第八話 『試し』
十一月中旬。秋も深まり、日本各地で紅葉が見ごろになって行楽シーズン真っただ中だ。山中心に観光業は盛況で、どこも観光客でにぎわっている。登山から紅葉狩り、ロープウェイ、栗拾い、アクティビティなど幅広く楽しんでいるようだ。肌寒さが人々を縮こまらせ、行動を制限させる。しかし、そのおかげで温かい飲み物が美味しく感じる。その恩恵を受けているのは飲食店やスーパーだけではない。黒猫カフェも、読書の秋という風に押されて来客数を伸ばしていた。毎日繁盛でてんてこ舞いだが、嬉しい悲鳴だ。そんな充実した日々を送っていた清川にも一つだけ悩んでいることがあった。そのために今日は黒猫カフェを閉じている。常連客5人を招待し、あることをしようと考えた。定休日に集められた常連客達は何をするのだろうと会話を繋げていた。
「今日は何をするんだろう……」
最初に口を開いたのは大学一年生の九重鷺那だった。読書好きでカフェマニア。消極的だが、最近は積極的に行動を起こすようになった。白いシャツに深緑のカーディガン、灰色のチェック柄のズボンというカジュアルで落ち着きのある服装でカウンター席の前に立っている。店内で見かけたことはあるが今日来ている他の常連客と顔を合わせるのは初めてなので内心緊張していた。無言の空気を換えるために勇気を振り絞り話を振ってみた。
「あの……皆さんとは初めましてですよね?」
すると、六十代くらいの老紳士が丁寧に答えてくれる。紺のスーツ姿が板についていて、貫禄も感じさせる。
「ええ、そうですね。皆さんとは初めましてだ」
「そうですね。……あの、すみません。あなたとどこかでお会いしたことがありましたか?」
老紳士の相槌に、秋らしい茶色のニットワンピースに身を包んだオシャレで清潔感のある大人の女性が質問を投げかけた。老紳士は覚えがないようで、そうでしたかねと返している。
「あっ、気のせいだったみたいです。すみません」
「いいんですよ。気にしないでください」
にこにこと笑顔で女性をフォローする老紳士の姿に九重はさりげなくてすごいなと感動していた。続けて老紳士はすぐ隣にいた生真面目そうな青年に声をかけた。青年は黒のタートルネックに白ズボンというシンプルな着こなしだ。
「あなたもこの店の常連さんなのですか?」
「はい。ここ最近のことですが、よく来させていただいております」
「とても丁寧な言葉遣いだね。そんな堅苦しくなくても大丈夫ですよ。そちらの方もそうなのかな」
「そう。私も来るのは最近の方。ここに来ると落ち着いて作業ができていい」
老紳士のおかげで会話に入ってこれたのは、青いチェックのリボンに同じ柄の青いスカートを纏った制服姿の女の子。見た目の通り、女子高校生のようだ。老紳士の問いかけに年齢差を感じさせない自然な流れで返事をしている。九重はこの調子で名前も聞いてみようかと思った瞬間、キッチンの奥から清川が出てきた。
「皆さん、お待たせしました。今日は集まっていただきありがとうございます」
「清川さん……!」
「いやいや、お待たせしてしまってすみません。いろいろ準備があってね。終わったし、そろそろ始めようかな」
「どうして僕たちが集められたんですか?」
「それはね……。新メニューを決めてもらうためだよ」
九重の疑問に清川は嬉しそうに答えた。キッチンからカウンター席へ移動し、カウンターにある紙を置いた。常連客たちは一斉にその紙を覗き込むと「新メニュー案」と題打たれたメニュー案が3つ箇条書きで書かれていた。清川へ視線を戻し、九重はもしかしてと言いかける。目があった清川はそうだよと微笑んだ。
「今からその紙に書かれたメニューを皆さんに食べてもらって感想を聞きたいんだ。だから、正直にお願いしますね」
清川の美味しそうな予感がする発言に一同心なしか表情筋が緩んだ。何故なら、あの清川が作るスイーツを他のお客さんよりも一足お先にいただけるなんてまずない機会だ。黒猫カフェにスイーツのイメージはないため、期待感がより高まる。一斉に新メニュー案があるカウンター席を取り囲む。
「まず一つ目の候補は、ベルギー産を使用した贅沢なチョコパフェ。甘すぎないようにプレーンクッキーをのせてあるよ。サイズは小さいけれど、逆にそれが食べやすいから頼んでもらえるんじゃないかなって思ってる」
「なるほど……。美味しそうですね!」
「ええ。若い子に人気が出そうね」
「そうですよね! 特に女の子とか好きそうです」
今日会ったばかりなのに九重は勢いでオシャレな女性に返事をしてしまった。生意気だと思われてないか、失礼だったなとすみませんと謝ると、相手方も同じだったようでこちらこそすみませんと言われた。悪く思われていなくてよかったと安心した。
今回集められた他の客もそれぞれ第一印象を呟いている。
「まぁ、私は普通だけど……。好きな子は多いと思う」
「それについては僕も同意見です」
「このサイズ感なら私くらいの歳でも食べれそうだよ」
「そうですか。それはよかった。それで、次は国産卵を使ったカスタードプリンです。程よい卵の甘みが口の中でとろけるようなプリンにしようかなって考えてます」
「プリンも作れるなんて、さすが清川さんですね!」
「いやいや、そんなことないよ。それで、このメニューについてはどう思う?」
清川の問いかけにオシャレな女性は、うーんそうねとカスタードプリンの第一印象について意見を落とす。それに続けてそれぞれも発言をしていく。
「シンプルで万人受けする案ね。子供がとても喜びそうだわ」
「私、プリン好きだからあると嬉しい」
「甘すぎないのなら、僕も食べられそうです」
「やはり定番メニューは必要だと思うよ」
「僕も皆さんの意見に同意です!」
「ありがとうございます。最後に、三種類のフルーツがたっぷり入ったフルーツケーキ。苺、マスカット、バナナの三つをふんだんに使って作ったものです。これが一番個性があって好みもわかれると思うんだけど……。どうかな?」
確かにフルーツケーキは先ほど挙げられた2つのメニューより華やかさがあり、興味を引かれるものだが、一方で好き嫌いがはっきりと分かれることを清川は心配していた。いくらこの場での反応が良くても、いざお客さんに出したとき人気がなければ出していくことはできない。人気がないということは利益にならないということだ。現実的な話、利益無視でカフェを経営していくことは困難だ。
「うーん、確かにそうですけど、あったほうがいいと思います」
「……スイーツメニューが少ないよりはいいんじゃない」
「彩りが豊かで私は好きだな。こういうのが一つあると魅力的になるんじゃないのかな」
「僕の意見としては、少し頼みにくさを個人的に感じます。どういう味なのか想像できないだけですが……」
十人十色の言葉が飛び交う中、オシャレな女性が清川にとって一番聞きたい意見を出してくれた。それはさすが大手広告代理店でデザインを担当している人物という的確さだった。
「清川君の心配していることはよく分かるわ。今までのメニューは定番でどこのカフェにでもあるもの。差別化を図るためにフルーツケーキを出したいと考えているのね。そちらの男性の言う通り、彩りがあって綺麗で私も好きだわ。見ているだけで気分が上がる。しかし、フルーツケーキに使われているフルーツはどれも人気があるけれど、どうしても好き嫌いの話が出てきてしまう。それを言ったら、さっきのメニューもそうなんだけど、このメニューは特にその傾向が強くあるわ。一個ずつが好きでも一緒になったら好きかどうかは別の話だもの。清川君が作るものだからきっとおいしいと思うけれど、売上につながるほど頼んでもらえるかが心配なのね」
「そうなんです……。皆さんの印象がいいのは嬉しいですが、実際出したときにどうなるか気になって」
「それなら、フルーツケーキだけ期間限定にしてお客さんの様子を見るのはどうかしら? 一気に3つもメニューが増えて大変だから負担も減らせるわ」
「それはいいですね! そうします」
すべてのメニューについて軽く話し合ったところ、とりあえず三つとも新メニューとして出すことに決定した。常連客たち5人の距離も徐々に近づいてきていた。自然に会話が生まれ、清川は一人こっそりと幸せな気持ちになっていた。そして次は一同お待ちかねの試食タイムだ。カウンター席に座るよう促された一同は店内奥、左から老紳士、生真面目な青年、九重、オシャレな女性、女子高校生のじゅんに席に着いた。キッチン側から清川が顔を出してきた。
「それではみなさん。これから皆さんにはさっき上げた新メニュー案を試食してもらいます。僕のことは気にせずに素直な反応をください。はい、どうぞ」
五人の目の前に漆黒に染まったチョコパフェが置かれ、思わず一同歓声が上がった。いただきますの合図でスプーンを進めていったのだった。
それから二時間後。黄金に輝いたカスタードプリン、宝石が落っこちた雪景色のフルーツケーキを試食し、新メニュー案の売り方などより詳しい部分について会議を行った。清川との新メニュー案会議を終えた一同はすっかりお互いに心を許し、雑談ができるまで仲を深めていた。黒猫カフェを後にした五人は駅までの道中、今日という一日を語り始めた。
「いやー、今日は本当に楽しかったなー! 清川さんのスイーツが食べられるなんてすごく貴重だし、選ばれて嬉しかった」
「そうね。どれも美味しくて頼むのが楽しみだわ」
「最近来るようになったから、スイーツがないことに驚いてたけど気にしてたのね」
「僕は甘いものはそんなに得意ではないのでスイーツがないこと自体気付きませんでした」
「清川君も一人でいろいろ考えて本当に尊敬するな」
そのあと、他愛もない世間話で盛り上がっていると九重が急に立ち止まり、真っ青な顔をした。千種が九重君どうしたのと訊くと九重はしまったという表情で答えた。
「ノートを忘れました……」
「え、黒猫カフェにってこと?」
「はい……。すみませんが、お先に帰っていてください」
「いやいや、ちょっと戻るだけだし、私もついていくよ。ね? みんなもそれでいいでしょ?」
「私は構わないよ」
「はい」
「いいよー」
「あ、ありがとうございます! じゃ、行きましょ!」
全会一致で九重のために黒猫カフェに戻ることになった一同はまたくだらない話をしながら道草を潰していく。今日であったばかりなのでなんていい人たちなんだと九重は影ながら感動した。十分後、黒猫カフェに到着し、扉に手をかける九重。しかし、鍵がかかっていて入ることができない。もう帰ってしまったのかと一同は不思議に思った。
「帰るの早くない?」
「何か用事があったのでしょうか」
「いや、でも今日はお店は休みで時間はいっぱいあるからゆっくりしていってって……」
「何かあったのかしら?」
「清川君は裏口にいることも多い。裏口に行ってみよう。こっちだよ」
この中で一番黒猫カフェに通っている襖の提案でよく清川がいるという裏口へ向かうことにした。黒猫カフェの右側にある道を直進し左に曲がるとちょうど店の裏側になる。そこから細い路地が見えるところが裏口らしい。襖の案内で黒猫カフェの裏口にたどり着くと横たわる影を発見した。いち早く気付いた九重は急いで駆け寄り声をかけると、影の正体は黒猫だった。
「清川さ……」
黒猫を助けるためにまだ店内にいるであろう清川の名前を九重が呼ぼうとした瞬間、横たわる影は黒猫から人型へ変化した。およそ十秒の間に黒猫が人間に変身したのだ。しかも、その人間というのは……。
「き、救急車読んでください!!!」
九重が大きな声で叫び、慌てて筅儀が携帯電話で119番通報をした。
清川が目を覚ましたのは、翌日の三時頃だった。面会の許可が出た連絡が来た際、偶然にもその場に遭遇した五人がそろって清川のいる病院に駆け付けた。清川の病室へ足を運ぶと、清川は疲れ切った様子ですやすやと眠っていた。清川のベットを取り囲むように椅子に座った。目を覚ました清川におはようございますと挨拶をすると、ゆっくりと上体を起こして昨日のことを思い出そうとする清川。しかし、何も思い出せないようで、九重が教えることにした。
「昨日、新メニュー案の会議をした後に清川さんは倒れたんです。裏口で」
「……そうだったんだ」
「はい……。たまたまノートを忘れていってよかったです」
「それで、発見したんだ。……ありがとう」
「いえいえ。いつもお世話になってますから。あと、それと……」
「どうかしたの?」
言いづらそうな九重に疑問を覚える清川。表情を変えずに、九重は清川に訊いてみることにした。
「あの……清川さんって、猫、なんですか?」
――清川の中ですべてがはじけ飛んだ。
「出て行け」
清川の冷たい言葉に九重は一瞬、時が止まったように感じた。
「出て行けって……。どういうことですか?」
「出て行け」
「清川さん、落ち着いて……」
「出て行け!!!!!」
人が変わったように、鬼の形相で五人を睨みつける清川。一同は心底動揺しながらも、落ち着くように言葉をかける。
「その姿には驚いたけど、嫌いになったり傷つけたりはしないですよ……!」
「清川君、まずは私たちの話を聞いてくれ」
「そうよ。私たちの言葉を最後まで聞いてほしいわ」
「心配しないでください。清川さんが思っているようなことは起こりません。約束します」
「とりあえず一旦さ……」
「出て行け!!!!!」
清川の怒りのような恨みのような感情は収まらず、膨張を続けている。こんなにも感情を爆発させた清川を知らないのでどうしたらいいんだろうと混乱する一同に、清川は早口で息を切らしながら本音を吐き出す。
「こうなったら、僕はあの店はやっていけない。やることなんて不可能だ。間の姿を保てないんだから。だから、僕ともう会うことはない。僕との関係にしがみつくことはないんだ」
「で、でも、僕らは」
「うるさい! そんな偽善なんかいらない! 心配なんて大きなお世話だ!! 僕は化け猫だ。人間じゃない。もう一緒にいられない」
「あの店は畳む。もう無理だ。退院次第、すぐ閉める。もう僕と君たちの関係をつなぐものはない。さっさと帰って」
「あの店を畳むなんて……。そんなこと言わないでください! 手伝いはいくらでもしますから」
「店主が化け猫の時点で、あの店がやっていけるわけないだろう!? 馬鹿なのかい!? もうこの話は終わりだ。帰ってよ」
「な、なんとか、どうにしますから……。そんなこと」
「どうもこうも勝手にしろ!! 僕はもう知らない!!!」
清川がそう言ったところで、彼らはやっと諦めて病室を後にした。
もうどうしたらいいのかわからなかった。本当の自分がばれてしまって、どう冷静を保ってっていうんだ。
こんなこというつもりはなかったのに。きつく当たってしまったことを今更反省した。
人間は好きな方だと思っていたけど、案外僕も人間に対して憎しみや恨みのようなものを持っているんだなと初めて知った。
どうしよう、これから。
喧騒が一切ない真っ白な空間で清川は自身の昔の頃を思い出すのだった。
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