。
「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー。ハッピーバースデーディア、れーん~。ハッピーバースデートゥーユー......おめでとう!!」
「煉君、5歳の誕生日おめでとう」
カラフルな蝋燭に、子供心を意識して新幹線や動物の砂糖菓子で飾り付けをした苺をふんだんに使った4号のホールケーキをテーブルに置くと、本日の主役である釘野煉は喜びに満ちた表情をした。まさに目を輝かせている。
煉の期待以上の反応に、幸せをかみしめて両親は何回もおめでとうと拍手をしている。清川も、見ず知らずの店員ながらもお祝いの言葉を送った。
煉は、チョコレートプレートにチョコペンで自分の名前が書かれていると指を差した。
「すごい! ぼくのなまえだ!! チョコでできてるの?」
「そうだよー。だから、食べられちゃうぞ~」
「えぇ~! すごい!! はやくたべたい!!!」
「そうね。でも、その前にこのケーキを作ってくれたお兄さんにありがとうって言おうね」
「え? そうだったんだ~! ありがとう、おにいさん!!」
「いやいや、お礼なんて僕にはもったいないよ。さぁ、早く食べちゃいなよ」
本日5歳を迎える男の子に満面の笑みで感謝の言葉を言われると、ポーカーフェイスである清川もさすがに口元の緩みが隠せなくなる。
切り終えてあるケーキをフォークですぐ口の中へ運んだ男の子はその味に声を上げて唸っている。ご両親も美味しいねと笑顔だ。三人の温かい雰囲気に清川はほっとする。
とりあえず喜んでもらえてよかった。子供は評価が正直だから、駄目だと心底落ち込む。初めてケーキなんて真面目に作ったから心配であるけど、美味しそうで一安心だ。子供も大人も食べられるようなケーキが今回のテーマだったので、そこができていれば完璧かな。苺をたくさん入れたから甘すぎず、贅沢なケーキになっているといいな。
清川は緊張の瞬間を超えて肩の荷を下ろした。ケーキなんて普段作らないし、初めての予約だったのでとても不安だったのだ。今日の仕事が終わった気分だ。だが、当たり前に仕事は残っている。キッチンは食器だらけで溜まりに溜まったままだ。
あとは親子三人で素晴らしい記念日を過ごすべきなので、ありがとうございますと言い残し、清川はカウンターに戻った。
◇
客は見た目減ったものの、まだ店内の涼しさに癒されている姿が目立つ。その証拠に、今日はアイスコーヒーがよく注文された。空間だけでなく、全身で冷たさを感じたいのだろう。
清川はキッチンに溜まった食器を黙々と洗っていく。洗い物中も親子の楽しそうなことが聞こえてきて、彼らの声をBGMにして乗り切った。やっぱり小さい子は元気だなぁと、清川の心を和ませる。ご両親との会話の一つ一つが、ほのぼのして微笑ましい。勢いそのままにキッチンでの作業を進める。
ほっと溜息をついた清川はカウンター越しに店内の様子を窺うと、男の子と目があった気がしたが、気のせいだろうと目をそらした。
親子三人はケーキを完食し、しばし談笑タイムのようだ。その他の客は特に用もなさそうで、それぞれの時間を過ごしている。
何もなさそうだと察した清川は洗い物に戻った。数が多く、スピードが求められるが、しかし丁寧に扱わなければ選りすぐりの食器たちは繊細なつくりなので割れてしまう。飲食店で皿洗いが一番難しいのではないかと日々感じている。
すると、誰かがこちらにやってきて、カウンターの席に勢いよく座った。すぐさま顔を上げると、男の子が皿洗いをしている清川を見ていた。
「なにしてるのー?」
そう話しかけるのはあの男の子。誕生日を祝われたばかりの煉だ。清川の仕事姿に興味津々らしく、皿洗いと返すと次々質問をしてきた。
「へぇ~、おさらあらいって、こんなにたくさんやるの~?」
「うん、そうだよ」
「そうなんだ~。あ、そうだ。あのケーキのつくりかたおしえて!」
「あ~、えっとね」
「クリームがたくさんのってたな~、いちごもいっぱい! あと、うえにのってたチョコもどうやってつくったの? しりたいしりたい!!」
「ちょっと待ってね」
「こら、煉! お兄さんの邪魔しちゃダメでしょ!」
煉が清川に話しかけているのに気付いた母親が急いですみませんと止めに入るが、大丈夫ですよと清川は返した。そうですか、と母親はしぶしぶ再び席に着いた。
来店してからすでに感じていたが、とても純粋な瞳で世界を見ているんだな。自分とは大違いで、思わずやけどしそうだ。当の本人はエネルギーが有り余っているらしく、カウンター席でぴょんぴょん跳ねている。
天真爛漫な姿は見ていて嫌ではないが、他のお客さんの目を気にしてしまう。止めるにも一筋縄ではいかないだろうし、お客さんのピークを過ぎたのもあって、清川は少し話し相手になることにした。
清川が煉を受け入れたので、両親は二人での会話に夢中になっている。
「ケーキの作り方が知りたいの?」
「えー? それはもういいや」
「あぁ、そうなんだ」
「さいきんねー、ようちえんでヒーローごっこがはやってるの! おんなのこもいっしょににやったりして、すっごくたのしい! おにいさんはやったことある~?」
「うーん、やったことはないんだけど、いいよね。憧れのヒーローになれて」
「やったことないんだ! そんなひと、はじめてあった!! めずらしいね~」
「そうなのかな」
「あ、そうだ! きのうね、たんじょうびプレゼントにね! クルマかってもらったの! これ!! かっこいいでしょ~~」
「お、すごい、かっこいいね!」
「そうなの!!! ここのいろと、ラインがポイントなんだよ!」
「なるほどね」
このように、話し相手になった最初は他愛のない話というか、なんてことない会話を交わしていた。しかし、突然煉が話題を変え、おにーさんはおとなだからわかるかなぁ? と零した。
「ん? どうしたの?」
「あのね、なにかあったわけじゃないけどね、なんかね、ちがうなっておもうの」
「違うって、何が違うの?」
「おうちにあるふわふわしたもの」
「お家にあるふわふわしたもの......」
煉のこの発言で、清川はスイッチが入れられた。独自の感性からくる、予言のようなものを感じ取ったのだ。
きっと今から話してくれることは聞き逃しちゃいけないことな気がして、神経を鋭くする。耳をぴんとして、自分の心をゆっくりほぐす。清川のセンサーは敏感に張られ、次の言葉を待ち受ける。
「それって、もしかして、お父さんとお母さんのこと?」
「......おとうさんとおかあさん、さいきん、げんきがないのかなっておもうの」
「そうか。お父さんとお母さんが疲れちゃってるのかな?」
「うん」
煉は、ケーキを食べていた時のキラキラした表情とは対照的に、不安そうな顔をした。そして、要約すると、ご両親が最近疲れていて心配で気にかかっていると明かしてくれ、清川は理解した。
そっか、と清川は煉の気持ちに寄り添うように受け止める。子供の相談に乗った経験がないので、アドバイスをしたいが向き合い方を知らないことが悩ましい。子供はとても繊細な生き物なので、失敗が許されない圧が無意識に肩に乗っかって緊張感が張り詰める。
しかし、これは逃してはいけない。子供の感性は大人よりも強く、どれだけその子の気持ちを聞き出し、考えられるかが精神的成長に影響する。事の大小は関係ない。一つのことに、真っ直ぐ、一緒に考えてあげることが重要なのだ。
だから、僕は子供だからとかは一切なしで、真剣に彼の目を見て対話をする。
「どのくらい疲れてるの?」
「なんか、ぜんぜんげんきがないじゃないの。ぼくにはいつもみたいにわらってくれるし、あそんでくれるから。でも......」
「ちょっと違う気がするんだよね?」
「うん......」
煉は悲しそうに清川にうなづいた。その小さい体から、何も発せられなくても重たいものを抱えているのは十二分に分かった。よく大人は子供を何もできない・何も知らないということを前提に接しているけれど、こういう親の変化を感じ取っている様子は、とてもじゃないが間違っていると思わざるを得ない。
一番身近で多くの時間を過ごす人のことを何もわからずにいられるなんて、子供でも無理だ。純粋な瞳は楽しい光景だけを映しているのではない。現実だって、ちゃんと見つめている。
だって、彼らも大人と同じで、生きているんだから。
同じ世界で、同じ時を。
「お父さんとお母さんは、何かに追われている感じ?」
「うん、そうなの。たいへんだーって、くるくるまわってるみたい」
「そっか。いろいろやることがあって、頑張りすぎちゃってるのかもしれないね」
「......うん」
心配そうに俯いて清川と会話をする煉はカウンターを見つめて、顔を上げることはない。大人からしたら大したことではないが、子供からしたら大きな変化だ。
それに、誰よりも傍で目撃し続けているんだ。スルーなんてできない。聞いても教えてはくれない。どんどんその子の中で不安がたまっていく。これを取り除いてあげないと。子供だからって、知らなくていいなんて、ちゃんちゃらおかしい。
清川は、煉の話をもとに考えられる状況や対策はいくらでも言える。だが、それをこの子がすべて理解して、心にとどめて置けはしない。だから、簡潔で大事なことだけを詰め込んで、来てくれたお礼とお土産として送りたい。そう、大げさではなく思った。
「お兄さんが分かることは実はとっても少ないんだ。そのことはごめんね。でも」
「でも......?」
泣き出しそうな眼差しが清川を捉える。
やっぱり、綺麗で澄んだ視野を持っていると清川は微笑む。
煉の視線に清川は動じずに、大人の一人として自分自身の言葉を舌に乗せる。
「お仕事で大変なのかもしれないね。僕には全てわかることができないけど、それに気づけた君はすごい! だから、いつもより一緒にいてあげて。そうしたら、きっと元気になるよ」
背中を押すように清川は笑顔を見せて、ご両親の変化を察知した小さな勇者、ヒーローである彼を励ましたかった。なぜなら本当にすごいことだし、清川が行動を起こすにも限界がある。
確かに煉ができることは少ない。
けれど、君にしかできないことだ。君にしか、ご両親に特大の優しさを届けられる人はいないんだから。俯かないでほしい。前を向いてほしい。
光るカギは、煉が持っているから。
一方の煉は目を見開いて、開かずの間が開いた時の驚きを抱いているようだ。未知なる空間へ、一歩踏み出す手前のような、期待感が満ちている。
その向こう側へ飛び込む、ほんの少し前。
よし、いい顔をしているな。
清川はもう一押しだと、きっかけを手渡す。伝説のヒーローの武器を、授けるつもりで。
君にしかできなくて、君が絶対成功できることだと、もう一度伝えたい。
「そうだ! 何かあげてみたら? きっとお父さんとお母さんは喜んでくれて、笑顔が見れるんじゃないかな」
そう言うと、すぐに元気な声が帰ってきた。手にとって、もう自分のものにしたみたいだ。
そのまま離しちゃだめだからね。握ったままで。
「そっか! 分かった、やってみる!」
不安は消え去ったわけじゃないだろうけど、大好きなお父さんとお母さんのために自分にできることが分かった煉は、カウンター席で暴れながら何をしようか練り始めた。
とてつもなく大きな声だったし、もうすでにケーキも食べ終わったので、そろそろ帰るわよと男の子は母親に手を引かれてカウンター席から降ろされた。とても残念そうだけど、憂いは晴れた表情をしていた。
煉の様子を見て、清川はもうさっきの相談なんて飲み込んだ。黒猫カフェの店員になって、家族のわちゃわちゃを眺めていた。
親子三人はカウンター席近くにあるレジへそのまま会計に来てくれた。煉は会計の間もワクワクして仕方がない様子で落ち着きがなかった。母親がひやひやしていることはお構いなしだ。
じっとできずに手足を動かしているのを父親に止められながらも、煉とその両親は店を入り口まで行く。
出入り口の扉から出て行く際に煉は振り向いて、清川に大きく手を振る。
最後の最後まで、煉は無邪気で、純粋な瞳だ。
「おにーさん、ありがとう!!」
「こちらこそ、ありがとう。また来てね」
今日の天気みたいに爽やかな笑顔で大きく手を振って、予約客の三名様は店を後にした。
◆
現在時刻23時ちょうどを回った頃、一つの影が路地裏を優雅に散歩している。いつもと打って変わって、ご機嫌なキャットウォークだ。今宵の影は、なにかお宝を見つけたようだ。
少し高さのあるごみ箱を見つけて、飛び乗ると器用にいつものビルの屋上に上って、まだ心地よさの残る気温に、爽快な夜風に当たって瞼を閉じて気持ちよさそうにしている。
『小さい子ってすごいな。あの年で、大好きな人のことは何でもわかっちゃうんだな』
耳をぴんと立て、月光の瞳を開く。瞳の先は闇を割くようにあたりを光らせる。
『彼の想いは余すことなく伝わる。等身大の、愛情を隠せないから』
座るのをやめ、軽快に目の前のビルに飛び乗った。
その姿は月へダイブするような思い切りのいいジャンプだった。
◇
煉のバースデーパーティーから10日後。今日はとてもムシムシしていて、夏本番に近づいているのがよくわかる。汗が服にへばりついて、不快感が拭えない。そして、誰もが冷たい飲み物とクーラーなしでは生きられない。
そのおかげで本日は満席になっていて、忙しいものほどがある。立地に恵まれず、別の建物と間違えられて当然だった黒猫カフェ。普段、こんなことなど奇跡でも起きない限りないので、実際疲れ果てそうだ。こういうときだけ、一人なんだなと再確認する。
日よけを確認してきますと言い訳を残し、店の外に出てしばし休憩していると、足元に置いている黒板の看板から何か突き出していた。
「ん? なにこれ? 何か落ちてるのかな」
清川はしゃがんで看板を持ち上げる。よく見ると落ちているのではなく、看板の裏側にテープで貼ってあり、剥がすと真っ白い紙が巻かれていて、輪ゴムで止められている。内容が見えないようになっているらしい。
正直不審に思って放っておこうかと一瞬考えたが、わざわざ道路の上に置いてある看板に悪戯なんかしないかと巻かれた紙を手にした。
「何が書いてあるんだろう......」
輪ゴムを外して広げると、色とりどりのクレヨンで描かれた大人二人と子供が一人、そしてエプロンを付けた男性と可愛いケーキがあった。
清川は思わず口を押えた。右上に書かれた文字も、いびつだが清川にはしっかり読める字だ。
(ケーキ作ってくれてありがとう。美味しかった! パパとママに挙げたプレゼント、喜んでくれたよ)
口から目元に手を移動させた清川は、ゆっくりと内巻きにして輪ゴムを止めた。
「............」
言い訳にしていた日よけは最大まで伸ばせていたので店内に戻り、扉を閉める。一気に冷房の風が清川を包んで、周りの空気と同化していった。
黒猫カフェでは珍しく賑やかな店内で、もう一度思い出すようにその紙を開いた清川に斜め後ろから誰かが尋ねる。
「とても可愛らしい絵ですね。どなたからか頂いたんですか?」
清川は振り向いて、顔をクシャっとして答える。問うた彼から見た清川は、どんな顔をしていたのだろうか。
「はい。......小さな、僕ら三人のヒーローからです」
清川は目を細めて、視界をにじませた。それは、いつしかに覚えた感情ととても似ていて、ずいぶん懐かしいことを思い出してしまう。
まだ初夏で序盤だというのに鳴りやまない蝉の鳴きは、ここ数分の清川には煩わしいなど思いもしないくらい最強になった気分であった。
第五話へ、続く......。
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