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第七話 『繋ぐ人』

 足元に広がるのは黄色や橙の絨毯で、踏み歩く度にこすれた音が微かに鳴る。銀杏《いちょう》並木の名所であるとある公園には、豊かな秋を嗅ぎに来た家族連れや紅葉狩りならぬ銀杏狩りをしに来た恋人たちが通り過ぎる。高い木の枝から落ちてくる銀杏の葉を追いかける子供、綺麗だねと連れ添う男性に指を差して微笑む女性。設置されたベンチで優雅に読書を楽しむ老夫婦の姿は、まるで洋画のように憧れる光景だ。やっと肌寒くなってきてマフラーが欠かせない季節。タートルネックセーターにコートが定番の装いで、手袋はまだ早いかもしれない。まじ寒いねーとはしゃぎながら走っていく女子高生が今年もスカートを折ってミニスタイルなのを目撃すると、勇者にしか見えないのは年老いた感覚なのだろうか。花粉の時期でもあるのでマスクも必需品という人も多いだろう。
 公園には様々な人たちがいるのを眺めている時間はなんだか世の中を俯瞰している気分だ。もちろん、すべての人たちがこの場に集まっているわけではない。個性も性格もかぶらない人間が同じ芝生でそれぞれの楽しみ方をしているのを観察すると何度も気づかされる。人は人であり、全く同じ存在などいない。だからこそ、面白い。綺麗事しか出てこないが、なんだかんだ真理だと真剣に思うこの頃。

 一方の書き入れ時である、路地裏でひっそり営業している黒猫カフェは店内の一角に緊張感が漂っていた。清川にテーブル席へ案内された20代の女性は固い動きで清川の後ろについていき、ソファに座った。一直線に切りそろえられた前髪に、自然なハイライトが入る磨きがかった黒髪からは椿油の香りがした。赤い着物姿の女性が纏う品の良さは大和撫子そのものだ。清川が注文を取ろうとエプロンのポケットから伝票を取り出す動作に怯えて身を隅に寄せていた。気に留めることなく、注文を取る清川には気まずい汗が流れていた。
「ご注文はお決まりですか?」
「えっ、もう注文するんですか……? 着いたばっかりなのに……」
「慣れている方はいつも頼むものがあったりするのでお聞きしました。呼んでいただければいつでも承りますので、ごゆっくりどうぞ」
「あっ、そうなんですね……。ありがとうございます。そうします……」
 気まずそうに返事をした女性はすぐにメニュー表を開いてにらめっこをしている。メニュー表との距離はほとんどなく、きちんと読めているのか不安になるほどだ。変わった人だなぁとキッチンに入っていく清川は思った。キッチンで洗う皿を片付けている清川からは女性の頭しか見えないが、きっとメニューの文字をなぞって確認しているに違いない。分かりやすく頭が低いのだ。呟く声も聞こえる。ここまでくると愛らしく感じる。まるで、大人の場に迷い込んだ子供のようだ。
「あ、あの……! 注文お願いしてもいいですか……!」
 小学生が信号を渡るときの右手によく似た手の挙げ方で、女性は清川を呼んだ。清川は洗い物を中断し、女性のものへ静かに早歩きする。
「はい。ご注文はどうなさいますか?」
「じゃあ、この……カプチーノのラテアート? というものをください」
「かしこまりました。少々お時間いただく場合がございますが、ご了承ください」
「あ、はい、えっと。急いでないので大丈夫です……!」
「ありがとうございます。しばしお待ちくださいませ」
 おもむろかつ丁寧にお辞儀をして清川はその場を立ち去る。
 これは正直苦手なものが来てしまった……。
 キッチンでエスプレッソマシンを棚から取り出しながら本音が漏れそうになる。仕方ないと自分に言い聞かせ、ミルクピッチャーを隣に置く。実は清川は、カフェを運営している上で最もラテアートが苦手としているのだ。何故なら、自分の芸術感覚に自信がないから。もちろん、開業前に何回も作ったことはある。出来としてはまあまあなのだが、本人はあまり納得していない。挑戦を重ねても特に上達はうかがえず、参考書を参考にしても実技に反映せず……。ずっと海を漂っている状態なのだ。これで完全に清川に苦手意識が定着したという話だ。
 気を取り直して、カプチーノのラテアートを作ることとしよう。苦手ながらも順調に手を動かしていく清川だ。
 そういえば、カフェオレとカプチーノの違いはご存じだろうか。清川の実演に合わせてご紹介したいと思う。まずは、エスプレッソマシンでエスプレッソを抽出する。次にスチームミルクという温めたミルクを用意する。スチームミルクの温め方は、エスプレッソマシンにスチーム機能が搭載されているので楽に行える。使用しているエスプレッソマシンは業務用で電動のもの。ご家庭には厳しいかもしれないが、高機能なのでこだわりが強い方はぜひ購入を検討してみてほしい。本題に戻ると、抽出したエスプレッソをカップに注ぎ、スチームミルクも入れる流れだ。その次からがカフェオレとカプチーノの大きな違いになってくる。フォームドミルクというミルクの泡を入れる工程があるのだが、このフォームドミルクの量が違う。カフェオレはカップの縁の1㎝未満、カプチーノは1㎝以上を入れる。つまり、カプチーノの方が多くフォームドミルクが入り、割合としてスチームミルクの量が少なくなるため、カプチーノの方が大人な味わいになる。コーヒーをより感じたい方はカプチーノを選ぶべきだろう。対して、ミルクを楽しみたい方はカフェオレがおすすめだ。
 ここからはようやくラテアートを作っていく。先ほど紹介したフォームドミルクをミルクピッチャーで注ぎ、ミルクピッチャーの注ぎ口で中心を切るように差すとハートが現れるというシンプルなものだ。他にもリーフや細かい模様などもあるが、清川ができるのは基本のハートとリーフだけだ。
 無事綺麗にハートのラテアートが完成した清川は、神経質になった自分をリラックスさせるため深呼吸をした。深緑のお盆の上に置き、零さないよう慎重に女性のテーブル席へ運んでいく。近づく清川の手元を見た女性は一気に目を輝かせる。
「えっ! すごい……」
 感動したあまり溜め息をつきそうなとても良い反応だった。女性の目の前へ到着し、恐る恐る可愛く仕上げられたカプチーノをテーブルの上で滑らせる。やっと終わったと自分の中で一区切りついて清川は営業スマイルで女性に伝える。
「お待たせ致しました。カプチーノのラテアートでございます」
「わぁあ……! すごい、素敵ですね……。かわいい」
「ありがとうございます」
「これが、ラテアート……なんですか?」
「はい。ミルクの泡で模様を描いています。よりもっと複雑なものもできますよ」
「へぇ……! 今度、お願いしてみようかな」
 初体験のラテアートに一人興奮している女性は童心を忘れない純粋な心を持っているようだ。その瞳は光をいっぱいに取り込んで輝いている。清川も思わず胸が温かくなる。にしても、ラテアートを始めてみるだなんてまたしても珍しい人だ。特殊な環境にでもいたのだろうか。テレビがない家庭だったのだろうか。女性のバックボーンが気になるところだ。
「あ、あの……何か御用ですか?」
「あ、いえ。何でもないです。失礼いたします」
 女性の普段の生活が気になるあまり棒立ちになっていた清川は、女性に遠回しに指摘されて目が覚めた。羞恥を隠しながら、そそくさとキッチンへ戻っていく。女性は去っていく清川を視線で追った後、ようやくカプチーノのラテアートを一口含んだ。その芳醇な香りとほどよりミルクの甘さに感動を覚えたことは忘れることがないと舌に刻まれた。


 お昼時間も過ぎて、黒猫カフェに食器が当たった音が響く時間帯になっても、女性は追加注文もせず店内を凝視していた。まるで何か秘密を解き明かそうとしているかのようにくまなく一点を見つめる。その様子に残りの3人の客も苦い表情をして目線を送る。一点を見つめた後は手元にあるであろう何かを読んで、納得して頷いている。正直に言って、挙動がおかしいと誰もが思った。清川は困り果てていた。客の居心地が悪くなっているのは事実だし、看過できない。しかし、先ほど接客してみた印象はとてもいい子だと思う。だからこそ、言いづらい。簡単に説明すれば、客と女性の間に挟まれている感覚に清川は苛まれている。どちらを優先するべきか悩みに悩んだ結果、女性にしっかりとフォローをすれば彼女自身も客もよい雰囲気で収まるだろうと客を優先することにした。警戒されないよう、より下に出て女性に注意をする。
「あの……お客様。どうかなさいましたか?」
「へっ!? ど、どうしてですか……?」
「ずいぶんと店内を気にされているようでしたので……」
「あ、いや、なかなかこういう場所には来ないので珍しくて……」
「そうでございましたか。何かご不満でもあるのかと心配しておりましたが、よかったです」
「いえいえ! そんな! 内装がとても素敵で感動致しました!」
 清川の見立て通り、女性は無意識に周囲を混乱させていたようだ。要するに、初めて見たものを興味津々で注目する子供と同じだ。本当に、何事かと冷や冷やしていた清川は安堵した。女性と会話をしてやっと表情が柔らかくなったと思ったが、未だに緊張感が伺える。一杯のひとときを楽しんでもらいたいので、女性の体の強ばりを少しほぐしてから戻ることにした。
「今日はどちらから来られたのですか」
「県内なのですが、東方から来ました」
「そうなんですね。カフェに来られるのは初めてですか?」
「はい。……幼き頃から興味を持ってはいたのですが、なかなか機会が訪れず、今日に至りました」
「初めてのカフェに当店を選んでいただき、嬉しい限りです」
「そんなお礼だなんて……! こちらこそ、満喫させていただいております」
「あの……。一つ、質問してもいいですか?」
「はい。なんでしょう……?」
「どうしてそんなにも緊張されているのですか?」
「そ、それは……」
 清川か長時間聞き出したかった質問を女性に投げかけると、女性はそのことから目をそらしたいかのように視線を下げた。おそらく図星で、訊かれたくなかったのだろう。理由も、隠したいと考えているのかもしれない。それでも清川は、だからこそ聞かせてほしいと思う。黒猫カフェでは、心の荷物を抱えずにいてほしいから。
「大丈夫です。あなたが恐れていることは起こりません。私は、あなたの不安を無くして、このラテアートを堪能してほしいだけですから」
 口に弧を描き、清川は自分の本心をさらけ出した。ラテアートを眺めながら女性は清川の声に耳を傾けている。10秒ほど経って、女性はついに自ら発言をする。
「私事ですが、悩んでいることがあるのです……」

 溶け出した精神的防御という氷は手足の曲線をなぞって彼女を解放していく。一滴一滴が彼女の気持ちそのもので、涙でもある。そんな大きな氷を見守るのが清川なのだろう。女性は瞼から苦しみをこぼしていた。清川は苦しみの欠片を拾うことはないが、しっかりと受け止めている。
「落ち着きましたか」
「はい……。申し訳ありません」
「いいえ。自分らしくある場所を目指していますから、どんな姿でもいいんです」
「……ありがとうございます」
 女性は巾着袋からすすきが描かれたハンカチを取り出して、苦しみの欠片を押さえ集める。集めた欠片は一つになって、ハンカチに染み込んだ。ハンカチをしまい、感情が収まった女性は清川に感謝を告げる。
「突然、涙を流してしまったのにもかかわらず、何も言わずにいてくださってありがとうございます」
「いいえ。お気になさらず」
「……お名前をお伺いしてもよろしいですか」
「私の名前は、清川蛍です。あなたは?」
「私は、神坂紅子かみさかあかこです。22歳の大学生です」
「教えてくださってありがとうございます。それで……なぜ泣いていたのか、お訊きしてもいいですか?」
「はい。とても素敵なお店で、こんなに楽しいのは久々ですので……。お礼というのに相談だなんて失礼極まりないですが、お話しさせてください」
「はい。正面、座ってもいいですか?」
「もちろんです。どうぞ」
 神坂に承諾してもらい、客席であるテーブル席に向かい合うように清川は腰掛けた。残り三人の客の様子を雰囲気で微かに捉えると、もうそれぞれの時間に浸っているようだ。これで神坂と心置きなく対話ができる。話し出す前にカプチーノを一口飲んで、神坂は息を吐いた。カップの表面上には崩れたハートがあった。。
「私の生まれは120年の歴史のある神社でして、両親ともに神様に仕えております。私はそんな両親に育てられ、世間の皆様からしたら日本の伝統を引き継いだ日々を送っておりました。私も日本の文化が昔から大好きで、自分から率先して嗜んできました。しかし、成長していくにつれ、自分に課せられた責任と言いますか、使命を知ることになりました」
「もしかしてそれは……」
「はい。そうです。私は神社の跡取り娘なのです。昔はそんなことなど考えず、日本という国を愛して文化に触れてきました。春夏秋冬、季節を存分に楽しみ、穏やかな一年を過ごすのが私の幸せでした。気がついたのは高校生の頃です。きっと中学生の頃から言われてきていたと思いますが、近所の方から神社の将来についてお話しされることが多くなりました。それまでは歴史の重さや事の重大さを無知でしたので全く感じておらず、のうのうと生きていました。将来は神主さんになるのねと話をされて、驚きました。普通に考えたら当たり前の話ですが、私には少しも頭になかったことでした」
「そっか……。今までは純粋に日本の文化に触れてきていたけど、これからは神主の娘に生まれた責任を感じているんですね」
「はい。その話をされてから一気に自分に自信がなくなってしまいました。神社のことはよく知っています。知っているからこそ、将来神主になる責任などは分かりきっていたのです。私にとって最も深く悩んでしまったのは、歴史を紡いでいくことができる気がしないということです。まさか自分が120年の歴史を背負い、未来へ繋げていくだなんて……信じられなくて」
「近所の人やご両親の期待もあって、重圧に堪えきれなくなってしまったんですか……」
「はい。そうです……。相談できる人もいなくて、どうしたらいいのか、分からなくなってしまって……」
 清川には浅い想像しかできないが、神坂に課せられたものはとても高く重厚なんだろう。純粋に頼んでいた日本の文化が一気に自分を苦しめる鎖になる……。もし、自分の仕事が神坂の経験と同じようになったらすぐ投げ出してしまうだろう。興味自体を失ってしまうかもしれない。人によって様々だが、後ろ向きになってしまうのは避けられないだろう。誰かが代わりになれたらいいが、そうもいかない話だ。抱え込んでしまう気持ちはとてもわかる。
「とても難しいお話ですね……」
「申し訳ありません。こんな話をしてしまって……」
「構いませんよ。私が聞きたかったのですから」
「今は、大学で宗教について勉強をしていますが、神主になるためではありません。単純に興味があったからです。それなのに、それを見据えていると勘違いされてしまって……。誤解も解けず……」
「なるほど……」
 神坂に相づちを打っている清川だが、内心焦っていた。相談を聞こうと言い出した身であるのに、神坂に伝えられる正解なるものが思い付かないのだ。これまでは話を聞いていくなかで自然と自分なりの正解を導きだしていたので今回もそれでいけると踏んでいたのだが誤算だった。理由としては、あまりにも規模が大きく、本人自身しか解決し得ない相談内容だったからだろう。これほど相談相手に何も言えなくなっているのは初めてで不安をあおってしまっている自覚がある。どうしようどうしようという言葉が脳内で徒競走をしている。あと何週すればゴールテープを切れるのだろうかと予測もつかない。これは正直言って、参った。宗教はとても繊細な部分を持っているし、神坂の神主になる権利は他人に譲れるものではなさそうだ。きっと血縁がどうこうのしているご両親かもしれない。非常に繊細だ。答えが出ない。正解なんて、あるのだろうか……。ああ、そうか。やっとわかった。
「神坂さん」
「はい。なんでしょうか……?」
「探すのやめませんか? 正解を」
「……!」
 神坂の目が飛び出るほどの変わりように清川は僕と同じだったかと心の中で呟いた。清川は相談を聞いてなんとなくどうしたら自分らしくいられるのかを柿坂に伝えなければならなかったのに、いつの間にか数学の問題のようにまるで一つかしかない正解を求めていた。それは神坂も同じ。伝統という縛りを恐れて固定概念に身をゆだねてしまっていた。その考え方は清川が一番嫌いな考え方なのに気づけなかったのが悔しい。でも、自らの力で脱出できたのは褒められてもいいだろう。神坂も清川に指摘されて気づけた。神坂にも称賛を与えてほしい。清川が言いたいのは本当にシンプルで難しいが、今の神坂には最も必要な言葉だ。
「分からなくていいんじゃないでしょうか。すぐに答えが出せるものではありませんし、神主になる自覚なんて一瞬でできやしません。だから、いっそのこといろいろ放り出してみてはいかがですか? 今日、この店に来ていただいたみたいに違う世界を探検してみて、たくさん吸収して、また考えればいいんです。そうしたら必ず悩みが解決するわけではないですがきっといい方向に向かいます。あなたなら、きっと」
「そうでしょうか……。私にもできるでしょうか……」
「はい。できますよ」
「……そうですか。なんだか勇気をもらえました。ありがとうございます」
「いえいえ」
「それではここらへんで失礼します。お会計をお願いします」
「ラテが残っていますが……」
「あ! 本当だ……。すみません!!」
 一口しか飲んでないラテアートのカプチーノを神坂は一気に飲み干す。慌てて飲み切る姿に清川は思わず笑いが止まらなかった。笑ってしまったことは神坂にはばれていないらしく、そそくさと会計前へ歩いて行った。後ろをついていき神坂の会計を済ませた清川は最後にプレゼントをした。と言っても、子供相手にしてしまう行為だが。
「これからいろいろあると思いますが、気楽に過ごしていってください。これ、ブドウ味の飴です」
「あっ……! 飴までいただいてありがとうございます! 頑張ります!!」
 晴れやかな表情で店を出ていく神坂は神から送られた天性の人を幸せにする微笑で、辺りの気温が一度上がったような感覚に陥った。

 今晩の都会はあいにくの雨模様。どんよりした空気が上空を覆っている。
 そんな中、当然の如く黒い影は細長いものを揺らして、アスファルトの上で雨雲を見上げている。
「難しいな。その人が抱えているものを軽くしてあげることは」
 視線を下ろし、降ってくる雨を眺めて黒い影は細長いものをより大きく揺らす。
「でも、雨の日でもいいことがあるように悪いことばかりじゃない。見える世界は閉じられていないんだから」
 一旦黒い影は立ち上がって伸びをした。湿気で毛並みのようなものが濡れているが、細長いものはまだ上機嫌なままだった。

 一か月後。今日は過ごしやすい秋晴れで誰しも行動力が上がっている。それだからなのか、黒猫カフェはほぼ満席であと一席しか開いていないほど盛況だ。これ以上お客さんを案内できないと思うと心苦しいが、たくさんのお客さんに埋め尽くされてる店内をキッチンから見渡すのは清川にしか味わえない幸せだ。
「お久しぶりです」
 急に声をかけられ反動でいらっしゃいませと礼をして頭を上げると神坂の姿があった。ちょうど清川の目の前のカウンター席に座ったようだ。
「あ! お久しぶりです……! お元気でしたか?」
「はい。おかげさまで。清川さんの言う通り、いろんな場所へ行ってみようと計画をしているところです」
「そうなんですね。とてもいいと思います」
「でも……」
「でも……?」
「ハイカラなところへ行くのは慣れてないので……しばらくこのお店に来させてもらってもいいですか?」
 清川はもちろんと大きく頷いて、神坂との会話をしばらく楽しんだ。

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