妄想日記「あなたへ」
「本ばかり読んでいるから、まともな恋愛ができないんだ」
あなたはそういって私をからかうのが好きだった。
私がそれに対して噛み付くのに備えて、どこかワクワクしているようでもあった。
まるで、小動物をからかう時のように。
鼻先に餌をちらつかせて、近づくとそれをまた少し離して小さく揺らすのだ。
「どうしてだと思う」
あなたが、戸惑うのがわかった。
それじゃないだろういつものは、という顔をしている。
私は全てがバカらしくなった。どうでも良くなった。
「あなたがいるから」
私の声はやけにしっかりしていた。
「あなたがいるから、私は恋愛をしないだけ」
そう言い切ってからあなたの顔を見た。
あ。知っていたんだ、と思った。そんな顔をしている。
「さよなら」
私があなたと出会ってから10年以上。
はじまりから決めていたことだった。
別れの挨拶は私が先に言う、ということは。
それからの私の人生は立ち止まらなかった。
仕事にも注いで溢れるほどに打ち込んだし、欲しい知識は詰め込めるだけ吸収した。
あなたが息を止めて数日して届いた訃報を知らせるハガキは、私の家のポストに数週間放置されていた。
海外での仕事を終えて、やっとこさそのハガキが私の目に留まった頃、あなたはもう焼かれて灰になっていた。
そうして今、私はなぜだかあなたが帰ってきたように感じている。
「おかえり」と言いたくなっている。
そんな言葉が適切とは思えないのに。
ハガキによると、あなたは癌だった。
45歳。早すぎるといえばそうとも言えるし、あの日から20年と考えると長いのかもしれない。
印刷された少し行書調のフォントから得られた情報といえばそれくらいだった。
あの日、ずっと考えていたにも関わらず鉛のように重かったことが嘘のように別れの言葉が私の口からこぼれた。
ずっと、この恋が完結しなかったのはあなたの「さよなら」を聞かずに背中を向けたせいだった。
とはいえ、予想はついていたのだ。
あの頃はまだ、あなたからその言葉を聞くことはできないのだと。
何かしら、あなたは謝ったり茶化したりしながら引き止めようとしてくるはずなのだった。
「おかえり」声に出していってみる。
「さよなら」声に出していってみた。
一度も抱きしめることのできなかったあなたの体温が
やっと私の腕の中にあった。
私は、あなたがいたから幸せだった。
あとがき:一番美しい恋愛とはなんだろうと考える。もちろん私は本の虫で、恋愛マスターなんかではないわけだが考えるのは自由だ(そうであってくれ)。私が考える一番美しい恋愛は「実らない恋」だ。色褪せず、むしろ輝きを年々強めていくためには、実らないことが大事だ。実れば輝きは霞んでしまう。霞むまではいかないまでも、多くは恋のままではいられない。進まなくてはいけない。今回は、とんでもなく短い小説ともいえない断片を書いた。単に、美しい恋が書きたかっただけで。