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美大に入ったきっかけと、初めて好きになった画家

私の高校生活は1年で終わってしまいました。頑張って1年間通ったんですがどうしてもあの集団生活っていうのができなくて「これをあと2年も続けるなんて到底無理だ…」と思ったので通うのを辞めてしまいました。それからは家でぼーっとしたり、好きな絵をのんびり描いたり、東京にフラッと遊びに行ってみたり毎日かなり自由に過ごしていました。実家は主要駅の近くだったので中学時代の友達の溜まり場みたいになっていて、ほぼ毎日学校帰りに彼らが家に遊びに来るので特にさみしくもありませんでした。1年間自由気ままに過ごし、もうすぐ彼らが高校3年生になる年に「ところでお前これから先どうすんの?」と尋ねられ「確かにずっとこのままでいるワケにもいかないしなぁ…かといって大学受験するにしたって今まで勉強したことなんてこの1年で全部忘れちゃったし…」と悩んでいる私を横目に、私のラクガキだらけのスケッチブックをパラパラ見ている友人にふとこう云われたんです「お前、絵上手いから美大とか行けんじゃね?」と。「たしかに!美大ならこれからでも練習すればなんとかなるかもしれない!しかも勉強しなくていいなんてラッキー!」(※学科にもよるけど多少のお勉強も必要です笑)こうして私は美大を受験することに決めました。美術大学に行きたいんじゃなくて「学生」になりたかったんです、当時(笑)その最短が美大受験だったんですね。

でもどうやったら美大に行けるか何も分かりません。東京寄りの山梨に住んでいて東京へのアクセスは良かったので、とりあえず知っている美大「武蔵野美術大学」へ直接行きました。事務室?みたいなところへ行き「すいません、美大へ行きたいんですけどどうやったら入学できますか?」と質問し、多分、受付の人は目を丸くしていたと思います…それでもすごく丁寧に説明してくれて「美大受験は筆記試験と実技試験に分かれていてね。筆記試験は独学でもなんとかなるけど、実技試験は独学で入る人はほぼいないかな。『美大予備校』っていう美大に入るための予備校があって、そこに通って絵の描き方の勉強をしてから受験する人がほとんどだよ」と教えてくれました。なるほど…「じゃあどの予備校に入ればいいんですか?」と質問すると流石に「それは色んな予備校があるからお答えできないかな…(笑)よかったらパンフレットがいくつかあるからあげるよ」とこれまたご親切にしてもらいました。

結果、山梨からアクセスも良くて合格実績も良さそうな立川にある立川美術学院というところに通うことになりました。「入学体験」なるものに参加して人生で初めて「鉛筆デッサン」というもの描きました。課題はカットされたカボチャをひとりひとつずつ渡され「モチーフを自由に描きなさい。」というものでした。時間は2時間くらいだったかなぁ、画用紙に描き上がった絵を見たらかなり上手く描けた気がして「これぶっちゃけ美大行けんじゃね?」と調子こいたのも束の間、まわりには何年も前から美大を志しているであろう高校生たちばかりで、はっきり云って私の初めてのデッサンはうんこマンでした…「えー!?みんな上手すぎるんですけど…やっぱり美大なんて無理かも…」と落ち込んでいたのですがこの学校はご丁寧なことにそのあと面談みたいなこともしてくれて、講師の先生に今描いた絵を見せながら1対1で話す機会を設けてくれたのです。「嗚呼、こんなヘタクソな絵見られるなんて最悪だ…」と思いながら、担当の講師の先生との面談へ。「今までデッサン何枚くらい描いたことある?」「え、初めてです。今日初めて描きました。」「初めてなんだね、だとしたらすごくいいねぇ。それで何科に進学したいの?」と質問され、このとき初めて認識したんです、美大って「学科」があるということに…(笑)それでも馬鹿正直に云いました「何科でもいいです、美大に行けるなら何科でも大丈夫です。というか何科が向いてますかねぇ?」「そっか、まぁデッサン見ただけで一瞬で分かるけど君は油絵科。油画専攻を目指すなら俺に一年任せてくれたら合格させてあげるよ。」と促されました。それで私は1mmも迷わず「じゃあそうします、油絵を描いて美大に行きます!よろしくお願いします!」と答えました。今思えば運命の出会いだったかもしれません。実際予備校に入学してこの方が担任になり、一年で本当に美大へ進学させてくれたのだから。

当時の実際のカボチャのデッサン(PCの中にデータが残っていたことに驚愕…)

4月から昼間部(朝から夕方まで終日絵が描けるコース)に通うことになりそれはそれは驚きの連続でした。何もかも初めての自分が一度受験している人たちに交じって過ごすワケなので、とにかく周りが上手すぎて「本当に大丈夫かなぁ…」と毎日不安でした。初めて触れる油絵の具も今まで触れてきた絵の具と違い過ぎて全然思い通り描けないし、正直油絵科は失敗だったんじゃないか…とさえ思いました。ところがある日、突然油絵を好きになれたきっかけがありました。「有色下地」という課題です。真っ白いキャンバスには基本的にはなにを描いてもいいワケですが、ちょうど中間色(白と黒の真ん中くらい)のトーンの好きな色をキャンバス全体に塗って乾かしてから明るいところはそれよりも明るい色、暗いところはそれよりも暗い絵の具を使って描いてみようね、という課題でした。この課題がきっかけで何かをつかんでしまい「油絵の具!なんでもできる!!楽しい~!!」と文字通り絵の具に塗れた毎日を過ごし、家でも予備校でもとにかく毎日たくさん絵を描いて過ごしました。

受験直前あたりの油絵、実際に動物園に行って描いた気がする。

新しい画材の鉛筆も油絵の具も触れているだけで兎に角楽しくて(「木炭」という画材もあったんですが私は好きになれませんでした…笑)それでいて目標が「受験に合格する」という一点だけだったので「この人みたいな絵を描きたい」という誰かへの憧れは特にありませんでした。「油絵の具ってこんなこともできるんだ、こんな表現もできるんだ」と目の前の画材の可能性ばかり追っていて、誰かを参考にするなんてこと考えてもみませんでした…(笑)ところがある日クラスメイトの友達が「絶対ヒロミが好きそうな絵の画集があったから本屋行って見てみ?」と薦めてくれて、立川ルミネのビレバンへ行き、教えてくれた作家の名前を頼りに本を探してみると…もう、表紙の絵を見ただけで一瞬で「好き!」となりました。石田徹也さんという方の遺作集でした。

遺作集の表紙になった絵
「飛べなくなった人」


当時は観るのも描くのも割と具象的な作品が好きだったので「絵、うめーっ!!」となったし、「絵ってこんなこと描いていいの?こんなこともやっていいの?」とすごくワクワクしました。初めて石田さんの作品を見たときに感じた印象は現代社会における虚無感や喪失感。ある種の絶望や、それらに対する皮肉を感じました。第一印象は暗く、重い作品が多いなぁと思ったんですが「こういうことってしてもいいんだ」という自分が本当に描きたい絵を描いてみたい、という想いを後押ししてくれるような作品ばかりでした。ちょうど練馬の美術館で展覧会も開催されていたので実際の絵も観に行ったのですが、デカい…作品のサイズが兎に角大きい。小さくても1m、大きいと2mを超えてきて作品の中に無理やり引き込まれてしまうくらい強いパワーがあって「私も受験が終わって大学に行けたらまず最初にバカでかい作品を描いてみたい!」という想いはここで蓄積されたんだと思います。実際、多摩美に入学してからの課題で大きさに特に制約がない限り自分の身長より小さい作品は提出しませんでした。全ては石田さんに憧れて、石田さんの絵に対するエネルギーみたいなものを自分も込めてみたいと感じた結果なのかなと思います。

それでこんなんなっちゃったんですね

その数年後、大学も卒業してしてまた石田さんの巡回展を観に茅ヶ崎の美術館へ行く機会がありました。私はてっきりまた負のパワーというか、そういうエネルギーを受け取るつもりで行ったんですが、数年振りに観た絵からは以前とは全く違った印象を受けました。前に観たときは暗くて重くて、息もできないくらい圧迫されてしまったのだけれど、同じ絵なのに「なんだか面白いなぁ…!」とさえ感じました。時間軸のない視覚藝術は、観る側が能動的に解釈することによって作品の印象が鑑賞者に委ねられる部分が多いものだと思うけれど、こんなにも解釈の方向性が変わることもあるのね…!と久しぶりに観た絵とそう思った自分自身に驚きました。石田徹也さんが書き記したノートのメモにこう書いてあるのがずっと心に残っています。

「僕が求めているのは、悩んでいる自分を見せびらかすことでなくそれを笑いとばす、ユーモアのようなものなのだ。ナンセンスへ近づくことだ。他人の中にある自分という存在を意識すれば、自分自身によって計られた重さは意味がなくなる。そうだ、僕は10万人や20万人といった他数の中の一人でしかないのだ!そのことに落胆するのでなく、軽さを感じ取ること。それがユーモアだ。」
「結局絵って見る人によるんです。その人の生きてた時間とか、その時の感情とかで絵は絵じゃなくなるんですよ。僕の絵を見て、笑ってる、怒ってる、悲しがってる…そういう人が同時にいるのが理想。」

絵も、数少ないけれど彼の遺してくれた言葉も好きです。みんながみんな好きそうな絵は私には描けません、かといって私が描きたい絵だけを妄信的に描くのも絵を描く行為を楽しみきれません。そこで思い出すのが石田さんのこの言葉です。とても影響を受けているので特に意識するようにしています。明るいだけの作品にならないように、暗いだけの作品にならないように、どこかユーモアや皮肉を込めたりね。私の絵を観て楽しそうな人、泣いている人、不思議そうに顔をしかめている人、なんでもいい。何かしらの感情を強く揺さぶるられるスイッチみたいな絵が描けたら、私にとってこれ以上うれしいことはありません。

長くなりました。美大に進学した話と、人生で最初に好きになった画家の話をごっちゃにしてしまいましたが時期的に同じ時期だったので書いてみました。文章として成り立っていることを願います~(笑)

おわり

【おまけ】大学時代に描いた自画像、これも馬鹿デカいキャンバスに描いた気がする

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