見出し画像

神と人間の手のわずか数㎝の距離に秘められた意味とは。レビュー 『西洋絵画に隠されたユダヤの秘密』

本好きライター瀬田かおるが、あなたにオススメしたい本をご紹介。


『アダムとイヴ』『ノアの方舟』『バベルの塔』『落穂拾い』そして『最後の晩餐』といった有名な西洋絵画の数々。

解説書などを読めば、画家がその絵に込めた思いについて知ることができます。けれど、それだけではないもっと深い意味が込められているとしたら、そしてそれが私たちの人生訓になるような教えが秘められているとしたら知りたくはないでしょうか。

今回ご紹介する書籍『西洋絵画に隠されたユダヤの秘密』では、約50点もの絵画がカラーで収録されています。それらの西洋絵画には、描いた画家すらも気づかないうちに、ユダヤ教の聖典であるヘブライ聖書の教えが秘められているのです。

本書は絵に込められた人生訓、身の処し方、経済活動、家族の在り方、ビジネスの仕方などを日本人に向け分かりやすく解説してくれている1冊です。

本と著者について

『西洋絵画に隠されたユダヤの秘密』
著者:石角 完爾
出版社:笠間書院

書籍情報

著者の石角完爾(いしずみかんじ)さんは京都に生まれ、国際弁護士として活躍されていました。

ところがある日突然、病魔に侵されます。幸いにもユダヤ人の医者に命を助けられたことから、大量のユダヤ教の書物を読み、儀式を受け、ユダヤ教に改宗。本書刊行時、イスラエル工科大学の日本代表を務められ、多くのユダヤ教に関するビジネス書を執筆されています。

こんな人にオススメ

✅西洋絵画が好きな人
✅観るだけでなく、”考える”鑑賞をしたい人
✅ヘブライ聖書に興味がある人

ユダヤ人は何に対して神を想像するのか

ユダヤ教では偶像崇拝を禁止しています。つまり、神は絶対抽象の存在であり、姿はなく、声も匂いもない存在です。なので、神を”描く”などできるはずもないのです。

「だけど西洋絵画の多くに神様が描かれてるじゃない?」

とお思いでしょう。それは、主にキリスト教徒や、ユダヤ教徒ではない画家が描いたから。ユダヤ教を徹底的に学び、偶像崇拝は禁止であると承知しているユダヤ人であれば「神の形を描いてはいけない」ことを十分に承知しています。

では、ユダヤ教徒は何に対して神を想像するのか。

それは、ユダヤ教の聖典であるヘブライ聖書です。偶像崇拝をする仏教においては、仏像に手を合わせ仏様の存在を感じているのに対し、ユダヤ教では生涯をかけてヘブライ聖書を勉強するのだそうです。

そして、「神とは何か」「神は何を我々に伝えようとしているのか」といった問いを立て、その答えを考え続けるのです。

ではどういった神の教えが西洋絵画には描かれているのか。つぎからは、誰もが一度は観たことがあるであろう絵画を何点かご紹介しながら、本書を紐解いていこうと思います。

神と人間の手のわずかな隙間が語っていること

著者の石角氏が、本書の意図を伝えるのに最もふさわしい絵画として紹介しているのが、ミケランジェロ・ブオナローティ作の『アダムの創造』です。

本書にて絵をご確認いただきたいのですが、システィーナ礼拝堂の天井画として有名な絵画です。

先ほど、ユダヤ教では神は絶対抽象の存在なので描いてはいけないと書きました。しかしこの絵では左には若い男性が、右には神を表現した老人の男性が描かれています。

作者であるミケランジェロ・ブオナローティは、ユダヤ人ではありません。なので姿形を持った神を描いてしまったのです。

この絵では、神として表現された老人の男性が、人間の若い男性に向かって手を差し伸べ何かを渡そうとしており、それを若い男性は受け取ろうと手を伸ばしている場面が描かれています。(書籍表紙の帯にその部分が描かれています)

神が人間に渡そうとしている物、人間が神に渡そうとしている物は何か。そんな問いを観る者に与えています。

ヘブライ聖書によると、神は6日間で天地を創造されたそうです。そして7日目に活動を休止して人間にその仕上げを託したそうなのです。その様子、つまり、天地創造の仕上げを神が人間に託し、人間がそれを受けた様子を描いたのが『アダムの創造』です。

そして神と人間の手のわずかな隙間が語っていること。そこには天地創造を託した人間への思いが込められていて、それが非常に深いのです。

神の思いとは、神が望む方向で天地創造の仕上げをしているか。つまり、神が創られた万物の秩序を破壊していないかという問いが、この絵の手と手の隙間に込められているそうなのです。

神の意に反していればこの手と手の隙間は永遠のものとなり、神に満足してもらえる天地が創造できれば賞賛の手となる。本書にはそう書かれています。

さて。「神様ってたった6日でこの世界(宇宙)を創れるの?すごいっ!」って思いませんでしたか?

神の世界で”1日”というのは、私たち人間の感覚とは全く違います。神の1日とは10億年だそうです。

では、神が60億年かけて創造されたあと、私たち人間は神の意に反したことをしていないでしょうか。残念ながら私たちが生きるこの地球上では様々な問題が起きています。年々更新する夏の暑さにはウンザリですよね。これは人間による環境破壊のせいで地球温暖化を招いたことによる結果です。

いま私たちが生きている地球は、神が期待していたような世界になっているでしょうか。この『アダムの創造』に描かれた2つの手は見事結ばれる結果になるのだろうか。今後、この絵を見るたびに神様から「ちゃんとやっているか?」と問いかけられているような気がします。

人間に永遠の命を与えなかったのは神の罰だった


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作の『アダムとイヴ』。こちらも有名な西洋絵画です。

一般には、「蛇に騙されて禁断の木の実を食べてしまった人間が楽園を追放された」絵として知られています。ところがこちらの絵にも、ヘブライ聖書の教えが込められているそうなのです。

ヘブライ聖書によると、もともとアダムとイヴは土から作られた男女の区別のない「人」だったそうです。けれど、寂しそうに思った神が伴侶を与えようと「人」を深い眠りにつかせ、そのあばら骨から「人の伴侶」を創造されたそう。そして土から生まれた人を「アダム」と名付け、あばら骨から生まれた人を「イヴ」と呼ぶことにしたのだとか。

しかし、このことがきっかけとなり、物ごとは神の思うとおりに進まなくなっていったのです。

ここで登場するのがあの、蛇です。私たちが知っているように蛇はイヴを騙して禁断の木の実を食べさせました。そして今度はイヴがアダムを騙して木の実を……。そのことは神の逆鱗に触れ、神は次のような罰を与えました。

蛇には永遠に地を這わなければならない苦しみを。イヴには、生みの苦しみを与えました。そしてアダムには労働の罰を与えたのです。

そこで疑問なのが、「禁断の木の実ってなに?」ではないでしょうか。

禁断の木の実とは「人間」らしい営みです。つまり、「理性・知性・善悪の判断」といった能力のことです。

そしてもうひとつ、神は罰を与えられました。

それは、永遠の命を獲得することができる木の実を”食べさせない”という罰です。

ではなぜ、禁断の木の実を食べ、人間らしい営みを与えられたアダムとイヴなのにエデンの園から追放されておまけに永遠の命を与えられなかったのでしょうか。

ここにはなにか大きな意味が隠されているような気がします。この問いについては、ユダヤ人が頭を掻きむしりながら日々考えている問題なのだと石角氏は書いています。

「神さまは見てる」ってこういうこと。が分かる作品


こちらは、ピーテル・パウル・ルーベンス作の『アベルを殺すカイン』です。

ピーテル・パウル・ルーベンス『アベルを殺すカイン』(画像:Peter Paul Rubens, Public domain, via Wikimedia Commons)

見た瞬間、気分の悪くなる絵ですが、なんと兄弟殺しの現場を描いたものらしく、いったい何があったのだろうと想像してしまいます。

絵に描かれているのは、先ほどご紹介したアダムとイヴの2人の息子で、一番目の子、カインが殺人犯、被害者は二番目の子、アベルです。カインは、弟のアベルを森に連れ出し誰にも見られないところで殺してしまいます。

「誰も見ていなかったし、見つからなければ良いじゃないか」

カインはそう思うのですが、神の目を欺くことなどできるはずもありません。このことは、「見つからなければ何をしてもいい」なんていう考えは、神さまには通用しないことをこの絵から学ぶことができます。

ところが、こうなったのは神が関係していたのです。

神は、カインから受け取った捧げ物が気に入らなかったと、アベルの前で仰ったのです。そのことに面目を失ったカインは嫉妬と怨みを持ってアベルを殺害してしまったというわけです。

そこでもうひとつこの絵から学べることがあると石角氏は書いています。

人間社会でも同じである。人の間違いを指摘する時には、正しいことをやった人間の前で間違ったことをしでかした人間を叱ったり、貶したりすると、その人間は改めようとする気持ちよりも正しいことをやった人間に対する恨み、妬み、嫉み、怒りの気持ちを抱くようになるのみで、決して良い方向には物事は流れない。

本書P38より

こういうことは現代でもありますね。仕事でミスをした部下を皆の前で叱る上司。人の妬みなどという感情は、大きな負のパワーを生んでしまうことを忘れてはいけません。

学歴よりも志のブレない人が出世する?

次にご紹介するのは、エドワード・ヒックス作の『ノアの方舟』です。

エドワード・ヒックス『ノアの方舟』(画像:Edward Hicks, Public domain, via Wikimedia Commons)

この絵から学べることは3つであると石角氏は書いています。

ひとつは、「形よりも中身、プロセスよりも結果」であること。

ノアはユダヤ人ではありません。にもかかわらず、ユダヤの神のお気に入りだった人物です。それはなぜか。

それはひとえに、神の教えに誠実に従ったからだそうなのです。その忠実度は、エジプト王朝時代にいた60万人以上のユダヤ教徒にも勝るものだったとか。だから改宗行為を行わなかったのに神に信頼されていた。

このことから、「形よりも中身、プロセスよりも結果」ということを『ノアの方舟』の物語から学ぶことができるというのです。現代でいうと、「学歴よりも志のブレない人が出世する」といったところでしょうか。

ふたつ目が、「罪は一代限り」です。

じつは、ノアは先ほどご紹介した絵画、『アベルを殺すカイン』で説明した殺人犯、カインの何代も後の子孫なのです。にもかかわらず、神は600年以上という長寿をノアに与えられました。それは、ひとえにノアが神に誰よりも忠実だったからです。

血縁者に罪を犯した人間がいたとしても、子孫には神に気に入られる人物が登場するという話から分かるのは、罪はそれを犯した一代限りのものであり、続く子孫が背負うことはあってはならないということをこの絵は教えてくれています。

そして三つ目が、「馬耳東風」です。

改めて「馬耳東風」(バジトウフウ)の意味を調べてみました。

「他人の忠言や批評などを聞いてもまったく心に留めず、少しも反省しないことのたとえ」

馬耳東風の意味。デジタル大辞泉より

ノアはまさしく馬耳東風の人物だったようです。村の人などからの悪口や批判を右から左に聞き流し、誰に何を言われようと神の教えを第一にブレることなく活動していました。黙々と神の示された設計図に忠実に作業をしていた。だからこそ、巨大木造船を完成させることができたのです。だからノアは神に気に入られ、600年以上という寿命を授かりました。

人の意見に左右されると志を貫くことは容易ではないでしょう。とはいえ、我が道を行くのもほどほどがいいでしょう。時には他人の意見にも耳を傾けたいものです。

言葉が分かると富を引き寄せる

古代バビロニア帝国の人々が作った古代の超高速建築物『バベルの塔』。描いたのはピーテル・ブリューゲル(父)です。

ピーテル・ブリューゲル(父)『バベルの塔』(画像:Pieter Bruegel, Public domain, via Wikimedia Commons)

この塔を見た神は、「私のいる天にまで届きそうだ。いずれ人間は神に代わってこの超高速建築物を神のように崇め奉るに違いない」と考えたそうです。

神は、作業員たちが団結した行動を取れるのは1つの言語を話すからだとお考えになりました。その結果、人々が話す言語をバラバラにされたのです。
作業員たちは互いの言葉が理解できず作業は滞り、やがてバベルの塔は神が望まれたように建築途中で放棄されてしまいました。

この絵から、「言語こそ富の源泉である」とユダヤ人は学びます。なんとユダヤの家庭では、住んでいる土地の言葉、英語、ヘブライ語といったトリリンガル教育が基本とされているそうなのです。

なぜなら、多くの言語を自由に操ることができればバベルの塔のように大事業を起こし富を引き寄せられると考えたから。そして現代のいま、そこに「コンピューター言語」が加わりトリリンガル・プラスという言語教育をユダヤ人は取り入れているそうなのです。

GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフトの総称)の創業者や中核を担う人物のほとんどがユダヤ人であることも、『バベルの塔』に込められたユダヤ教の教えがあったからです。まさに「神とすら戦う民族」の所以がここにあると石角氏は書いています。

自分だけが幸せならそれで良いのか?と問われている絵

私からご紹介する最後の絵は、パリのオルセー美術館に所蔵されている、ジャン=フランソワ・ミレーの『落穂拾い』です。

ジャン=フランソワ・ミレー『落穂拾い』(画像:Jean-François Millet, Public domain, via Wikimedia Commons)

本書を読むまでこの絵について、「農家の女性が働いているところをどうして描いたんだろう」と思っていました。それがまさか、ユダヤ教の教えを描いた宗教画だったとは。

改めてこの絵は、ヘブライ聖書のツェダカの教えを視覚的に物語っているユダヤ宗教画になります。そして石角氏はこの絵の解釈についてこう書いています。

描かれている農婦は、いずれもこの広大な農場で働く者ではない。農場主の広大な領地に細々と暮らしている貧しい家の女達なのである。

本書P216より

そして、この絵から読み解けるヘブライ聖書の教えは、収穫の際は端から端まで刈り取るのではなく、近隣の貧しい者たちのために落穂をそのままにしておくこと。そしてそれらを貧しい者たちが農場に入り無断で集めることを許さなくてはいけない。ということだそう。

つまり、富める人への教えとして、自分だけが幸せで良いのかということをこの絵画には込められています。

これからこの絵を見るたびに、「あなたは誰かの役に立つことをしてる?」と問いかけられるような気がします。

おわりに

一見、難しそうな本書ですが、「神さまは見ている」とか「外見より中身が大事」というような、いつの間にか染みついていた人生訓について分かりやすく書かれているので謎解きをしているような気持ちで読み進めました。

有名な西洋絵画に、ユダヤ教の教えが秘められていることを知った上で鑑賞すれば、観るだけでなく、考えながら絵を楽しむことができそうです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

なお、こちらの書籍は株式会社アップルシード・エージェンシー様よりご恵贈いただきました。ありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!