今夜は『石ころを宝物にするのは強い私』の物語にしようか 是久莉佳子
この記事は2018年5月16日に投稿されたものです。
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私はね、“広田に行くこと”=“宝探し”だと思うの。
それも一つの宝物が見つかっても終わらない宝探し。早い者勝ちでもない。
そうではなくて、宝物がいくつあるかわからない、それでも思わぬ所に転がっているんじゃないかな、と信じることで自分の探求心がくすぐられる、そんな終わりなき宝探し。
どういうことって思うでしょう?
【拾った石ころ】
町の人にはりかこ、SETの皆にはこれひーでお馴染みの私、是久莉佳子が初めて広田町に出会った2016年(当時大学三年生)から約2年間、
Change Maker Study Program
20期中沢浜スタッフ、
22期喜多スタッフ、
はなゆめ修業プロジェクトスタッフ
として活動してきたの。
東北の震災地、陸前高田市の町、そう知りながらも初めて訪れた広田町は言ってしまえば“普通の”町だったなぁ。
海があって、畑があって、穏やかで静か。道で人に会えば軽く挨拶をし、時間があれば世間話を楽しむ。想像できたといえば想像できる、そんな町。
実はこの町に来た瞬間、愛着や運命的といったものを感じたい私がいたの。前から広田を知るメンバーが言うような、スピリチュアル的な、あれ。
でもね、まったく感じられなかった。まったく。
広田の海はとてもきれいだと思った。
それはきっと普段こんな近くで海を見ることなんてないから。
広田の人はとても優しかった。
私はこの時この町で“大学生”だった。
これが私の拾った原石。
【消えた原石・見つけた宝物】
拾った石ころを宝にするにはどうすればいいと思う?
まずはぎゅっと握りしめておくの。ただの石ころかもしれないけれど、それでもただひたすらに、落とさないように手の中に包んでおくの。そこから磨きをかけていければそれでいいの。
そう気付くまでに、私は広田で幾分の出会いを経ただろう。
どれだけの人、自然、空気を、“広田の”、を意識して過ごしただろう。
フィールドワークや町を知る中で特別辛いことなんてなかったの。町の人に会えば会話のできる私がいて、顔を見て笑ってくれる人もいる。純粋にうれしかった。
それと同時にね、広田町じゃなくても多分、同じように過ごせる私がいる気がして、どこか苦しかったの。
だからかな、握りしめる石に自然に愛着は沸き出てきそうなものだけど、今思うと私はただの石ころじゃないと信じて愛を着けることで必死だった。“大学生”の私で。
でもね、そうしていくうちに気付いたことがあって、
たまたま行き着いた町がここで、
たまたま出会った人があの人で、
たまたま大切にしてみたいものを大切にしてみた、
そんなたまたまが積み重なった結果、当たり前にかけがえのない宝になってたの。
大切にしてみたから、大切なものになった。
そんな当たり前に気付いたのは、
「こんな町…ってお前に話すことが俺の心の肥やしだ、
“こんな町”が“お前が来る町”になったんだな」
うん、そう。きっとこの瞬間。
私はこの時この町で是久莉佳子だった。
これが私の消えた原石、見つけた宝物。
【掴んだ宝物・贈られた宝物】
SETは宝探しのためのシャベルや鑢をたくさん持っているの。
どんな石ころも見つけて磨き上げるアイテム。
でもね、それはちゃんと使わないと、使いこなさないと意味がなくって。
ただ必要なのは正しい使い方じゃない、”自分なりの”使いこなし方。
SETは本気で町と向き合いながら町だけと向き合うわけではないの。そんな仲間がいて、居心地はいいのだけれど、少し気を抜くと“自分なりの”なんてすぐ取り違えちゃえる。でもそうなるとなかなか宝物なんて見つからなくて…
私はその安心感の中の緊張感がとても好き。
ハッとする想いや言葉の空間、
共感と違いの波を生み出してくれる仲間、
私の胸をきりきりさせるような私自身。
それにもまれて”自分なりの”を模索してきて今のSETメンバーが、私が、いるんだ。
心からの安心と、適度な緊張とを味方に、
『いまわたし、二本足で強く生きているかい?』
呼吸のようなこの問い。
これは、私が皆に贈られて、掴んだ宝物なのかもしれない。
これが、いつか自分の子供にも話したいおはなし。
“広田が、仲間が好き”、そんな気持ちで書いたこんな文章にももしかしたら石ころがちりばめられてるんじゃないかな、なーんて。
読んだあなたにそんな風に思えてもらえたらまたその気持ちが私にとって、あなたから贈られた宝物。
そしてもしかしたら私は結構綴ることが好きかもしれない。
絵を添えて綴ってもいいかもしれない。
ほらね、また見つけた。
【私の広田ベストピクチャー】
中沢浜の道。仲間と毎日走り回った道。
ここをずーっと歩いて行くと、きっとまた大切なものが見つかる気がするの